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浅間山(3/5 軽井沢 発地より)
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---関連性希薄・営利目的・内容不適当と判断した、コメント、TBは、削除いたします。---

ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、いずれも、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、間違っている場合も多々あろうと思います。 お気づきになりましたら、ぜひとも御教授下さい。
感謝と共に、内容を記事に反映させたいと思います。

2010年02月02日
北信濃 須坂4   谷街道(四)  「まゆぐら」と寺町と
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「ふれあい館まゆぐら」で求めた「まゆ人形」です。

何度も書いていますが、須坂は製糸業で栄えた町でした。
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「まゆ人形」を求めたふれあい館まゆぐらです。
この町にあった「田尻製糸」のまゆ蔵として使われていた建物で国の登録有形文化財および経済産業省認定 近代化産業遺産に指定されています。

22まゆぐら
堂々たる3階建ての建物です。
この建物は、南東に約180 メートル離れた立町にありましたが、都市計画道路の整備から解体される運命にありました。しかし、製糸業で栄えた須坂の歴史を後世に伝える歴史的に貴重な建築物であると曳き家という方法で移転を行いました。

23まゆぐら
中は無料 休憩処となっています。
地元のおばさんが漬け物と御茶でもてなしてくれました。
製糸関係の展示もあり、この町の製糸の歴史を知ることができます。

25まゆぐら
ここては、機織りを実演しています。
また、予約をしておけば機織の体験もできるそうです。

26まゆぐら
クラシック美術館で須坂の製糸王の越寿三郎についてふれました。
製糸というと「女工哀史」のつらい生活が思い浮かびます。
越寿三郎は仕事に対しては厳しかったのですが、半面「工女は資本だ」といい、病気のものは病院で感じさせ、寄宿舎の衛生に気を使い食事(食事はすべて会社負担)を十分に与えたそうです。また運動会や旅行などの娯楽の機会をもうけて、働くものの意見も良く聞いたそうです。働くものの家を正月には一軒一軒回って年始の挨拶をしたそうです。
そうした従業員が、須坂の商店に買い物をして町は栄えたとか・・・
最近の経営者とは少し違ったようです。

越寿三郎は製糸業だけでなく、各分野で活躍し、昭和2年には長野県の最多納税者にもなっています。彼を紹介する場所ではないのですが、簡単にその活躍の一部を記します。

   「山丸製糸所」をを創立 共同会社「俊明社」の社長
   「信越窒素肥料」(信越化学工業の前身)初代社長
   「信濃電気」(中部電力の前身)設立
   「上高井銀行」(のちに六十三銀行と合併から八十二銀行)設立
   「長野電鉄」「村山橋」の建設に(のちに六十三銀行と合併から八十二銀行)設立

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谷街道もだんだん現代化していくのかも知れません。
ここより先は谷街道を少し外れますが、ご承知ください。

P1237012こて絵
本上町というあたりに寄り道として見ました。

見事な鯛の鏝絵(こて絵)がありました。鏝絵は、職人が、壁に塗る材料の漆喰のを使って鏝(こて)で彫刻風に盛り上げた絵です。

この壁の前に車がいて、斜めからしか撮影できなかったのが、残念です。

P1236987旧信陽銀行
製糸全盛期だった明治35 年に創立された旧信陽銀行の跡です。
銀行にしては和風なつくりですが、入り口が狭いのは銀行らしいといえそうです。

P1236989
旧信陽銀行の辻です

なんとも素敵な町並みでした。
こうした建物は狭い道が似合います。

P1237010
本上町のこのあたりは「寺町通り」と言うそうです。
2つのお寺が並んでいます。
手前は蓮休寺(れんきゅうじ)と奥が宝広寺(ほうこうじ)です。

この2つの寺に並んで、廃寺になった「勝教寺」「円照寺」「真勝寺」の5つの寺が並んでいたというから、壮観だったでしょうね。

32蓮休寺
蓮休寺の獅子と龍の彫り物です。

33勝善寺
道の反対側には勝善寺(しょうせんじ)があります。

35勝善寺
勝善寺の境内は広く、建物も大きく立派です。
大きいからいいというわけではありませんが、当時の須坂の町の財力を示しているようです。

36勝善寺
町ばかりですので、ちょっと息抜きを・・・
勝善寺から見た空です。
[ 投稿者:オコジョ at 07:55 | 長野市以北 | コメント(6) ]

