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浅間山 (4月12日 東御市滋野駅付近より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2017年01月07日
鼻見城山と北国街道・小玉坂2 旧三水村 苔翁寺と健翁寺
1
旧三水村役場脇の道を行くと鼻見城山の山裾に曹洞宗の苔翁寺(たいおうじ)あります。今日のコースは、私にとっては15キロ近くと私にとってはハードなのですが。立派な山門があるというので寄ってみました。


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参道わきの石仏・・・
左は地蔵菩薩、では右は・・・
知識の浅さを露呈してしまいます。
つまり判らないのです。文殊菩薩、馬頭観音菩薩、それとも・・・
菩薩なのは間違いないと思うのですが・・・

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こちらの宝塔に刻まれた仏たちも・・・
???

こういう所は、後ろ髪をひかれながら、そっと通り過ぎます。

6
立派な門ですね。
飯綱町飯綱町指定有形文化財の苔翁寺の仁王門・・・

大きくどっしりしていて、豪壮でシンプルながら迫力のある門です。

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屋根の庇で屋根を支えているたくさんの角棒を垂木(たるき)と言いますが、垂木平行だと和様(わよう)とといい、放射状だと唐様(からよう)で中国風となります。
禅寺には多いですね。このために禅様式とも言います。

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この門は寛政7年(1795)に建築の八脚二重楼門です。2階部分の上層には十六羅漢像と四天王像が安置されているそうです。

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10 (1) href="/MHz/90.97/images/LAITb3jm.jpg" target="_blank">10 (2)
下層には仁王門ですから金剛力士と呼ばれる仁王様がいらっしゃいますね。

迫力満点、生き生きとしていますので角度を変えて2枚ずつ紹介です。

各窓を変えて
寛政10年(1798)に仏師沙阿弥の制作だそうです。
沙阿弥については調べられませんが、こうしてみると腕の良い仏師だったようです。

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山門脇には赤いロータリ除雪車・・・
ここは雪深い里のようです。

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斑尾山苔翁寺本堂・・・
この寺は鎌倉時代の初頭の文治2年(1186)に芋川弥次郎兼定が開基となり創建とされています。は開いたのが始まりと伝えられています。

この辺りは芋川地区・・・
江戸時代は芋川村でした。中世に芋川郷の地頭として、この地を治めていた豪族が芋川氏でその菩提寺です。

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本堂内部・・・
芋川氏は信濃国北部の中野市を本拠にした高梨氏に従いましたが、高梨氏が室町幕府と対立して、戦いとなり、本流は滅亡します。このため寺は衰退します。その後、元亀2年(1571)、長野市吉田の天周院(長野県)2世の天室賢隆を招いて真言宗から曹洞宗に改宗中興開山します。同時に寺の名も、善福寺から、現在の苔翁寺になったそうです。

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西国三十三観音札所の観音様たちもいらっしゃいました。

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こちらは金毘羅堂・・・
四国の金刀比羅宮(ことひらぐう)は、有名ですが、今は神道の神社ですが。元は真言宗の象頭山松尾寺金光院と神仏習合で象頭山金毘羅大権現でした。

金毘羅はもともと仏教の水運の神で、薬師如来十二神将の筆頭の宮毘羅(くびら)大将のことです。仏教と神道の神はいろいろな変遷があるようです。

ここも神仏習合の名残りでしょうか・・・

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戻って町という集落を行くとまたお寺がありました。
曹洞宗 富峯山 健翁寺(けんのうじ)です。案内板によると・・・

「現在の北側の富士峯、中腹に浄水の湧出するところに開創したので浄泉坊と云ったが永正十四年(1517)の大雨の時、大崩壊し堂舎もろ共、土砂に流されてしまった。
天正元年(1573)二大島与一郎の発願により土中より掘出された丸鉄板に観音を鋳付られた尊像を本尊として、真言宗で中興した・・・」

以下判読しにくいところもありますので略しますが、天台宗となり、江戸時代の元禄五年(1692)に再び中興して、曹洞宗に改宗したそうです。
境内には、曽我兄弟に関係のある虎御前の墓と伝えられる墓もあるそうです。

善光寺関係の仏、江戸初期の慶安年間の庚申塔など、歴史を感じさせるものが残っているそうですが、苔翁寺で時間を使いすぎて、それにこの寺は良く知らなくて、さっととおりすぎただけでした。

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町集落の中の鼻見城への遊歩城の案内・・・
ここには、この山の唯一のガイドブックの中嶋豊著「信州山歩き地図Ⅲ 里山編〈北信・東信〉」には町地区生活改善センターがあったはずですが、更地となっていました。私も「新ハイキング」という雑誌に山のガイドを書いたこと巣があるのですが。ガイドブックは難しいですね。
私はほとんど。ガイドブックに紹介されていない山の紹介ですが。はっきりした道標や道も細い山・・・
あとで、紹介より手ごわいという感想を頂いたことがあります。

中嶋豊さんの本は絵地図を使った、楽しく判り易いものですが、やはり最後に頼りになるのは正確な国土地理院の地図になるようです。その地図には道はかかれていない、地図に道のない山が鼻見城山なのですが・・・

中嶋豊著「信州山歩き地図Ⅲ 里山編〈北信・東信〉」は絵地図が楽しい素敵な本ですが、これだけて山に登るのは、山によっては判りにくいばあいもありそうです。

でもお勧めの本なのですが・・・

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山に向かいます・

といっても・・・
向こうに見える山は山というには優しく里山としても穏やかな裏山です。

わたしのこの文は山に登るための手引きとして書いていませんので、この山を登る手引きとしては「信州山歩き地図」に遠く及びません。
散歩の記録なので、そのつもりでお願いします。

鼻見城山への道はまた明日です。

[ 投稿者:オコジョ at 08:51 | 山 (地域外) | コメント(2) ]

この記事へのコメント
神仏混合
熊野磨崖仏の胎蔵寺も 宇佐神宮と深い関係があり 鳥居もあって 神仏混合でした。時代によって 為政者によって 変わっていくんですね。15キロ だいぶありますね。深い山 谷に入っていくと 道の案内板だけでは 不安になることがあります出てくると  あ、あったあったと 安心します ナビは つけていません。
投稿者: 小紋 at 2017-01-24 07:26:43
小紋さんへ
国東の磨崖仏ですね。臼杵の石仏とともに一度見ておきたいのですが、機会があるかどうか・・・
宇佐神宮は宇佐八幡と呼ばれますから、もともと神仏混淆ですね。
こちらの神社も武田信玄の信濃侵略により、信玄の信仰する諏訪神社に変わったところが多かったようです。
知らない土地は地図を見て判断していきますが。案内を見るとホッとします。
わたしのガラケー携帯ですが、GPSを使えるのがあったらいいなと・・・
でも、山奥に入り、良く圏外になりますから、そうなると役に立ちませんね。
投稿者: オコジョ at 2017-01-24 12:32:22

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