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浅間山 8月07日 (小諸市乙女湖公園より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2016年07月23日
今年の東北3 羽黒山参道 祓川へ
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バスを降りたのは随神門・・・
ここが羽黒三所権現、羽黒権現・月山権現・湯殿権現、羽黒・月山・権湯山の出羽三山の神々への参道入り口・・・


3
この石鳥居が羽黒山登拝口・・・
まず、羽黒山をめざします。今回は羽黒山だけですが・・・

山好きとしては月山でしたね。若い頃は・・・
そして月山よりは東北最高峰の鳥海山・・・

そして、どこにも登らず、今回は羽黒山・・・・
人は変わっていくものかもしれませんね。楽な方に・・・・(笑)

2
石鳥居をくぐると右にこんなに立札が・・・
たしか「たそがれ清兵衛」の作者でしたね。「たそがれ清兵衛」はテレビで見ましたが、藤沢周平さんの作品は読んだ記憶がありません。何も語れないのですが、羽黒山のある鶴岡市は藤沢周平さんの生まれた町だそうです。
出ねこの案内は昔の羽黒山の様子を良く伝えているようなので全文を載せます。

   羽黒山の呪術者たち   羽黒山
 たとえば私は今でも、羽黒山伏が吹き鳴らすほら貝の旋律を記憶している。くちに出せばブーオーオーと正確に出てくる。神秘的で。少しものがなしげで、また威圧的でもある旋律である。
私が子供のころ、彼らはそのほな貝を吹きも兜巾、結袈裟の山伏衣装をつけ、金剛杖をつき、高足駄をはいて、村にやって来た。そして家々に羽黒山のおふだを配って回った。
中央公論「周平雑言」


奥にお堂が見えますね。寄ってみます。

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ここは随神門神門の右手前にある末社、羽黒山天地金神社・・・
羽黒山元三大師堂:

このお堂は応永4年(1397)と言いますから、金閣ができた年ですね。
羽黒山の学頭の法性院尊量により創建されましたが、南北朝の兵火により焼失しています。南北朝時代は、元中9年/明徳3年(1392)に南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位して終わり告げたことになっています。しかし両統迭立(りょうとうてつりつ)という交互に南朝と北朝で天皇を交互にさせるということが守られず、南朝側の皇位の回復への後南朝と呼ばれる反抗が15世紀半ばまでつつきました。この東北の片隅でもそうした戦いがあったようですね。

江戸時代の安永8年(1779)、羽黒山大先達寺の智憲院宥然が第18代天台座主、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる元三大師(がんざんだいし)良源を祀る大師堂として再興しています。元は元三大師堂だったわけです。明治時代の神仏分離令により出羽三山から仏教的なものは排除され50を越えるお堂が取り壊されたそうです。
ここは大師堂ですからは仏式なのですが。随神門より手前ということで壊されずにすんだそうです。
昭和39年(1964)、須佐之男命を祀る出羽三山神社の末社として天地金神社になりました。
元大師堂ですから、神社らしくないのですが、神仏習合の痕跡を残すと感がえると基調といえるようです。

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「元三大師堂 開基 宥然」という石碑・・・
天地金神社が、元三大師堂だった証しですね。

元三大師の良源は、平安時代の天台宗の僧。諡号は正式には慈恵大師(じえだいし)なのですが、普通の元三大師で通っています。

何年か前に東京の深大寺を訪れた時に。骨と皮にやせ衰えた2本の角の鬼の像を彫ってある「元三大師像」に出会いました。『角大師良源の像』と地元ではよんでいるそうです。

 疫病が流行った時、元三大師は、これを救おうと弟子たちを集め、鏡に自分の映る姿を写し取るように命じたそうです。元三大師が眼を閉じ、静かに瞑想を始めると、鏡の中の大師の姿は変化してゆき、不思議な鬼の姿になりました。弟子たちは、恐ろしさに戦く中で、高弟、明普阿闍梨だけはその姿を正確に写し取りました。元三大師はその絵を見て「この絵を版木におこし、お札にして摺り、家々の戸口に貼りつければ、邪魔は怖れて寄りつかず、疫病はもとより、一切の厄災から逃れることができる」といったそうです。
お札を貼った家は誰も流行病にならず、病人全快して流行病は終わりを告げました。
この後、このお札を、このお札を角大師と称えて、毎年、新らしきを求めては戸口に貼るようになったそうです。このお札は、総ての厄災を除くそうです。
このため元三大師は、中世以降は民間において「厄除け大師」とも呼ばれそうです。また「おみくじ」の創始者だそうです。

