
「ふれあい館まゆぐら」で求めた「まゆ人形」です。
何度も書いていますが、須坂は製糸業で栄えた町でした。

「まゆ人形」を求めたふれあい館まゆぐらです。
この町にあった「田尻製糸」のまゆ蔵として使われていた建物で国の登録有形文化財および経済産業省認定 近代化産業遺産に指定されています。

堂々たる3階建ての建物です。
この建物は、南東に約180 メートル離れた立町にありましたが、都市計画道路の整備から解体される運命にありました。しかし、製糸業で栄えた須坂の歴史を後世に伝える歴史的に貴重な建築物であると曳き家という方法で移転を行いました。

中は無料 休憩処となっています。
地元のおばさんが漬け物と御茶でもてなしてくれました。
製糸関係の展示もあり、この町の製糸の歴史を知ることができます。

ここては、機織りを実演しています。
また、予約をしておけば機織の体験もできるそうです。

クラシック美術館で須坂の製糸王の越寿三郎についてふれました。
製糸というと「女工哀史」のつらい生活が思い浮かびます。
越寿三郎は仕事に対しては厳しかったのですが、半面「工女は資本だ」といい、病気のものは病院で感じさせ、寄宿舎の衛生に気を使い食事(食事はすべて会社負担)を十分に与えたそうです。また運動会や旅行などの娯楽の機会をもうけて、働くものの意見も良く聞いたそうです。働くものの家を正月には一軒一軒回って年始の挨拶をしたそうです。
そうした従業員が、須坂の商店に買い物をして町は栄えたとか・・・
最近の経営者とは少し違ったようです。
越寿三郎は製糸業だけでなく、各分野で活躍し、昭和2年には長野県の最多納税者にもなっています。彼を紹介する場所ではないのですが、簡単にその活躍の一部を記します。
「山丸製糸所」をを創立 共同会社「俊明社」の社長
「信越窒素肥料」(信越化学工業の前身)初代社長
「信濃電気」(中部電力の前身)設立
「上高井銀行」(のちに六十三銀行と合併から八十二銀行)設立
「長野電鉄」「村山橋」の建設に(のちに六十三銀行と合併から八十二銀行)設立

谷街道もだんだん現代化していくのかも知れません。
ここより先は谷街道を少し外れますが、ご承知ください。

本上町というあたりに寄り道として見ました。
見事な鯛の鏝絵(こて絵)がありました。鏝絵は、職人が、壁に塗る材料の漆喰のを使って鏝(こて)で彫刻風に盛り上げた絵です。
この壁の前に車がいて、斜めからしか撮影できなかったのが、残念です。

製糸全盛期だった明治35 年に創立された旧信陽銀行の跡です。
銀行にしては和風なつくりですが、入り口が狭いのは銀行らしいといえそうです。

旧信陽銀行の辻です
なんとも素敵な町並みでした。
こうした建物は狭い道が似合います。

本上町のこのあたりは「寺町通り」と言うそうです。
2つのお寺が並んでいます。
手前は蓮休寺(れんきゅうじ)と奥が宝広寺(ほうこうじ)です。
この2つの寺に並んで、廃寺になった「勝教寺」「円照寺」「真勝寺」の5つの寺が並んでいたというから、壮観だったでしょうね。

蓮休寺の獅子と龍の彫り物です。

道の反対側には勝善寺(しょうせんじ)があります。

勝善寺の境内は広く、建物も大きく立派です。
大きいからいいというわけではありませんが、当時の須坂の町の財力を示しているようです。

町ばかりですので、ちょっと息抜きを・・・
勝善寺から見た空です。