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浅間山 10月9日 (小諸市飯綱山より)
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 このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2010年03月28日
北国街道 篠ノ井から善光寺5 善光寺へ
101
長野駅前です。
後2キロで善光寺です。

善光寺への道は何度も紹介しています。
すこし寄り道しながら、歩いてみましょうか。
102
善光寺表参道の中央通りです。
さすが善光寺、いろいろな道しるべがあります。

左は句を刻んだ道しるべで、一茶の句を刻んだものもあります。
右は善光寺までの距離を刻んだもので、14丁ですから、1.5キロくらいです。
他にも、灯篭の道しるべもあります。

103往生院
中央通りの右脇にひっそりと小さなお寺があります。
曹洞宗黄梅山裁松院です。
みんな善光寺を目指して、こんな小さな寺に寄る人はほとんどいません。
天正年間(1573〜1593)に、このあたりの庄家「菊屋」山崎家の念持仏の如意輪
観音を安置し「観音堂」又は「島の寮」と呼ばれたそうです。

江戸時代なり、無得良悟(むとくりょうご)和尚によって裁松院として開創し
ました。無得和尚は松が好きだったそうで、住職になったお寺には松を植えた
そうです。

105
ここの開祖の菊屋は、代々酒造業を営んでいたそうです。
そのせいか、お酒を召されたような赤地蔵さまが三体祀られていました。

この地蔵は子育て地蔵だそうです。

106
尾上(おがみ)出世不動尊というそうです。
三尺坊火坊の伝説でも知られる旧家で、
酒といえば、菊屋さんに伝わる伝説があります。
戸隠山で修行し、遠江国秋葉神社に向かう坊さんが、菊屋に寄り酒を腰の
瓢(ひょうたん)に酒を入れてほしいというので、二、三升と酒を注いでも瓢の
半分、五升を超えてやっと一杯となりました。
あまりの不思議さに、このお方は高徳な方に違いないと、去った、坊さんを
懸命に追いかけ、やっと追いつき袖に縋り、名を尋ねると「我は戸隠西窟に
籠住する三尺坊なり」と名乗ったそうです。
この袖に縋った所が裁松院の前で、ここを「袖縋り坂」と言っていたそうです。
その後、大正時代に、道の改修で坂は削られなくなってしまいました。

107
門前町らしい店もあります。

109
熊野社、こんな社も

111
楽茶レンガ館という喫茶店です。間口7.4m、奥行9.3m・・・
我が家と同じ位の建坪です。煉瓦造2階建の建物です。
2階建だから平屋のわが家の倍かな・・・

ここが建てられたのは明治45年(1912)です。
ここは旧信濃中牛馬(ちゅうぎゅうば)合資会社社屋でした。「中牛馬」って何・・・?

小諸にも昔、「帝國中牛馬」という会社がありました。
凄い名前ですね。小諸商人の意気込み、今回は小諸の話ではないですね。(笑)

江戸時代に宿場と宿場の間を荷物を運んだのが「中馬(ちゅうま)」です。大名行列や
海産物を信州に運び、信州の米を上州に運んだりしました。
明治になり、中馬宿駅問屋制度は廃止され、街道筋には「中牛馬会社」が設立されます。
中馬の代わりの運送業です。

「中牛馬(ちゅうぎゅうば)」 は、いわば当時の業界用語であったわけです。
古い建物がこうして門前町を変えていきました。
ここは、国指定登録文化財です。都市は変わります。そうした、歴史の証人です。
そうしてみると素敵な建物です。

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表参道はオリンピックを機会にアーケードが撤去、電線が全面地中化でスッキリ
しました。
しかし、最近は郊外の大型店ばやり、表参道は空店舗が増えていきました。
ここ大門町では、使われていない土蔵、町屋などを活用し、商店街の活性化を
図ったのが、白壁のまぶしい「ぱてぃお大門」です。
「ぱてぃお」は中庭だそうです。この中には回遊できる町並みになっています。

117
すこし左に寄り道をします。
浄土宗の開祖の法然上人が善光寺を訪れた正治元年(1199)にすこし駅に近い
権堂の往生院のあるところに開創したと伝えられています。
また、もっと古い弘法大師が大同二年(807)に建立した宝乗寺が正治元年(1199)
に浄土宗の寺に生まれ変わったともいわれます。

120
ここにも赤地蔵が・・・
六地蔵とならんでいました。あかいのは閻魔様の代わりかも知れません。

125
もうこの梅は満開でしょうね。それとも散り始めかな・・・
庫裏の窓が素敵で一枚。

130
ここは一時、善光寺となったことがあります。
元和元年(1615)と元禄十三年(1700)に善光寺本堂が火災に遭ったときは
善光寺本尊はここに移り、ここが善光寺仮本堂となりました。
元禄十三年の時は宝永四年(1707)まで7年間、本尊がここに祀られました。

西方寺の本堂も、西方寺は1642年1751年、1760年、1773年等に火災にあい
ました。しかし、安永七年(1778)の本堂修理とありますので、火災は全焼
ではなかったようです。

135
この、説法印の阿弥陀如来像は最近完成されたものです。
高さの8尺(2.4m)のチベット様式の大仏だそうです。
日本初のチベット大仏は日本で初めてだそうです。

この大仏はダライ・ラマ法王のお抱え仏師が手作りで作り上げたそうです。
極彩色で煌びやかで私の趣味ではないですが、これがチベット大仏だそうです。

まだ散らかっていますが、開眼前です。
6月にダライ・ラマにより仏像開眼式が執り行われるそうです。

119
西方寺門前の左側に小さなお寺があります。西方寺末寺の随勝院です。
西方寺が善光寺仮本堂の時に大勧進の役所となったと伝わっています。

215
加賀百万石の殿様も泊まった、善光寺宿本陣、藤屋です。
現在の建物は、大正12年の拡幅工事により、当時としては斬新な鉄筋コンク
リートにタイルを貼った、3階建ての洋風建築ですが、長野の大正ロマンを残す
建築として国の登録有形文化財となっています。

北国街道はこの先で右に折れます。私はまっすぐに善光寺に入ります。
[ 投稿者:オコジョ at 07:18 | 北国街道 | コメント(4) ]

この記事へのコメント
善光寺
善光寺へは 二度行ったことがありますが いずれも車です。ゆっくりと左右眺めながら歩き 疲れたら、楽茶レンガ館のような素敵なところでお茶したり・・・出来たらいいですね。
投稿者: K&H at 2010-03-28 09:05:31
K&Hさんへ
K&Hさんは善光寺のほかに信州の素敵なところを
一緒に見ていると思います。

遠くから凝られると、あちこち見たいところがありますから
善光寺は大体の方が仁王門から本堂周辺だけですね。

車がない生活だとこうなります。
地元で何十回も言っていますと、寄り道をして見ます。
投稿者: オコジョ at 2010-03-28 18:49:15
無題
オコジョさん おはようございます。

中馬って、そういう意味だったのですか・・・田舎にも中馬という姓がアリマス・・・コチラハ、チュウマンと言いますが・・・菜の花もすっきりした空気の中でやんわり光っていますね。
投稿者: ひげ at 2010-03-29 06:52:04
ひげさんへ
おはようございます。

宿場と宿場の中を荷物を繋ぐ馬ということですね。
江戸時代の運送業です。東海道五十三次なら52回リレー、時間がかかります。
そのため、正規の街道を避けて、宿駅のない裏街道が荷物の道でした。
中牛馬は鉄道時代になって、その形を変えて行きました。

中馬という苗字、珍しいですね。
中馬と関係がありそうですね。
投稿者: オコジョ at 2010-03-29 09:02:58

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