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浅間山 (2月4日 信濃追分駅より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2017年01月08日
鼻見城山と北国街道・小玉坂3 鼻見城山
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鼻見城山から旧三水村芋川地区・・・

遠く菅平の山々・・・


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鼻見城山はこんなところから登り始めます。

鼻見城山といっても、知っている人は少ないでしょうね。地元でもどの位の方が知っているかどうか・・・

そして標高722.7mの里山で、登る人は少ないようです。回りに北信五岳の2000mから2500mの山に囲まれているですから仕方ないですね。

牟礼駅が標高:487.1mということは駅より265m、そして、この登山口から170m高いだけの山というより丘といっていい山です。

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林檎畑のある道・・・

三水さみず地区は前々回「日本一のりんご村」と紹介しましたが、ここには「いいづなアップルミュージアム」(旧三水アップルミュージアム)というリンゴに関する展示や販売をする博物館もあります。建物も林檎を4分の1に割ったデザインです。リンゴ美術館・リンゴ図書館・リンゴ映画館などもあり、地元のりんごに対する愛着を感じます。
アップルコンピュータの初代マッキントッシュもあります。
今回は寄りませんが・・・

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馬頭観音の石仏・・・

刻まれている年号が詠みにくいのですが、慶應三年でしょうかね。坂本龍馬の亡くなった年、翌年秋に葉明治になります。
激動の時代にこんな山の中に・・・・
そんな時代だから余計なのかもしれませんが・・・


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こんな道を行きます、

鼻見城山は「信州山歩き地図」に紹介されてから気になっていた山でした。理由は名前ですね。花見ではなく鼻見というのが変わっているなと・・・

この山には鼻見城という山城がありました。芋川氏の本城の若宮城の見張りの為の支城と考えられています。
「鼻見」は、「はな先で遠くを見張る」という意味から本城の若宮城の鼻先で見張りをする城という意味の名前だと言われています。

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こんな棚田のある山です。
山裾の林と棚田の境には芋川堰という用水が流れています。

三水村は明治22年に芋川、普光寺、赤塩、東柏原、倉井の5つの村と川谷村の一部が合併して誕生していますが、「三水」という地名は存在しませんでした。合併の時にはどんな何するか協議したのでしょうね。そして鳥居川から新しい村を潤す「芋川堰」、「倉井堰」、「普光寺堰」の3本の用水が地域の生命線と「三水村」と名をつけたようです。

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その芋川堰(芋川用水) を渡ります。良く整備された堰ですね。人々が大切にしているのがうかがえます。

三水は六〇〇mから八〇〇メートルの小さな山々の間に集落が点在する村です。斑尾川とその支流で平安時代から稲作を行っていますが。室町時代になると、水田開発が推進され、斑尾川だけでは農業用水が不足して、鳥居川から水を引くことになり、三本の用水が村に引き入れました。

この芋川堰は、天正8年(1580)または慶長8年(1603)に清水戸右衛門(しみずとうえもん)に鳥居川の戸草から等高線に沿うように用水をつくり芋川平に導きました。その後に寛文10年(1670)頃に、飯山藩水奉行野田喜左衛門が水路を延長し、総延長7里19町(約29.6km)の用水路となっています。

弘化4年(1847)の善光寺地震で用水は寸断など苦難もあったようですが人々は妖怪を守り続けてきたそうです。

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こんな立派な登山道が続きます。

昨日、芋川氏の本流は滅亡したと書きましたが、その後、一族なかから後再興を果たし武田信玄か信濃侵攻すると武田に従っています武田家の滅亡のあとは、この辺りは織田信長の配下で鬼武蔵と異名をとった森長可が支配しますが、当時の芋川家当主の芋川親正はこれに従わず、上杉景勝を頼りました。そして。天正10年(1582年)領内の一向宗門徒、反織田を掲げる信濃国人などで8000の兵を集め廃城を改修して蜂起して芋川一揆をおこします。長沼城主・島津忠直らと連携して長可に反抗しますが、二日で敗退、越後の上杉を頼って越後に落ち延びます。

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この上が本丸・・・

残った信濃国衆は長可に随い、長可は国衆の妻子を海津城に住まわせ人質にします。また一揆に参加したと近隣の村の住民の一部も強制的に海津城下に住まわせています。
その後、長可はその後、越後に地区の勢い侵攻していきますが、本能寺の変で信長が討ち死にすると敵地深く入り込んでいた長可は窮地に立たされ撤退を始めます。信長死亡をきき、ほとんどの信濃国衆は森長可を裏切り一揆をおこします。

