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浅間山 (12月1日 小諸市滝原より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度もおなしを繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2014年09月06日
旧志賀村散歩(佐久市)2 赤壁の家
1
昨日、降ら側から紹介した志賀中宿の「赤壁の家」です。「赤壁御殿」という名で呼ばれる、三百年以上を経た小民家です。志賀は旧家が多く、特に神津家の赤壁の家と黒壁の家は知られています。

赤壁の家は以前に紹介していて内容もほぼ同じになりそうですが、前回からだいぶ時が経っていますので、取り上げてみます。


2
この赤壁の家の神津家は、長野県の名家の一つに数えられる豪族豪農だったそうです。明治末から、昭和初期にかけて、この家の当主の神津猛は信濃銀行を興し、佐久の養蚕、製糸業の振興に貢献、産業を支えた一人だったそうです。

しかし、昭和4年(1929)ニューヨーク・ウォール街に端を発した世界大恐慌は、日本の銀行の三分の一を潰してしまいました。神津猛が経営する信濃銀行も没落し倒産し、神津家も破産同様となり、その処理のため田畑山林などを失い、この家屋敷だけが残ったそうです。

3
神津猛は志賀村の村長を勤めましたが、島崎藤村との親交がありました。

日露戦争により、藤村の勤めていた小諸義塾への小諸町からの補助金が三百円削減され、二十五円の薄給となった藤村は六十円という母校明治学院からの誘いを受けます。それに答えて上京を決意しますが、藤村の去るのを惜しむ職員たちは月給二割削減をして藤村に回すこととして慰留します。神津猛は、その話に感動して職員の削減月額の一部の助けにもと、五十円寄付することを申し出ています。この話を聞いて、藤村は感激して小諸義塾に一応留まります。

藤村は詩人から小説家に転向することにし「破戒」を出版します。出版費用は奥さんの実家からの目処がたっていたが、出版までの生活費にと四百円を神津猛に借用を願い出ます。今の四百円は何もできませんが、当時の四百円は今の約二百五十万円の高額です。当時二十三歳の神津猛にも大金で、子供の養育費など工面して三百九十円を用立て「破戒」は出版となります。その後もフランス滞在費の援助など旅の費用の援助もあり、総額は一千八十円にもなりました。しかし藤村が返金したのは八百六十円だったそうです。
神津猛なくして、その後の藤村はなかったのかもしれません。

藤村だけでなく神津猛の「赤壁の家」に招かれたのは田山花袋、室生犀星、有島生馬、小山内薫、柳田国男、高浜虚子、三宅克己、丸山晩霞など多彩な顔ぶれでした。

この家は佐久の文化、いえ、日本の文化に貢献したようです。

6
家のまわりのこの赤壁の蔵は、そのほとんどが年貢米を納めた米倉でした。蔵は年貢米を守る城壁だったようです。

7
江戸時代の天明の浅間山の大噴火は鬼押出しを作り宅間さんの犠牲者を足したことで知られています。
そのあと、上州は浅間の降灰で、大凶作になってしまい天明の大飢饉と一旦となりました。当時、上州側は畑作中心で、米は佐久に中心の農業だったそうです。飢饉で食物を失った上州の農民たちは県境の内山峠を越えて、神津家を襲ったそうです。それだけよく知られていたようです。農民たちは建物を破壊、土蔵の米をはじめ、多くの物を略奪していったそうです。

8
佐久で四百年続くといわれる豪農だった神津家ですが、根っからの信州人ではないようです。

神津家の初代は古文書より系図をおこしたところ、南北朝時代の神津町田という人で、藤原朝臣、藤原房前(北家)の後裔と伝えられているそうです。そして、伊豆七島の神津島により、信濃国の佐久移り住んだと言われます。神津は神津島からとられているようです。もっとも、神津家が住んだから神津島かもしれませんが・・・

現在。佐久市と神津島は神津が取り持つ縁として交流があるそうです。

9
四百年続くといわれる神津家ですが、南西側のこちらの建物は元禄15年(1702)の建物だそうです。この建物の柱には、木をはめ込みがあります。百姓一揆に襲われた刀傷を直した跡とか・・・

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これはこの補修のあとも、江戸時代のものかな・・・

信州で志賀というと、志賀高原を思い浮かべますが、志賀高原を開発し世に紹介したのは、赤壁の家の分家の神津藤平です。彼は長野電鉄の創立者です。志賀高原には志賀山という山があるのですが、その山の名と故郷の志賀村を合わせて、志賀高原と名付けたそうです。

藤平の弟神津傲佑は、東北帝国大学初代の地質学教授をつとめ、当時不明だった水晶の結晶構造を世界で初めて解明する偉業を行い、日本学士院会員の第七番目の会員だったそうです。また羽田孜元首相は神津藤平の孫です。

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私も以前来た時に「黒壁の家」を探してたのですが、黒壁などない・・・

このブログでも、見つからなかったとアップしたのですが、神津一族の末裔さんが、コメントを頂き、この家であることを教えていただきました。その部分のコメントを引用させていただきます。
「黒壁の家は無くなっていません。現在も赤壁の家の隣りに有ります。
黒壁とは壁が黒く出来ていたのでなく 明治初期 神津九郎衛(大地主)さんと言う当主の名から「黒壁」と言われるようになりました。
毎年8月1日に黒壁一族が集まり、3ヶ所の先祖の墓(鎌倉時代〜現代の墓)と菩提寺の法禅寺にお参りして先祖祭りと食事会をしています。(以下略)」 


