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浅間山 (4月12日 東御市滋野駅付近より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2012年12月16日
長良川温泉川原町散策
1
予定は未定でしばしば変更・・・

この日の予定は犬山城・明治村・モンキーセンターの予定でしたが、折角、岐阜城の麓にいるのだから岐阜城によることにして、明治村・モンキーセンターは割愛となりました。
名古屋城・岐阜城・犬山城となにか城めぐりの旅となってしまいました。
城マニアではないのですが・・・

岐阜城のロープウェイの時間まで僅かですが、長良川温泉川原町を散策することにしました。ほぼ、ぶっつけ本番の散歩です。

ホテルから長良橋に向かい、その先の川原町へと鵜飼船を見ながら目指します。
10月15日で鵜飼は終り、来年5月まで船も休んでいます、
修理や手入れなどもおこなわれるのでしょうか。


3
長良橋の袂の小さな公園に、ノーベル賞作家の「川端康成ゆかりの碑」があります。

宿泊したホテルのところで、一寸触れましたが、川端康成が岐阜を訪れたのは大正十年頃友人と三回あったそうです。目的は想いを寄せた女性に会うためだったそうです。短編小説「篝火」「非常」「南方の火」にわたって問しています。
「篝火」では二人は結婚を約束をして長良河畔の宿の二階から、長良川の鵜飼船を見ているそうですが、実際には結ばれませんでした。

2
「川端康成ゆかりの碑」のある公園に「稲葉山古城主 斎藤道三公墳」とかかれた碑がありました。斉藤道三の墓がここ・・・
それにしては何か変です。

小さく「従崇福寺従是西約壱丁西北八丁」が曲者です。崇福寺まで是より西約一丁、北西に八丁」という道標・・・
ここに一介の油売りから美濃を手に入れた「国盗り物語」斉藤道三はここに眠っているわけではないようです。調べてみると道三の墓は岐阜市の常在寺で、崇福寺は織田家の菩提所だそうです。ただ、その近くに斉藤道三を祀ったと言われる「道三塚」
ガあります。ここは道三を埋葬したのですが、その後、長良川の洪水の度に流されたそうです。

それにしても紛らわしい碑です。

3-1
おもしろうて やがて悲しき鵜舟かな

鵜飼を詠った芭蕉の句碑もありました。
「奥の細道」のあと、元禄元年(1688)の「笈の小文の旅」の旅の最後に、大坂から江戸に帰る途中に岐阜で1ケ月滞在したときの句だそうです。

「やがて悲しき」が、物事を深く見つめる芭蕉らしさがあるようです。

鵜飼は日本独特のものではなく、奈良時代に中国から伝わり、日本中で行われた漁法だったそうです。

5
「長良川鵜飼 うかいのりば」10月半ばで鵜飼シーズンは終っています。

長良川では大宝2年(702)」に鵜飼のことがかかれていて、古くから行われたようです。そして、その後朝廷に保護それ、現在まで伝わったそうです。

また、岐阜城の織田信長も鵜飼を好み、鵜匠を保護し、朝廷にも鮎を献上したという記録が残っているそうです。

7
川原町の街並みです。

川原町という地名があるのではなくて、鵜飼観覧船のりばから続く湊町・玉井町・元浜町の3つの街並みを地元ではまとめて川原町と呼んで親しんでいるようです。

湊町・玉井町・元浜町の境目は私にはわかりませんので、私もすべて川原町としましょう。

まず気がついたのは、すっきりしてきれいな街だなということことです。
電線がないのですね。電線の地中化が行われているのですね。

写真を撮影するとき、いつも思うのは電線が邪魔だなと・・・
私の訪れたドイツの町もきれいだなと思ったら、電線の地中化されていました。

6
素敵な雰囲気ですね。
何のお店だったのでしょうか・・・

川原町についてはよく知りませんので、現地にあった案内板に御願いします。

川原町(湊町・玉井町・元浜町の由来)
 斎藤道三・織田信長のころ(十六世紀中頃)から、この辺りは中川原(明治初期には富茂登村)と呼ばれ、市場が開かれ、商業の処点としていたようです。道三は城下町をつくるにあたり、ここから上にかけての場所に川湊を設け、長良川の上流域で豊富に産する美濃紙・木材・茶などや当時のブランドの関の刃物をここを中継地にして全国に売りさばいたと考えることができます。


川湊は川の港のことですね。
昔は、港の水の上部分が「港」で陸の上が「湊」と区別したそうです。

9
長良川温泉の宿の入口近くの「手湯」玄関脇に『手湯』があります。
長良川温泉は単純鉄冷鉱泉です。冷鉱泉とあるように、源泉15℃で加熱をしています。また、鉄分を含むため、空気に触れるとが茶褐色に変わります。

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江戸時代になると尾張がここを治め、長良川役所が置かれました。ここを下る荷船から、船役銀(通行料)を徴収しました。荷の種類は竹皮・酒・炭・紙・木・茶・米など多様でした。それらを取り扱う紙問屋・材木問屋などが軒を連ねていました。

紙は美濃和紙ですね。良質な和紙として知られています。
奥美濃で作られる和紙ですが、長良川の上流で刃物でも有名な関市寺尾地区が特に有名で、その和紙は奥美濃から長良川の水運を利用して、川原町に集まり、全国にうられていきました。そして、ここは美濃和紙扱う問屋町として栄えたようです。