この記事へのコメント
可愛いまゆ人形♪
おはようございます。
須坂というところは、製糸業が盛んだったんですね!?
私がボランティアしている「日本昭和村」でも、蚕を育てていて、その時期になると時々お蚕さんのお世話をしています。
はじめは抵抗があったのですが、一生懸命糸を吐いている姿に愛おしささえ覚えます。

女工哀史といえば、3年ほど前野麦峠を訪れれ、彼女たちの苦しみを考えさせられました。
投稿者: ハーモニー at 2010-02-02 11:23:47
ハーモニーさんへ
可愛いいでしょう・・・
干支の寅とか、フクロウもあったのですが、
この2人がほほえましくて、つい買ってしまいました。
そういえばそちらは明治村、大正村、昭和村、平成村と近くにありますね。
蚕はなれてしまうと可愛いですね。
桑をかじる音も素敵です。
その音もはるか久しく聴いていませんが・・・
おはようございます。
妻の母親はこちらで製糸の女工でした。
女工哀史は一面、そういった面もあったようですが、
須坂や、私の小諸あたりでは、仕事は大変だったようですが、
女工を大切に扱ったようです。
小諸では富山あたりからの女工が多かったようですが、
毎年、同じ女工が来て、来るのがたのしかったという話も伝わっています。
使用側の対応によって、変わりますね。
とはいえ雪の野麦峠越えは大変ですね。
投稿者: オコジョ at 2010-02-02 11:42:35
まゆ人形
私も持っています。30年前の物です。
こちらの製糸工場が作ったものです。
小さくて可愛いですね。
越寿三郎さん、立派な経営者だったんですね。
伝記とか書いて後世に偉業を残すとかないんでしょうか。
投稿者: 朝顔 at 2010-02-02 20:14:51
朝顔さんへ
朝顔さんの「まゆ人形」も可愛いのでしょうね。
30年大切にされているのですね。
そちらにも製糸工場も昔は栄えたのでしょうね。

須坂は「信州須坂まゆアートの会」という会の会員が
須坂の豊丘地区の養蚕農家から繭を仕入て、このような人形や
糸にして、草木染めをして須坂紬として実演しています。
花瓶敷きなら15分くらいで、機織を体験できるそうです。

越寿三郎はこの地方では製糸王として知られていますが、
製糸そのものが廃れてしまって、越寿三郎だけを扱う本としては
売れそうもないですね。
でも、須坂市誌や、信州の製糸をとりあげた本には必ず登場します。
顕彰碑もあり、須坂市民から忘れられることはないと思います。
でも、誰かが、伝記を書いてくれるといいですね。
投稿者: オコジョ at 2010-02-02 20:58:07
こんばんわ
まゆ人形はほのぼのとして可愛いですね。
まゆを初めて見たときは不思議な感じがしました。
今でも養蚕は盛んなのですか?
休息が無料で出来る場所はありがたいですね^^しかもお茶まで^^
投稿者: アメジスト at 2010-02-05 00:43:56
アメジストさんへ
こんにちは
こんな風に夫婦ずっと仲良くしていきたいですね。
まゆ人形のやわらかさがなんともいえません。
かつては、小諸の農家の半分以上が、養蚕をしていたそうです。
しかし、戦後は衰退の一途をたどりました。
今、養蚕をしているのはほとんどありません。
今は民芸関係や趣味的な栽培に限られるようです。
最近はこうしたお休みどころが増えているようです。
私の町にも何箇所かありますが、お茶までというところは少ないですね。
投稿者: オコジョ at 2010-02-05 17:13:45

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