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浅間山 5月08日 小諸市耳取より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や記事に関係のないコメント、英文のコメントは、予告なく独断で削除させていただきます。

2011年04月15日
御牧ヶ原(小諸)2 御牧ヶ原の池を巡りて
1
読書の森から畑中の道を「丘のブランコ」に向かいます。

今回は小諸市観光協会が発行している「信州こもろ風景遍路ガイドブック」の
中の「御牧ケ原・・空と丘と森の詩」のルートを追って見ます。
もっとも、だんだん良い加減になって最後は支離滅裂になった気もします。

このガイドブックは小諸のNPOの『小諸町並み研究会』が編集していますが、
御牧ケ原は読書の森のマスター依田すろうりいさんと常連の人たちがまとめてい
るようです。写真は『信州・浅間山麓から』の蒼山庵さんのものだと思います。

2
ここはガイドブックでは「丘のブランコ」となっています。
読書の森に集まる人たちは、マスターと蒼山庵さんしか会ったことがないのです
が、いつまでも若くて、ユーモアと夢のある方々のようです。

「ブランコ揺れて お空も揺れる・・・」という童謡がありました。
子供の頃、誰もが空高くと一生懸命漕いだことと思います。
そんな思い出を懐かしみ、浅間山や北アルプスが微笑む
御牧ヶ原の丘の上の赤松の樹にそっと懸けたのかもしれません。

まだ、ブランコの季節には早いようで、ブランコは幹にくくりつけてありました。
高原の風がブランコをそっと揺らす、そんなことを思い浮かべました。

3
丘のブランコのそばのため池の向こうに浅間山がありました。

東京の桜などのアップを先行してしまい、ここの風景は3月末のものです。
浅間山はもうこんなに雪はありません。

5
浅間山を仰ぐ素敵な原に御牧ヶ原ですが、ここは農民にとっては厳しい場所でした。
御牧ヶ原台地の年間降水量は800〜900ミリです。同じ長野県でも南部の伊那地方
の半分以下という全国でも有数の少雨地帯です。その上、周囲を千曲川、布施川、
鹿曲川が台地を囲んでいますが、台上には河川がなく、全く、農業には適しさず、
明治時代までは開墾の記録の無い不毛の地といってよかったようです。

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明治に廃藩置県で小諸藩は解体、藩士は失業します。その失業対策が御牧ヶ原へ
の入植でした。旧藩士は刀を鋤や鍬に持ち替えて溜池をつくり水田を開きました。
明治、大正、昭和と、この土地の強粘土を活用し、200余のため池を造り、田畑を
ふやしていきました。明治20年には370町歩の土地が開拓されていたとあります。
水はこのようなため池が頼りなのですが、ため池の水は降水量の少ない天水のみ
で、極めて不安定な農業を強いられ続けました。

7
のんびりと散歩するは私にとって、素敵な風景だなと思ってしまうのですが、
昔の農民にとって、このため池は命をつなぐ生命線という大切なものでした。

8
御牧ヶ原で一番大きい溜め池、千間無(ヒマム)池です。
人工池の感じが強いのですが、この地では大切な、灌漑池です。
私の想像ですが、多分、わりと新しいのではないかと思います。少雨地帯の天水
でこの池を維持するのは無理だと思われます。

9
すこし離れて千間無池をもう一枚・・・

昭和37年から47年、ここから20km離れた今は蓼科山の女神湖と呼ばれる湖の
前身の赤沼ため池水をこの台地に導びくいう工事が行われました。
この間には鹿曲川が深い谷を形成しているため、サイホンの原理を用いて、女神
湖から、台地より低い鹿曲川に下った水はサイフォン管で100メートル以上台地
に御牧ヶ原台地に、押し上げられ御牧ヶ原を潤します。
恋して、長い間苦しんだ、干害から抜け出すことができました。

10
その後、蓼科山の細小路川の水もサイフォン管で御牧ヶ原台地に供給されるよ
うになり、こうした大きなため池が作られ、この台地に安定して水が潤い、こ
のように豊かな水田と畑が広がっています。

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小さないろいろな地図を見ても名前が無い池なのですが・・・
この池は好きなのです。

御牧ヶ原は小さな池が多く、200もあるとため池に名前は付けきれないでしょうね。
地元では、でも、どこどこの池というように通称があるのかもしれませんね。
200もあって、私はそりほんの一部しか知りません。

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この池の畔にガイドブックにある「こぎつね天文台」です。
読書の森の常連さんが、自分で手作りで建てたそうです。

このあたりは狐がすんでいて、良く出てくるそうですが、「こぎつね天文台」の名
はこのあたりの小字が「狐塚」ということからきつね塚の小さな天文台、可愛ら
しい命名です。このあたりは人家も少なく、星が良く見えそうです。

読書の森の常連さんたちは浅間の素敵なこの台地が気に入って、移ってこられた
方が多いようで御牧ヶ原が好きたまらず、いろいろな名前をつけたようです。

15
狐塚の池ですから、きつね池と勝手に呼ぶことにしましょうか。
きつね池の畔に懐かしいような茅葺小屋があります。

江戸時代にはこのあたりにはほとんど家は無かったはずですし、この池もなかっ
たでしょうから、明治以降のものだと思います。明治の初めに、小諸藩の藩士た
ちが入植した時はこんな小さな家で開墾していったのかもしれません。

