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浅間山 (2月18日 御代田町馬瀬口諸市より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や記事に関係のないコメント、英文のコメントは、予告なく独断で削除させていただきます。

2009年11月26日
北国街道  小諸市郊外から東御市へ2 芝生田から東御市赤岩新田
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柿の木が気になって一枚・・・

街道歩きが趣味の人は一日、20キロから30キロ歩くそうですが、私は寄り道専門です。街道歩きをしても10キロも歩きません。困ったことです。
アップも一日、一集落か二集落・・・
何時になったら田中宿につくのか・・・
PB241548
何時になったら田中宿につくのか・・・
つかないのです。
今回のアップは実はここ二週間近くに四回訪れたものをまとめています。
昨日ふれた芝生田城も2回探して見つかりませんでした。

しかし、一昨日、ようやく見つけ出しました。
右のビニールハウスの影でした。

城主は芝(柴)生田氏、山城ではなくて館というべきでしょう。
城主の名がこの集落の名になって残っています。
3度も探したわりには貧弱な木の下の石碑がひとつ・・・
世の中、そうしたものです。

栄枯盛衰・・・
今は田圃になって、芝(柴)生田氏の昔を偲ばせるものは何一つなし・・・

PB241550
芝生田城跡から東漸寺が見えます。

木のかたわらの石碑は墓に見えますが、「小笠原氏常盤外記長武之碑 (1390)九月二十五日」

小笠原氏は室町時代から信濃の守護を勤めて、芝生田氏を滅亡させました。芝生田氏を滅亡させた一族の小笠原長武の碑とは意外です。小笠原長武についてはネットとで調べると江戸時代の大名のことばかり、南北朝時代の小笠原長武は良く判っていません。
この碑が、明徳元年に建てられたのかと思うと、江戸時代の、正徳3年(1713)に追善供養がおこなわれたと彫られています。その頃は小笠原がこの地から消えて100年・・・
誰が追善供養をして、誰がこの碑を建てたのか・・
20間、20間の大きさと市町村誌にあります。
戦いの城ではなく、居住した館です。当時は四方に堀があったそうです。

時は歩みを止めません。
昨日のアップの東漸寺は実は2週間前のものなのです。
こちらは一昨日・・・
秋から冬へ、季節は急ぎ足です。

もう二週間たったら・・・
もう行く予定はありません。

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烏がいました。
カラスもバカにして。直ぐ行ってしまいました。

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脇道を入った集落のはずれに双体道祖神がありました。
集落のはずれで、悪い神が部落に入らないように見張るのが道祖神です。
ひっそりと、でも優しく部落を守ります。

ここまでが芝生田集落の撮影です。

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ここから小諸市を離れて、東御市に入ります。
といっても道の左は東御市赤岩新田、右は小諸市です。

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芝生田からほとんど切れ目なく、この赤岩新田、片羽と家並みが続きます。
赤岩の集落も芝生田と良く似た家並みです。

PB241616
一寸集落から奥に入ってみます。
もう過ぎてしまいましたが、「11月22日はいい夫婦の日」だったそうです。
「いいふじ」とも読むとか、「良い富士」ではありません。りんごの「ふじ」の日です。
噛むとたっぷりなリンゴの香りが口の中にひろがります。
今は「ふじ」の収穫の最盛期です。

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赤岩集落のはずれ・・・

樹の根元から水が生まれていました。
母なる樹から生まれたように・・・

我が子を守るように木の根が小さな泉を守っているようでした。

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寄り道をしていないで、街道に戻りましょう
赤岩新田は短く直ぐ大石川を渡ります。
下の川岸に標柱があります。何かありそうです。
私は何かを知っているのですが、知らないと通り過ぎてしまいます。

「東部町有形文化財 大石川の眼鏡橋」とあります。

確かに標柱のところに来ないと橋は見えないのですが、上の道にも何か案内が
欲しいですね。

PB241565
眼鏡橋(めがねばし)となっていますが、暗渠タイプのアーチ橋です。こういう形は拱渠(きょうきょ、こうきょ)といい、石製なのでと大石拱渠(石ポータル)というのが正確なのかもしれません。「当時難所の迂回路を廃止し平坦路にしたもので・・・」と説明がありました。多分、おおきく上流へと迂回したのではないかと思います。

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明治14年に完成されているそうです。川底から道までは高さ10mですが、構造的には、二つに分かれています。水路部分、つまり眼鏡橋の部分は高さ3m幅2.4m長さ12m、その上に高さ6m 道幅6m長さ40メートルの道になっています。

