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浅間山 (2月4日 信濃追分駅より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2017年01月06日
鼻見城山と北国街道・小玉坂1 旧三水村
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昨年末のある日・・・
しなの鉄道に乗って北へ・・・
善光寺を過ぎて、善光寺平の北の外れあたり・・・

千曲川はこの真ん中の一番低いあたりを越後に向かいます。

私はもう少し北しなの線でもう少し北に向かいます。


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北しなの線は鳥居川に沿って遡っていきます。

そして、こちらは妙高山山麓を通って越後の国から、加賀百万石の金沢への北国街道沿いの路線でもあります。

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降り立ったのは牟礼の駅・・・

昨年は、2月以来2度目の訪問でした。
どちらも冬でした。

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牟礼駅前の商店街・・・

その向こうに雪をいだいた飯縄山が雄姿を大きく見せて聳えていました。

2月はこの道の向こうから歩いてきました。今回も同じように歩いてくる予定です。

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でも今回は上の道から直角に曲がってこの道を行きます。

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北しなの線を踏切で越えます。

向こうに「飯綱のりんご」という看板が見えますね。
11年前以前は「三水のりんご」だったはずです。
この建物はJAながの飯綱支所・・・
平成の大合併で平成17年(2005)10月にこの写真を撮影している場所の牟礼村(むれむら)と橋向こうの三水村(さみずむら)は合併して飯綱町が発足して2つの村はなくなりました。この建物もJAながの三水支所だったはずです。

三水村はリンゴ栽培が盛んな村で、全国のりんご生産量の約1%を栽培した日本一のりんご村でした。

私が越後・長岡に転勤していた時に、上司の部長は収穫の時期にはライトバンで三水村に甲斐に来て、詰めるだけのりんごを買って帰るといっていました。

量だけでなく、本当においしい林檎の産地です。

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華表橋で鳥居川を渡ります。以前はここが旧牟礼村と旧三水村との村境でした。

華表橋とは珍しい名前ですね。一般的には華表は「かひょう」と読み、中国の宮城・墓所などの前に建てる伝統建築の標柱のことです。天安門広場には2組の華表あります。
この橋の華表橋は「とりいばし」と読みます。鳥居川ですから「とりいばし」ですね。

日本の古い文献では「華表」と書いて「とりい」とよむ場合が時々あります。これは日本の神社の鳥居は華表が起源という説に寄っています。ただ鳥居は日本で古くからあり、起源の説も沢山あり、華表という説は希薄のようです。

鳥居川は北信五岳の戸隠山や黒姫山、飯綱山から湧き出る水を集めて流れてくる千曲川の支流ですが。上流には戸隠神社があり、何らかの関係がありそうです。

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旧三水村に入ります。

この丘の上が林檎畑のたくさんある地域です。
私もこの上の台地に登っていきます。

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登り口の案内図・・・

最初は「三水村案内図」だったのを村の字を消したようです。

いろいろなものがありそうですね。
有名なものはないようですが、有名でないということは素朴なものということです。そういうものが好きな私は、また来て見てもいいかなと・・・

今回は通り過ぎるだけですが・・・

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坂を登ると普光寺地区、細かくいうといろいろな集落名があるようですが、部外者にはその境界がよくわかりません。今回は小さな里山を歩くつもりで、その道筋ですので・・・

三水村は明治22年(1889)に芋川村・普光寺村・倉井村・赤塩村・東柏原村および川谷村の一部(風坂組)ががっぺいしてできたむらです。この地区は旧普光寺村ということになります。

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左は昔の集落の道、右は車のための新道・・・
私は旧道を行きます。

人の暮らしを感じるにはこちらの道です。
距離的には全く変わらないのですが・・・

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お寺が見えたので、道の少し奥ですが寄ってみました。

廃寺のようですが。由来が書いてありましたので下記します。

曹洞宗 華厳山 祖雲院 この寺の本尊は聖観世音である。創建は不祥であるが当初は華厳宗で感応寺と称し観音崇拝の霊場であった。伝承としては坂上田麿呂が東国征討の際に創建となっている。
治承六年(1182)越後の城四郎長茂と木曽義仲が戦った時、堂宇は兵科にかかり全焼し。それより数所に移り、観音堂、感応寺屋敷、華厳坊等の地名あり当院の旧跡ある。承応二年(1653)
苔翁寺三世節心寛貞が入寺中興し、曹洞宗に改め現在に至る

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もう、廃寺になって久しいような・・・

石仏たちも寂しげでした。

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こんなお宅も・・・

こちらは現役のようでした。
いつまでも残ってほしいですね。

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昔の芋川村に入ります。

背後に緩やかな山がありますね。どこにでもありそうな里山・・・
どこが頂上だか・・・

これがこの日登ろうとしている鼻見城山です。

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ここは昔の三水村役場跡・・・

調べた範囲では、古い木造の役場が残っているとのことだったのですが・・・

最近取り壊されたようです。

三水村にある北部高校に勤務していたこともある義弟は亡くなったときいて驚いていました。

楽しみにしてきて。残念でしたが。これも時の流れなのでしょうね。

[ 投稿者:オコジョ at 08:51 | 山 (地域外) | コメント(2) ]

この記事へのコメント
こんにちは
三水村の林檎たべてみたいです。
合併して得るもの失うもの・・・・・
古里を遠くから思う人には変わってほしくないが本音。時代の流れで仕方ないことなのでしょうか。

茂田井もだいぶ帰ってないです。茂田井は私の思う昔をとどめていると思います。習いなどは多少ちがうかもしれませんが。
投稿者: やぶ椿 at 2017-01-06 15:24:13
やぶ椿さんへ
鉄道も幹線道路もなく大きな企業もなく・・・
あるのは林檎だけといってもいいのですが・・・
そのために私たちか忘れてとしまったなにかがこの村には、もしかしたらあるのかなと・・・
村の人には笑われそうですすが・・・

合併して得るものは中心部に多く、、外周部は少ないようです。そうしたものを今の青磁は見捨てているようです。強者に厚く。弱者には

茂田井は私の芽から見るとあまり変わっていないように思えるので屁ですが。良く知っているものにから見れば変わっているのかもしれません、
また、ぜひ帰ってあげてください。
投稿者: オコジョ at 2017-01-06 20:19:42

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