右の岩はこのように説明がありました。

「この奇岩を通し 天を祀ったもので その昔修験者の行法を行った場所の石と思われる。麓桜小路安藤太実彌宅前の売ったものを昭和十六年三月移転」

古代信仰で、この岩の上に神が降り立つと磐座ですね。
古い信仰の名残りですね。

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随神門・・・

落ち着いた雰囲気ですね。ここが羽黒権現の神域の始まり・・・
ここから月山神社出羽神社湯殿山神社(出羽三山神社)の神域となります。
出羽三山の神域は約20キロ先の湯殿山迄及んでいたそうです。
もっとも月山と湯殿山はそれぞれに違う権現と仏を祀る神社でした。

江戸時代の出羽三山は「東国三十三ヶ国総鎮守」と云われ、紀伊半島の熊野三山(西国二十四ヶ国総鎮守)、そして九州の英彦山(九州九ヶ国総鎮守)と合わせて「日本三大修験山」だったそうです。東北地方だけでなく、関東地方からも広く崇拝され。こちらでも、あちこちで、「羽黒山「 湯殿山 月山」月山」と名の入っている石碑を見かけますし、羽黒山という羽黒山を祀った神社もあります。

権現・羽黒権現・湯殿山範囲からの尊敬を集め、多くの信徒が三山詣でを行った。

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この門は元禄12年(1699年)の建物です。この門は秋田県南部の由利本荘市にあった矢島藩が二体の仁王像と一緒に奉納した仁王門だったそうです。神仏分離後は、仁王像は撤去されに随神像が安置され随神門となりました。

9 (1)右大臣 9 (2)
随神・・・
宝暦2年大仏師大熊宮内の作品、大熊宮内については知りませんが、大仏師は有力寺院に属し、たくさんの仏師を従えて大規模な仏像製作にあたった中心人物と言いますから。偉い方のようです。平安時代の定朝や鎌倉時代の運慶・快慶も大仏師です。

随神は随身と同じ意味で、神社の門を守る神です。2人の神は門守神(カドモリノカミ)または、看督長(カドノオサ)と呼びますが、右大臣・左大臣のほうが通りが良いようです。向かって左が右大臣、右が左大臣です。反対のような気がしますが、その奥の神様から見ての左右です。

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他の神社なら御神木となって注連縄がかけられ、夫婦杉と名付けられるのでしょうね。

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山頂まで徒歩約50分だそうですが。我が夫婦は3時間見込んでいます。それで足りるかな・・・・

羽黒山に登るはずなのに随神門をくぐると道が見えなくなります。

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随神門からは、この写真の継子坂の石段を下って祓川を渡るのです。

継子坂246段・・・

羽黒山の表参道は全長約1.7kmですが、この間の2446段の石段を踏破して参拝するそうです。その約10分の1が下りでいいのかなと思わなくもないのですが・・・

昔は往復したのですから、帰りは昇るのですから同じことかも・・・・
往復4892段・・・・
もう少しで5000段・・・

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立派な杉ですね。

羽黒山表参道の両側は見事な杉並木となっています。樹齢350〜500年の。その数は400本以上で国の特別天然記念物だそうです。

ここはミシュラン・グリーンガイド・ジャポン 2009の3っ星(わざわざ訪れる価値がある )だそうです。もっとも、3っ星は100くらいあり、高尾山 鎌倉 明治神宮 国立東京博物館も、そして東京都庁もミキモト銀座も指定されているそうです。
まあ外国人向けですから、そんなところでしょうね。でもここは悪くないです。

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ドクダミの花・・・

そんな花珍しくもないと言われそうですが、この参道は何処でもこの花に出会えるといっていいくらいありました。

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ガクアジサイ・・・・

継子坂には多かったですね。
継子坂の名前は」という長い下り坂が待ち構える。呂笳(呂丸の弟子)編「三山雅集」では、その名の謂れを、むかし、意地が悪い女が幼い継子を祓川のほとりに捨てたところ、捨てた子が、母を探して這い登り、石段に小さな足あとを残したという悲しい語に寄っているそうです。

17随神門を潜ると、「継子坂」という長い下り坂が待ち構える。呂笳(呂丸の弟子)編「三山雅集」では、その名の謂れを、むかし、さがない女が幼い継子をこのほとりに捨てたところ、子は母を探して這い歩き、石段に小さい足あとを残したという昔物語に因る、としている。
仲よしの杉・・・