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斜面の細い段差は帯郭(おびくるわ)・・・

防御力を高めるために本丸などの主要な曲輪の周りにつくられものです。ここで登って来る敵を迎え撃ったのかも・・・
そんな戦いがあったのかは知りませんが・・・

少し前に善光寺西街道の猿ヶ馬場峠でこのことについて書いたように、森長可は人質を楯に松本に向かいます。そして、人質を残らず処刑し木曽へと向かっていきます。

芋川氏は上杉景勝の会津に移封になると、家臣として従い小峰城をえて大森城の白河城の城主となりますが、その後については私には調べられません。遠い昔のことですから・・・

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本丸到着・・・
鼻見城山到着といった方がいいですね。

鼻見城は七二二.七mの鼻見山城の山頂を本丸とした山城であり、奥信濃で勢力を持っていた芋川氏の初期の構築といわれ、東西南は急坂で、北方(搦め手)はなだらかで、山城の常法の馬が往来できる要塞堅固な城である。本丸跡は東西二五m、南北は広いところで六mの楕円形をなし、土塁の跡はなく平坦であり、その北方に東西約三〇m、南北約一五mの二の丸跡がある。現在は、本丸跡に秋葉神社(安永7年)を勧請してあり、山頂からの景色が素晴らしく「長野の自然100選」に選ばれた。(『山頂説明板』)。

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菅平遠望・・・

少し雲が多すぎましたね。

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こちらは志賀高原方面・・・

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この城は芋川氏の城で詰城であった若宮城の支城で芋川氏が築いたとされていますが、築城の時期など。詳しいことはわからないようです。

一つの石祠は秋葉神社、もう一つは・・・
判らないですね。山の神ということにしておきましょうか・・・・

物見の城としてはわりと広くて規模は大きいですね。

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珍しく記念撮影・・・
個人的には初めての山ですから・・・

山頂のノートには丸山晴弘(まるやま・はるひろ)さんの書き込みがありました。現在は長野県山岳遭難防止対策協会講師をしておられる長野県山岳会の重鎮で、北アルプスの初登攀もあり海外でも活躍されています。山の著書もあります。そうした方が。こうした山に登

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本丸の下り二ノ丸・・・

井戸跡がありました。暮すには水が必要ですね。こうした水場があるのも山城の必要条件ですね。

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鼻見城本丸西の堀切・・・

城の守り、山城の堀・・・

立派なものですね。

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堀切から見た本丸と二ノ丸・・・

こういう所に籠って戦うのは大変なことですね。

戦国とは大変な時代のようです。

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こんな尾根を行きます。ここには何もなかったのかなと・・・

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左のような斜面を下ると右の写真のような林道に出ます。
この道を行けばもと来た道に戻れるのですが・・・

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今回のもう一つの目的の北国街道へは遠くなります。

里山ですから道はあるはず・・・
尾根にはしっかりとした道がついていました。そちらを下ります。
そのまま下りれば問題ないのですが、下に自動車道が見えますので微かな踏み後をたどっておりました。幹の写真ですが、キノコや山菜採りの道ですから、あちこちで交錯していてはっきりしませんが藪もなく問題なく降りられました。高度差で50mくらいです。
山の話はここまでです。小さな山の話でした。

のんびりとした良い山でした。

山頂のノートの丸山晴弘さんが「北信濃の名山 健在」と書いていらっしゃいました。
なにも日本百名山だけが名山ではありません。
こうした名山がたくさんあってもいいですね。私は人ばかりの日本百名山よりも、こうした地味な名山が好きです。

[ 投稿者:オコジョ at 08:38 | 山 (地域外) | コメント(2) ]

この記事へのコメント
無題
こんばんは。

鼻見城ですか。
落ち葉が敷き詰められた、穏やかな登山道ですね。
前に住んでいた東京郊外の丘陵にも、こういう感じの古道があり、懐かしくなりました。
百名山ばかりが名山じゃないですよね!
こういう歴史のある山城跡や古道、本当に良いですね。
投稿者: 万見仙千代 at 2017-01-08 20:11:02
万見仙千代さんへ
おはようございます。
昨夜は雪でしたね。
鼻見城も雪見城かも・・・
雪の多い地方で城を守るのは大変だったでしょうね。

多摩丘陵もこんな感じの場所が多かったですね。
高幡不動から野猿峠あたりもこんな感じだったような、50年以上の話して、今は面影もないのでしょうが・・・
日本百名山は一人の人が選んだ100の山・・・
見方を変えると名山はほかにもたくさんあります。
それぞれの山にそれぞれの良さがあると私は思います。
最近は日本百名山は最近はほとんど登ることがなくなりました。今はこうした山が私の愛する山のようです。
投稿者: オコジョ at 2017-01-09 11:20:57

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