神津一族の末裔さんありがとうございました。

この写真かと思ったのですが、黒壁の末裔さんから、この建物ではなく、赤壁の家を挟んだ東側の建物だそうです。写真は場ありませんがいつかアップしたいと思います。
黒壁の末裔さん ありがとうございました。

神津家は一四代前に二つに赤壁と黒壁の二つに分かれたそうです。
片方が赤壁なので黒壁と対比させたようですね。

300
このお宅も立派です。この村は豊かな村だったようです。

赤壁の家だけでなく、志賀からは素敵な人材を輩出しています。

志賀は志賀高原ですが、神津というと群馬県の神津牧場が有名ですね。ここから内山峠を越えると神津牧場です。日本の牧畜産業の草分けですね。その牧場を始めたのは、黒壁の家の神津邦太郎氏です。

ほかにも、神津の人たちには、中村メイ子さんの御主人の作曲家の神津善行さん、大正から昭和に日本の洋画の世界に活躍した神津港人さん・・・
ここは、佐久を代表する産業や文化を広めた人材を輩出した場所であるようです。
[ 投稿者:オコジョ at 08:02 | 佐久市 | コメント(7) ]

この記事へのコメント
佐久らしい景色です。
長野牧場も直ぐ近くですね、
下のコメントの人が、旧郵便局と書かれていましたが、現在も郵便局で旧では無いですよね。

ストリ-トビュ-で熊野山法禅寺は直ぐ解りました。
寺の墓場が有る場所から赤壁の家が見えるかと
グ-グルで探しましたが解りませんが、
郵便局の近くで聞けば解るでしょうか?

小倉観音堂は山の中に有るようですが、歩いていかなければ辿り付けない場所なのでしょうか?

車は法禅寺に駐車出来るかも知れませんね。
何にしても、
信州の風情が良い場所ですね、すっかり魅かれてしまいました。
行きたいです、行って来たら画像をアップしようと思ってます。
投稿者: よはち at 2014-09-06 10:14:52
解りました
赤壁の家は、法禅寺の前、宮沢酒店の相向かいですね。
後ろへ山を背負って、全面は南へ開放され幹線道路へ接する申し分ない立地条件ですね。

そして、この地は寺が多いですが、其れだけ集落の繁栄があったという証拠なのでしょうね。
投稿者: よはち at 2014-09-06 12:11:42
与八さんへ
この時は北中込から法禅寺までタクシーで行き、長野支場の中をヤギを見ながら行きました。

現在の郵便局のところのお宅も素敵ですが・・・

赤壁の家は道からよく見えます。独特の赤い壁ですぐわかります。

小倉観音堂へは直下まで車で入れたのですが、今は道が陥没して通行止めでした。
通行止めでないとしてもものすごく急な道・・・
四輪駆動なら何とかという感じでしょうか・・・
小倉観音堂は明後日に紹介する予定です。

参道入り口から、観音堂まで急な道ですが、歩いて一〇分くらいですので、行ってみてください。

志賀上宿の雲興寺の裏山には戦国時代にこの地を治めた笠原氏の志賀城がありました。武田信玄はこの城を責めるときに生首三千を吊るして脅したと・・・
信玄の残酷さを示す話です。どこまで真実かは不明ですが・・・

志賀村には六つの笠原氏の山城があり、居館は雲興寺あたりにありました。そうした意味からも、ここは上州の重要な道筋でもありそういう意味では繁栄とは言えなくても、重要な土地だったようです。
投稿者: オコジョ at 2014-09-06 16:06:41
こんにちは。
あのレトロな建物は、旧ではなくて現役の郵便局なんですか!
今度行った時は中に入って、切手1枚でも良いから買わなくては。
「黒壁」
本当に白壁なんですね。
これは分からないわ。
神津家のこと、色々勉強になりました。
有難うございました。
そうそう、9月28日に行われる 「まちじゅう音楽祭」(佐久平駅前の公園で開かれます) に、神津善行氏がいらっしゃるそうです。
投稿者: 万見仙千代 at 2014-09-06 17:02:00
万見仙千代さんへ
こんばんは
素敵な建物ですね。
残念ながら現役の郵便局ではありません。
コメントを頂いたよはちさんは、私のいい加減な文から、赤壁への家がどこかと考え、今の郵便局近くと考えたようです。
このブログは観光案内というより訪ねたところの印象中心なので、万見仙千代さんと、よはちさんには、誤解させてしまって申し訳ありませんでした。
元郵便直というのも、私の妻の記憶で正式には未確認で。旧志賀村役場というのが正しいようです。

「黒壁」と言われれば黒い壁を探しますよね。私よりも、確信犯ですね。もっとも地元の人はみんな知っているので、問題はないのでしょうね。
でも、場所を聞こうにもこの集落は滅多に人に会いませんから・・・
こうなるようです。

「まちじゅう音楽祭」にも出るのですね。天気がいいといいですね。
9月28日は松原湖に左手のピアニストの舘野泉さんのコンサートに行く予定なので、伺えませんが・・・
そういえば、バッハ・コレギウム・ジャパンのメサイアお聞きでしたね。
私も数年前に聴きましたが、本当に素晴らしいですよね。
投稿者: オコジョ at 2014-09-06 19:52:53
黒壁の写真誤りです
黒壁の家は赤壁の東隣の家です。
投稿者: 黒壁の末裔 at 2018-10-06 23:57:23
黒壁の末裔さんへ
ご訪問ありがとうございます。
そしてご指摘ありがとうございます。越して大変失礼いたしました。
本文を訂正いたしました。
また行く機会がありますので、その時に見させていただきたいと思います。
投稿者: オコジョ at 2018-10-07 08:39:30

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