「美濃和紙」をつかった工芸品には岐阜提灯、岐阜和傘、岐阜うちわなどがあります。そうした店もありましたが、朝早く閉まっていました。

11
袖壁(そでかべ)のあるお宅が目立ちました。
袖壁は卯建(うだつ)に似ています。
卯建は「ウダツがあがらない」のウダツです。切妻屋根を屋根より一段高く上げその下に袖壁をつけた「本卯建」でした。「火回し」という呼び方もあり、防火が目的でしたが、目隠し・防音の役割もあったようです。袖壁が、装飾性を強めていったものといえるかも知れません。明治になると屋根とは関係なく、より装飾的な独立した「袖卯建」となり、その家の豊かさを誇示し、富裕の家の象徴として「うだつがあがらぬ 」という言葉も生まれました。

でも、個人的には、立派な袖卯建よりも、本卯建や袖壁の実用性高い「用の美」のシンプルさに惹かれます。

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タバコの自動販売機も町並みに溶け込んでいました。

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知ったようなことを書いてますが、この時はただ、素敵な街並みたなと・・・

ここは国、県、市から河畔をゆったり散策できる整備計画により、平成13年(2001)に、まちなみの保存と住民の暮らしの共生を目指したまちづくり団体「川原町まちづくり会」をつくり、寂れた町に丸い昔ながらの門灯が灯し、町屋再生が行わいこのような姿になったそうです。
確かに、良くあるように、商家や蔵を改造した商業施設が目立ちますが、消えて行くよりいいのでしょうね。

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屋根神様です。
こうした高いところに祀られているのは火伏せの神の秋葉大権現を祀る秋葉神社ですね。このような小さな祠が多く、こうした高いところに祀られています。町内の入口と出口という例が多いのですが、このようにその間に何箇所も祀られていることもあります。火事は恐いですね。これから多くなりますので、皆様ご注意ください。

17
ここは取り壊し中・・・
新しく昔風に立て替えられるのかもしれませんね。

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長良川温泉川原町庚申堂がありました。

この庚申堂は、斎藤道三の子、斎藤義龍が建立したと言われています。
庚申は十干と十二支を組み合わせた暦の日です。人の体の中には生まれながらに道士の姿の上尸、獣の姿の中尸・牛の頭に人の足という三尸(さんし)という3匹の虫をもっています。人の中にいますので小さく姿の下尸で大きさはどれも2寸だそうです。一寸法師より大きいですね。2寸は6センチくらいです。

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庚申の日に人が寝ている間に、三尸は道教の最高の神である天帝にその人間の悪事を告げ口に行くそうです。罪により、寿命が縮まったり、重いと命が奪われます。それは困ると、庚申の日は夜通し眠らないで、天帝や猿田彦や青面金剛を祀り宴会をするのが庚申講(庚申待ち)です。悪いことは、「見ざる・言わざる・聞かざる」と三猿がいらっしゃいます。

25
この話、最近書いたばかり、耳にタコができてしまいますね。

庚申堂の前のこんなお地蔵さんで和んでください。

31
ツワブキの花・・・・

佐久ではあまり見かけません・・・

[ 投稿者:オコジョ at 08:49 | 旅 (地域外) | コメント(6) ]

この記事へのコメント
無題
昔の街道の残り香が感じられていいですね。
こんな街に行ってみたいものです。
古い家が壊されているのは仕方がないことだとわかってはいても、心が痛みます。
最近の壊し方は本当に壊す・・で解体というような丁寧なものではないからなおさらです。
投稿者: mokuzousi at 2012-12-16 16:03:19
センス
電柱電線がないだけでこんなにもすっきりするものなのか。いいですねえ。
もちろん電線を地中化したのですから建物にも同じように気を配っていることでしょう。
投稿者: 謫仙 at 2012-12-16 17:39:34
mokuzousiさんへ
もともと、素敵なものは持っていたようですが、昔風に作り直した部分も多いようです。
でも、そうして、残していくことにより町が活性化するのは素敵なことかもしれません。
こんな街に行ってみたいものです。
壊されている家は昔風に建て直されるのだと思いますが・・・
昔のものが失われるのは事実で寂しいことです。

最近はある程度部位類して壊しますが、最後は重機で一気に・・・
そして、そのまま、空き地というのが増えて残念です。
投稿者: オコジョ at 2012-12-16 21:57:27
謫仙さんへ
ここは新しい建物はその町にマッチするようにしているようです。
ドイツのハノーバーは戦争で壊滅的な被害を受けましたが、中心街は以前の様な外観に建てる様な規制がると聞きました。やはり電線は地中化されていました。

電柱電線は写真の邪魔ですね。
私の町でも、懐古園が電線を地中化してすっきりしました。
投稿者: オコジョ at 2012-12-16 21:58:13
無題
オコジョさんの川原町散策記事、なるほど!と思いながら拝見しました。
川原町、なかなか良い街でしょう?
赤いポストのあるお店は、蔵を改造したカフェなんですよ。
電気ピアノがあり、時折りコンサートもやっています。
店内では年が明けると時代物のお雛様も飾られます。そして女性が好きな小物も販売されていますよ。
投稿者: ハーモニー at 2012-12-18 12:32:48
ハーモニーさんへ 川原町
早い時間で店はみんな閉まっていましたので、町並みだけなのが一寸残念でした。
生活の場として待ちを見ていないので、一面しか見ていない恐れがありますね。
いろいろと、街づくりに意欲的な町のようですね。
長良川の清流近く、素敵な町でした。
投稿者: オコジョ at 2012-12-18 18:30:57

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