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浅間山 10月9日 (小諸市飯綱山より)
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 このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2014年01月28日
富士見城と飯綱山公園
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小諸高原美術館の2013 ADC展」のあと、折角ですから飯綱山公園を少し歩いてから帰ることにしました。

「歴史の広場入口」・・・
カモシカ君がお迎えです。
ここから飯綱山に登ります。ここだけはちょっと急ですが、標高差は僅か十数メートル、ほんの少しの散歩です。


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登るとこんな塚があります。
この塚は、山城や、戦いの本陣などではよく見られる旗塚です。旗塚は文字通り旗を立てた塚で、ここが城の入口というしるしだったようです。

飯綱山一帯は、戦国時代の富士見城と呼ばれる山城でした。いまは山頂付近の主要部分が「飯綱山公園 歴史の広場」として、整備されています。

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旗塚から見た富士見城跡・・・
緩やかな山頂ですね。
この道を歩いていきます。

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ここは五の郭跡、ここが城の東の端です。
戦国時代はここに入口の木戸があったそうです。
といっても何も残っていません。
木戸があったのは間違いないと思いますが、ほかに建物があったかどうか…
あったとしても粗末な小さな小屋だったでしょうね。
ここは戦いの場、居住のための場所ではありませんでした。
山城はみんなそうでした。

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馬頭観音・・・

ここに昔からあったのかどうか・・・
公園にしたときどこかから移したのだと思います。

昔はただの草原の山でした。

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四の郭・・・
郭には土を盛って築いた土塁のあとがあります。
四の郭は主郭の前、主郭を守る重要な郭だったようです。

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見晴らしのいい場所ですね。

富士見城は、このあたりの地名から、大室城ともいったようです。
この城は小諸城の前身の鍋蓋城の支城として大井氏がつくられたといわれます。もっと古く、大室の土豪、大室氏が鎌倉時代に築城、居城だったという説もあります。
いずれにして、この城については史料が乏しく詳しいことは判っていません。

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浅間山を一枚・・・

戦国代後期になると、武田の支配下となり、武田滅亡後は徳川軍の城とかわっていきました。


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この橋の向こうが本廓・・・
この木の橋は公園としたときに作ったもので、戦国時代にはなく、尾根を掘り込んだ空堀で、敵を食い止めるようにした堀切という防御の施設でした。

この城には堀切の跡と考えられる遺構が5ヶ所ありますが、ここは幅15m、深さ5mと一番大きく、本廓を守るという強い意志を感じます。

その重要性を示しているようです。

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木の橋を渡ると本廓です。右端が渡ってきた木の橋です。

建物は公園の東屋、左側に三角点が見えています。ここは飯綱山の山頂です。


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ベンチとテーブルも雪が使用中・・・

本廓は本丸のことですが、江戸時代の城のように御殿があったわけではないですが、城主が寝泊まりしたり、作戦会議をする建物、物見の櫓も、あったことでしょう。

二の廓
本廓からの二の廓とその間の堀切です。

右の雪のあるところが本廓です。


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本廓から先へ西に進んだ二の廓との堀切です。
右の雪のあるところが本廓です。

二の郭には東屋、物見やぐらがありますが、当時のものではなく飯綱山公園として、整備したときに作られたものです。

ただ、山城のころには、城の中心の施設があったようです。兵士の詰所や、武器庫、食糧庫などがあったことでしょう。

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二の郭から小諸市内を俯瞰しています。

二の郭には「関東富士見100景」の石碑があります。
富士見城という名前の通り、ここから富士山が見えます。
富士山だけでなく、遠く八ヶ岳、蓼科山、北アルプスの素敵な眺望を楽しめるのですが、
この日は、あいにくと見えませんでした。

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一番広い三の郭です。

広い芝生になっていて、子供を遊ばせるには良いところです。

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富士見城には、このような石垣があちこちで見られます。

この石垣は現代から見ると簡単なものですが、戦国時代の城において、これだけ
多くの石垣で囲こまれた城としては、保存状況が良く少なく貴重だそうです。
石垣は武田時代からは築かれたとされていますが、天正13年(1585)第一
次上田合戦の際に石垣などの整備したとも伝わり、信州では徳川軍が石垣を整備
した唯一の城なのだそうです。

[ 投稿者:オコジョ at 08:52 | 小諸 風景 自然 | コメント(4) ]

この記事へのコメント
今晩は
歴史を知っていて、確かめて歩くのもロマンですね。
そのころの浅間山はどんな形だったのですか。噴火を繰り返していたのですかね。
見晴らしがよいところですね。そんな景色の所で身をさらしてみたいです。
昔の人も信州の山々を見入ったのでしょうか~
歴史の広場として、いつまでも残ってほしいですね。
投稿者: やぶ椿 at 2014-01-28 18:07:14
こんばんは
さほど標高が高そうではないのに、富士に八ヶ岳にアルプスとは、いい眺めでしょうね。
この浅間もとても綺麗です。やはり浅間も雪がある方が美しく見えますね^^
投稿者: われもこう at 2014-01-28 21:58:25
やぶ椿さんへ
今晩は
何度も訪れているばしょですから・・・
でも、やはり、歴史を知っていると見る目が違うのかもしれません。
知らなけれはただの公園ですね。
浅間山は、その時代も噴火を繰り返したいたようですね。
今はおとなしくしていますが、いつまた、噴火するか・・・
投稿者: オコジョ at 2014-01-28 22:07:46
われもこうさんへ
こんばんは
ちょっとした小山ですが、周りに高いところがないので、展望はいいですね。
富士山は9合目以上しか見えませんが、こちらでは貴重です。
ここからの浅間は少し高いので、なんとなく対等に見ているような気になります。
里から見るのと少し違います。
投稿者: オコジョ at 2014-01-28 22:12:10

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