
樹の影ですが、次の岩・・・
布杭岩という意味はどういう意味なのでしょうか、布の杭というのは、もうひと
つピンときません。布を掛けたの杭が並ぶと言うのでしょうか。

ようやく、それらしい岩穴を見つけました。
諦めなくてよかったと・・・

山の中にこんな岩小屋があったら、良い泊まり場になるのになんて、つまらない
ことを考えました。よく行った八ヶ岳の地獄谷にはたくさん岩穴があったっけど、
こんなに立派なのはなかったと・・・

中には洞窟の高いところから、准胝観音(じゅんていかんのん)様が、お前は誰
だというように見下ろしていらっしゃいました。
准胝観音を意識してみたことは初めてのようです。
准胝観音はヒンドゥー教の女神ドゥルガーが、仏教に観音に加わったそうです。
准胝観音は「准胝仏母」、「天人丈夫観音」「七倶胝仏母」などとも呼ばれます。
最後の「七倶胝仏母」は「七千万の仏の母」という意味出そうです。
これは人々を救済するために、七千万というたくさんの多くの仏を生み母となっ
たということです。

一般的には観音を男性とされています。でも、観音の姿を見るといかにも女性
的で、本来は女神ではないのかと、でも、准胝観音はれっきとした女神のよう
です。
准胝観音は六観音(または七観音)の一つです。
天台宗、准提仏母という名前から女性だから観音ではないというのいでしょうか。
六観音ではないとはずされています。そして、准胝観音を描いた仏像・仏画は、
極めて少ないようです。

星のような穴が上に・・・
ここは観音様が背住むには素敵なところかも知れません。、
ここのご詠歌は
「誓ひには我も昔といくひかげ 今日来てをがむ布杭の岩」昔は多くの人が訪れたのでしょうか。しかしネットでは布杭岩は不明の部分が
多いと『原田昭男編者の佐久三十三番観音・札所めぐり』に書いてあるとあり
ました。歴史とか、どういうか人が守ってきたかなど・・・

案内がありました。こちらが正しいの参道です。ただ、国道には何の案内もなく、
ここまで来る前に迷いそうです。
ここから左側に竹林の中をたどると布杭岩に行けます。
訪れる人も少ないようです。寂しいことではありますが、秘密の場所のような不
思議な雰囲気があります。

見事な氷柱でした。

布杭岩はこの写真の左側の林の中にあります。
この立派な家と岩が目印となりそうです。

右の国道をから、左の道の佐久往還に入ります。
このあたりから、旧佐久町の高野町地区に入ります。
八千穂の上畑宿の隣の宿場でした。

このあたりは布杭岩の続きの岩が立派です。

岩に背後に馬頭観音が岩の上にありました。
何か威厳を感じます。
長い間、旅人を見守っていたのでしょうか。
最近は人が少なくなったと思っているかも知れません。

落葉松の林・・・

高野町宿の外れにある桂霄寺(けいしょうじ)に着きました。
ここは佐久三十三番観音札所第二十五番岩屋堂はこのお寺内にあります。
岩屋堂の前に桂霄寺を見てみます。

ご利益がありそうな参道の石段です。
桂霄寺は永禄2年(1559)曹洞宗長源寺九世の為景清春の開創と云われます。
調べて見ると曹洞宗に長源寺というお寺は多いようです。為景清春のいた長源寺
は上州の後閑だそうです、佐久市の医王山泉龍院も為景清春が創建して桂霄寺と
共に為景道場と称したそうです。

桂霄寺は明治21年に火災のため焼失したそうです。
再建されました。
に火災のため焼失し再建されたものです。
三年ほど前の1008年11月に120年ぶりに再建された焼失した山門が120年
ぶりに再建されたそうです。そういえば、この前、来たときは山門の工事中で、
参道の石段から入ることは出来ませんでした。
三年たちますが、まだ、真新しさが目立ちますね。
どんな建物でも新しいときがあります。この山門も歴史を加えて、重みを
増していくのでしょう。

創立当時は高野町宿の相生町という場所にあったそうですが、江戸時代の延宝年
間に宿外れの高台のこの地に移ったそうです。約0.7㌶の境内に大伽藍があった
そうですが、前述のように、明治21年に焼失してまっています。

本堂です。
このお堂も明治のもののようです。庭とマッチして風情がありました。
桜もあり、花の時期は綺麗です。