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石段を下りるとたくさんの摂社がありました。

20
磐裂神社(いわさく) 剣の神 生命力の神・
根裂神社(ねさく)  剣の神 生命力の神・
大年(おおとし)神社  農業神 穀物神・
豊玉姫(とよたまひめ)神社  海の神・水の神 
五十猛(いたける)神社  木種の神 材木の祖神・・・
知らない神様に出会えました。

天神社(てんじんじゃ)は菅原道真を祀った天神社(てんじんしゃ)かと思ったら、少彦名(すくなひこな)神を祀る神社でした。穀物の神・医薬の神・温泉の神です・

昔は、このほかにたくさんの仏教のお堂もあったそうです。

21
祓川(はらいがわ)の神橋・・・

祓川は、庄内地方を流れる京田川の上流です。

古くは出羽三山登拝する時はこの川の水で水垢離をとり心身を清めて山に入ったそうです。ここは山内の清僧修験が住む「山上」と妻帯修験の「山麓」とを分けた橋だそうです。

戦後になって山頂への車道がなかった頃までは、参拝者は衣服を脱いでこの川に身を浸して身を浄め山頂までの「生まれ変わりの道」を歩いたそうです。

[ 投稿者:オコジョ at 07:52 | 旅 (地域外) | コメント(5) ]

この記事へのコメント
無題
羽黒山、凄いですね。
ここは鶴岡市なんですか。
藤沢周平さん、大好きで一時期読み漁りましたっけ。
でも、この文を読んだことはあるような無いような・・・
いい加減なものですね(笑)
呪術師なんて聞くと、たまらなく魅力的ですけど。
それに偶然なんですよ。
今日の「らんまる攻城戦記」さまで、信州小菅山で出羽修験者先達の方たちに会われたという記事が出ているんですよ。
時期を同じくして、出羽三山の記事が読めるなんて、これは何かのお告げでは・・・と思ってしまいました。
投稿者: 万見仙千代 at 2016-07-23 20:26:59
万見仙千代さんへ
羽黒山は以前は羽黒町だったのですが、平成の大合併で鶴岡市になっています。
藤沢周平さんの生家は黄金村という所ですが、昭和30年に鶴岡市と合併しています。といっても羽黒山から10キロくらいです。
鶴岡城跡には藤沢周平記念館もあります。城跡には寄りましたが、記念館は入りませんでしたが・・・
飯山の小菅山は東の小菅、西の戸隠と呼ばれた修験道の山ですね。この山麓には小菅神社の里宮と、映画「阿弥陀堂たより」のセットして作られた阿弥陀堂があります。
ゴールデンウィークに里宮と、阿弥陀堂を訪ねたことがありますが、「らんまる攻城戦記」の記事にある三の鳥居の階段は雪でした。妻もいましたし、主目的は菜の花祭りだったので、奥社は雪が深くて行けませんでした。一度訪れたいところです。

母の関係で、毎日やることがあって、なかなか歯黒さんのアップが進みません。少しずつ進めたいと思っています。
投稿者: オコジョ at 2016-07-24 09:06:14
こんにちは
元三大師さま。我が家も貼ってました。
今もお寺から配ってくるらしいです。懐かしい戸口に貼ってあった鬼のようなやせた姿がもい出されます。また話の中で再会できてうれしいです。
投稿者: やぶ椿 at 2016-07-24 10:44:12
やぶ椿さんへ
こんにちは
前に深大寺の元三大師さまを紹介した時に茂田井では貼っていたとコメントを頂きましたね。小諸でもないかなと思っているのですが、まだお目に書かれていません。

茂田井に行けば見られるかな・・・
小諸から立科行のバスがなくなって茂田井も行きにくくなりました。
でも、また行こうと思っています。
投稿者: オコジョ at 2016-07-24 17:33:31
万見仙千代さんへ
おはようございます。
信州は戸隠・飯縄・小菅ですが、羽黒山はスケールが違うようです。
隋神門から本殿までの距離も標高差も倍そして2446段の石段とその間をつなぐ石畳が切れ目なく参道を敷き詰めています。
関東から多くの人を集めて芭蕉も・・・

ミシュランの3っ星はそれほどの価値があるとは思いませんが、ここはもっと大きな世界があるようです。
投稿者: オコジョ at 2016-07-26 08:27:45

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