当時の橋は簡単なものが多く、この頑丈さは立派で、歴史的にも貴重です。

PB180979
橋の上です。
昔は川を渡ることは大変でした。
千人を越える人がお金を出し合ってつくったそうです。
人々にとっては、大切な橋だったこととおもいます。

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大石川を渡ると片羽集落になります。
ここに石碑や双体道祖神が並んでいます。

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双体道祖神が2つ並んでいました。
仲良く寄り添ってといい雰囲気と近づいて良くみるとなんとなく、見慣れた双体神と雰囲気が違ってみえます。

先ず、気がつくのは、通常の双体道祖神は向かって右が男神なのですが、ここでは右は女神、左が男神です。そして、手をみると、どちらも右手に剣を持っているようです。
左の双体道祖神の女神は肴を持っているようにも見えますが、まさか剣で魚をさばくのでは・・・(笑)

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この先の、前に紹介したことがありますが、田中宿の手前の常田というところには「剣持道祖神」という道祖神があります。その道祖神はそこにいったら紹介しますが、やはり右が男神で、右手に剣を持っています。

道祖神は通常は神道系なのですが、仏教系道祖神というのもあります。蓮の花の上なんていうのはすぐにわかりますが、男女の神の並びがこのように逆だったり、差別がつかないのは仏教系道祖神です。剣持道祖神もここもそうです。

神道系の神たちは、手をつないだり、杯を持ったりする微笑ましいものが多いのですが、仏教系は表情が厳しくものが多いようです。
でも、この神たちは割りと表情豊かなようです。
男神が剣、女神は繭玉を持つ、剣持道祖神は数は少ないようですが存在するそうです。剣を持つ仏、不動明王や虚空蔵菩薩を表現しているのかもしれません。
女人禁制など、仏教では女性を差別する傾向があります。ならば、この女性の仏は・・・
[ 投稿者:オコジョ at 06:52 | その他 | コメント(8) ]

この記事へのコメント
一本の木
何気ないところに 木が一本あるだけで
安らぎを感じます。
絵にしたくなりますね!
投稿者: K&H at 2009-11-27 08:34:19
K&Hさんへ
秋らしいかなと・・・
この写真は今のわたとのテスクトップです。

もっと近くによりたいのですが、畑の畦を踏まなければいけません。

家が入らないように苦労しています。
投稿者: オコジョ at 2009-11-27 11:13:58
「ふじ」の日
11月22日は「ふじ」の日でもあるのですね。
ふじ、大好きです。
リンゴといえばふじを思い出しますが、今は種類が多いですね。
語呂合わせで色々な日がありますね。
毎日何かの日がありそうです。
通常の双体道祖神は向かって右が男神なんですか。
無意識に見ていました。
投稿者: えむり at 2009-11-27 18:52:59
えむりさんへ
多い日はお添え暮れないほどの記念日がありますね。
ない日はないのではないかと・・・

昔は祝、旭、国光、紅玉・・・・
今は数え切れません。

双体道祖神、ほとんど男神が右です。
結婚式とは逆ですね。
投稿者: オコジョ at 2009-11-27 20:05:45
小笠原
小笠原といえば 小倉藩は 小笠原氏です。ここに書かれている子孫ではないでしょうが ドキッとします。母の家は昔 小笠原に扶持をもらっていました。道祖神を集落の入り口において 守ってもらったり 橋を架けるためにお金を出し合ったり 昔の人々の 知恵や願いが こもっていますね。
投稿者: 小紋 at 2009-11-29 20:43:52
小紋さんへ
たかが道祖神なのですが、色々菜人々の心が込められているようです。

小笠原一族は京都小笠原氏と信濃小笠原氏の二つのながれがあります。小倉藩そして、一時期は中津、杵築も小笠原氏が藩主だったことがありますね。

子孫といういえませんが、遠い遠い親戚だったようです。
遠い遠い昔、小紋さんの祖先も信州にいたことがあるかもしれませんね。
投稿者: オコジョ at 2009-11-29 21:34:05
無題
こんばんは。芝生田城跡にたったひとつの石碑?だったのですね。でもその写真いいですね。木の根元にあったのですね。木を切らずにいてくれてうれしいですね。いいポイントになっています。
投稿者: ののはな at 2009-11-30 22:23:21
ののはなさんへ
おはようございます

小諸の小さな町だけでも六十の城や館あります。
そのほとんどが原型もなく、表示するなにもないのが普通です。
芝生田城跡はそれでも石碑があります。
でも、この石碑がないとどこかわかりませんね。
それも城跡のものではなく、そのあと納めた人物の記念碑・・・
謎が多いですが、私にはそれ以上にはわかりません。
一本の木は、これからも見守ってくれますね。
投稿者: オコジョ at 2009-12-01 09:19:30

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