20
長野県農業大学校小諸キャンパスです。
大学校となっていますが、長野県が運営する専修学校です。
21世紀の農業・農村を担う優れた人材の育成を目的としています。
県内に幾つかのキャンパスがありますが、小諸キャンパスは、研修部で実際に、
農業を行ったり、農業機械の習得などの研修を行っています。
地元では農大といって親しまれています。(以下 農大と略します。)

23
農大からの浅間山・・・
この山の名前の看板には、誤りがありました。
石尊山が小浅間となっていました。
目くじらを立てるほどのものではないですね。ご愛嬌としておきましょう。
私のブログもあちこち、間違いだらけなのでしょうから、

22
農大近くの畑の道、これも空に続く道・・・

御牧ヶ原台地の粘土質で、場所により土の色が黒、赤、白と違います。
そのうち白土は、ジャガイモの栽培に適していて、甘くて、きめ細い、「白土馬鈴
薯」と呼ばれる上質なジャガイモが栽培されています。
「白土馬鈴薯」は昭和30年以来の、関西の料亭にのみ出荷した高級食材でした。
最近は生産量も増え、広く流通するようになっています。
「白土馬鈴薯」を使った近くの「あぐりの湯」の、ジャガバタとかコロッケ定食
で、この味が楽しめます。私はここで温泉に入り、浅間を眺めながらコロッケ定
食を食べるのがささやかな楽しみで、私は幸せな気分になります。
の素朴なメニューを頼むと味わえます。美味しいですよ。人間が安上がりです。

25
農大近くのブドウ畑のむこうに浅間山がありました。


御牧ヶ原の名前は奈良時代末に馬を朝廷に献上した勅旨牧があったことによりま
す。勅旨牧は甲斐・武蔵・上野・信濃の四か国にありましたが、信濃が最も多く
16牧で、特に、御牧ヶ原の望月の駒は有名です。毎年八月中旬に、諸国の牧場か
ら献上した馬を天皇にみせる「駒牽(こまひき)」の儀式では、鎌倉末期には、他
の牧からは選ばず、望月の牧の馬だけで行ったそうです。
望月の駒は古くから歌に詠まれ、八十首ほどあるそうです。その中から一首・・・

  逢坂の関の清水に影見えて、今や引くらん望月の駒   紀貫之

30
リンゴ畑です。選定でしょうか。作業をされている方がいらっしゃいました。
[ 投稿者:オコジョ at 08:35 | 小諸 風景 自然 | コメント(2) ]

この記事へのコメント
望月の駒
オコジョ様
ご無沙汰しています。
3月後半、日本に戻り、震災の影響に驚かされました。
東京へ行くと駅は薄暗く、レストランなどは営業時間を短くしていますし、スーパーでは水などが品薄でした。
しかし家で妻は何食べたい?と聞きます。
高価なものは難しいですけど、食べたいもの何でも食卓に並びます。子供の頃は出るものを食べて、食い物に文句を言うなといわれましたけど、贅沢になったのです。
駅が暗くともそんなに影響は無いでしょう、品薄でも飢えるわけではないです。
便利・贅沢が当たり前になっていると感じました。
4月に中国に戻ると、部品が入らず生産できないという状況が拡大していました。
これは頭の痛い問題です。私どものような中小企業・下請けは、体力なく自転車操業ですので、対策に四苦八苦。(愚痴をすみません)

日本に戻り3月27日には望月を散歩をしてきました。
70歳になる叔母と、愚息と。
まず、大伴神社そこから城光院、山を登り望月城跡、そこから中山道に出て、長坂の石仏、弁天様、万治の石仏・・・・・などをみて戻りました。ここで読んだ知識をだし、ちょっと自慢できました。2時間程度ですが、運動不足の私にはちょっと大変でした。

望月城跡は御牧ヶ原のはじっこですよね。
御牧ヶ原は明治以後の開拓地だったとは知りませんでした。
小諸藩の武士が開拓ですか、お侍が食うために飢えないために開墾したのですね。


投稿者: 和田 at 2011-04-15 15:47:51
和田さんへ
今回の震災は凄かったですね。
先日、東京に行ったときに、駅のエスカレートの停止や照明を
落とした店が目立ちました。信州でも、照明を落としている店もあります。

我が家はいつもどおりで、余分な物は買いませんでしたが、
一時はスーパーから多くのものが消えましたね。
オイルショックのときとおなじで、もう買えないものはなくなっています。
慎ましやかに暮らしていくなら、それほど、あわてなくても生きていけます。
大変なのは被災者で、わたしたちではないのですから、買いだめは無駄遣いです。

久しぶりに帰って、奥さんは嬉しかったのでしょうね。
早く、こちらで生活できると良いですね。

今度の復興で金が動き経済はそう落ち込むことはないように思いますが、
スムースに品物がまわるまでは、ある程度の時間が必要でしょうか。
しばらくは大変でしょうが、がんばってください。

望月の散歩良いコースですね。
望月城跡は、いちどいったことがありますが、望月から見ると山の上ですが、
周囲は平らな田畑ですね。

農大は小諸市の外れですが、望月城跡へは4キロくらいでしょうか。
御牧ヶ原が原は広いですね。

御牧ヶ原は明治維新後、開墾を小諸商人と士族が中心となって、300人が入植して、
明治3年から25年まで、開墾を行います。
田畑120町歩 溜池8町歩 山林700町歩を開墾しますが、士族の救済のはずが、
この土地は豊かとは言えず、士族は去って行き、現実には商人が小作地を獲得した
結果に終ったようです。
投稿者: オコジョ at 2011-04-15 20:11:03

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