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浅間山 (5月7日 信濃追分駅より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2017年02月25日
新町散歩2 新町(小諸)歴史的遺産散策ウォーキング2  ささやかな神とささやかな鉄道の痕跡
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北国街道を少し善光寺に辿って花川親水公園・・・
桜の時期は綺麗です。

ここは両神地区になるのだと思います。


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花川の橋のたもとに馬頭観音の石仏が2つ、赤い涎掛けを掛けてもらっていました。
北国街道筋にあったものでしょうか・・・

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青木の一里塚・・・

小諸市内には北国街道の一里塚が三つありました。残念ながら原型をとどめている一里塚はありません。
ここも、塚は削られ草のその後は、草のはえた空地です。ただ塚のあった痕跡はあるようです。

今は住宅地で無理ですが、江戸時代は塚の上から浅間山が眺められ旅人がたはずです。

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北国街道はここまででとして。通過してきた、両神に戻ります。
ここは戦後、住宅団地として開発されたところで、私の知り合いも住んでいます。

そんな団地から千曲川に下る道を探します。
ウォーキングマップにあった両神の祠を訪ねて・・・

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千曲川に下る道・・・
でも、こんなに下るはずはないなと・・・

清水の祠といい、今日は祠に嫌われたかなと・・・

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戻っていくとありました。
背中に目がほしいなと・・・

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この祠については何も知りませんので、現地の案内板・・・
写真では後ろを向いていますが・・・

昔、両神の地には手代塚村があり、江戸時代(慶長一六年 一六一一年)  こもろ藩主仙石秀久が城下町建設に当たり。市町への村寄を行い大半がなくなりました。その後も地神五代天神七代の七霊神(りょうじん)が祀られた祠は、今日までは両神(霊神)の祠として引き継がれてきました。 

村寄ということを私は初めて聞いたように思いますが、城下町へ村人の移動のことでしょう。城下町だけでなく、宿場などで移って、いや移らされたようです。

神世七代(かみのよななよ)は、日本神話において、天と地が混沌として一つだったのが、天と地の2つに分かれた天地開闢(てんちかいびゃく)により世界がはじまります。この時に神も生まれ、その七代の神が天神七代です。一台は一柱の神もおります陽神(男神)と陰神(女神)で二柱の場合もあり、古事記と日本書紀では神も違いますし、古事記一二柱、日本書紀一一柱となっています。
神世七代のあとに日本の国が生まれますが、神武天皇より前に日本を治めた神が地神五代(ちじんごだい)です。
その神は天照大神・天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・鸕鷀草葺不合尊の五代五柱となります。

小さな祠ですが、たくさんの神が祀られて地域を守っているようです。

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こんな田圃の端に祠はあります。田圃の向こうは急な河岸段丘の崖となっていて見晴しが良いです。千曲川も見えていました。

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大正の終りから昭和の初めに小諸駅から島川原駅までの7.4kmを結ぶ「布引電気鉄道」という鉄道がありました。望月・立科地区へ鉄路を伸ばし、その地域の発展と商圏の拡大、布引観音の参詣を見込んだのです。しかし、鉄路は先に延びることなく終わりました。

この道がその鉄路の跡です。
北国街道ほど古くはありませんが。近代の小さな歴史の道の跡です。

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ここは押出駅跡・・・

意気込みに反して、初詣や縁日以外の乗客は少ななかったそうです。乗客が乗ってないのを小鳥の「四十雀」をかけて「始終空」だと「小鳥電車」と呼ばれました。
ただ1928年から1930年は、島川原発電所の資材により利益を上げました。しかし工事が終わると元に戻り経営不振となり、ついには、電気料金の未払から送電差止めで、無許可で列車を運転しなかったということで、免許取り消しとなり、9年足らずで姿を消しました。
小諸の商家が布引観音と商店街を結び付けようとしたのですが、大きな町も無く、国鉄のように赤字になってもいい路線ではなく、当初から無理があったようです。

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ここにあった押出駅はスイッチバックでした。
道のり左側の空き地が駅のあった場所です。

地元でも存在すら忘れられている「布引電気鉄道」が、送電停止されて、無許可で免許取り消しとなったという廃線というのは世にも珍しいとかで、鉄道ファンには「安易な計画により数年で廃線になった私鉄」と不名誉なことで、良く知られているようです。

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押出駅と布引電気鉄道の説明・・・

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押出駅に霧窪(久保)神社への案内があります。

こんな道です。こんな丘の上です。

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なかなか気持ちのいい道でした。春日和でぬかるんだ感じもありましたが・・・
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最後はこんな参道の階段・・・

回りこんだ緩やかな裏参道もあります。
私はここを登って下りはそちらを降りました。

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ささやかな神社というと怒られるかもしれません。

でも、私は好きですが・・・
みんなで守っているという感じがありますね。

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屋根が自然な感じでいいですね。

この神社も何も知らず・・・
案内板丸写しです。

霧窪(久保)神社
七福神の一つである。授福の神「大黒天」(大国主命)が祀られています。現在の社殿は大正十三年三月に創立記念祭を行い、平成二十二年に現在の鳥居が建立されました。毎年四月に、地元氏子の皆さんにより例大祭が執り行われています。 


創建などの歴史は判りませんが、この辺りの氏神様のようですね。

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ここも見晴しの良い場所です。

でも木の葉が茂ると緑の中になりそうですが・・・
[ 投稿者:オコジョ at 08:56 | 小諸 風景 自然 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんばんは
今日は穏やかで暖かい日でしたね。

布引鉄道
図書館から借りた写真集で見ました。
小諸から望月辺りまで鉄道を走らせるって、お客さんはあまり見込めなかったんじゃないでしょうか。
でも、私の知ってる望月、立科と昔だったら、昔の方が人も多かったんでしょうかね。

投稿者: 万見仙千代 at 2017-02-25 22:57:56
万見仙千代さんへ
こんばんは
最初に望月まで線路を曳いて開業していたら「小鳥列車」とは言われなかったかもしれませんね。
望月も芦田も中山道の宿場で当時としては栄えたところ・・・
町から町を結べは人は乗る人は増えますから、当時、小諸は東信一の商都ですから、買い物など、
・・
ただやはり長続きはしなかったでしょうね。

朝出かける前にコメントしたのにない・・・
計算能力が小学生以下のようです。

昨日に続いて今日もいい天気でしたね。
温泉で雪の山を見てきました。
でも、帰ってきたらやはり寒いですね。
投稿者: オコジョ at 2017-02-26 18:10:11

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