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浅間山 (5月7日 信濃追分駅より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
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2009年01月12日
歴史の町 松代2 長国寺 真田一族の菩提寺
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長野市は、1,400年の時を刻んできた名刹、善光寺の門前町として有名です。しかし、江戸時代には千曲川を隔てた、松代が松代藩の城下町として、この地方の政治の中心でした。当然、善光寺も松代藩の管轄で松代藩の管轄の下にありました。

松代城下で一番有名なのが長国寺(ちょうこくじ)です。
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山門です。いかにも正月らしいですね。

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この本堂は、明治5年に焼失、明治19年に再建されたものです。
六文銭が鮮やかです。その上の立派なシャチホコは松代藩の本拠地の海津城(松代城)の屋根に取り付けられていたものだそうです。

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座禅堂です。このお堂は杏で有名な千曲市森地区にあった廃寺、華厳寺の本堂を昭和39年に移築したものです。

長国寺は、1547年、真田幸隆)が、上田市真田の松尾城内に真田山長谷寺(ちょうこくじ)として建立したのが始まりとされます。 1564年に松尾城外に移り、現在も続いています。

松代のはこちら⇒長谷寺

初代藩主霊屋
国の重要文化財の松代初代藩主真田信之の霊屋です。

霊屋となっていますが墓ではありません。霊廟といわれるもので、祖先や個人の霊を祀る建物です。墓は別の場所にあります。

初代藩主霊屋[重要文化財]<br />
真田信之の死後の1660年、松代藩は日光東照宮の建築家たちによって、作られたそうです。その中には狩野派の狩野探幽が天井画と壁間の絵、破風の鶴の彫刻は左甚五郎と名工たちによっています。
江戸時代前期の霊屋として極めても高い水準のものといわれています。

四代藩主霊屋門
四代藩主信弘の霊廟の門です。
こちらは門と霊廟が長野県宝に指定されています。

霊屋はもと五棟あったが、現在は信之霊屋(重要文化財)と4代信弘霊屋(県)の二棟が残るだけである。3代幸道霊屋は本堂裏に移建、開山堂(県宝)になっている。

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こちらが四代藩主霊屋で県宝に指定されています。

ここには当初、初代から四代までの藩主の霊廟と、藩主の側室方の五つ霊廟が立っていましたが明治五年の火災で今は二つだけとなっています。
当時は五つの立派なお堂が並ぶ壮観なものであったと思います。 

四代藩主霊屋
四代藩主霊屋の彫刻です。

松代藩の初代信之は莫大な財産を残したといわれます。しかし、幕府の命令による善光寺本堂の造営、江戸城の普請とうの度重なる課役により、三代幸道の時代には使い切り、財政困窮に苦しんだようです。
そして1742年の戌の満水の大洪水や、度重なる千曲川の洪水に加えて1847年、善光寺地震による火事の被害により、1852年には借金は10万両に及んだといわれます。

一見華やかに見える武士の世界も経営は大変だったようです。

PC244911開山堂[県宝]
長野県宝の開山堂です。
実は、この建物は 3代幸道の霊屋だった建物です。明治の本堂再建の折に本堂裏に移建し、開山堂としました。

PC244913開山堂[県宝]
開山堂の透かし彫りです。
わりと簡素なものですが、味わいがありました。

江戸後期の八代藩主、幸貫は幕府老中の松平定信の二男でしたが、養子として真田家に入りました。徳川家との結び付きが深まり、幸貫は老中となって幕政に手腕を振るう一方、佐久間象山をはじめ、多くの人材を登用し育て上げ、洋学や西洋砲術を取り入れるなど改革にも熱心に取り組みだそうです。そうしたことからペリーの黒船来航時に、松代藩はその警備に出兵しています。しかし、佐久間象山が暗殺後には、尊皇攘夷に転換し、官軍として北越戦争に参加するなどして明治維新を迎えます。

PC244877恩田木工の墓
佐久間象山とともに松代が生んだ著名な人物として恩田木工民親(もくもとちか)がいます。長国寺には恩田木工民親の墓があります。

恩田木工民親といってもご存じない方が大半ですね。
家老職勝手係として松代藩の財政の立て直しを行なった人物です。

PC245018恩田木工像
この像は長国寺ではなく恩田木工民親の住居跡に立てられているものです。

彼は税法を月割定納法にして納税を多くし、倹約を勧め、みずから実行し、藩内の産業のいくらいに勤め、松代藩の財政を立て直しました。
詩歌や音曲などで、人々に楽しむことを進めた文化人でもあったようです。

著書の「日暮硯」は二宮尊徳もこの書を座右の銘として愛読したりっぱな本だとか・・・
[ 投稿者:オコジョ at 08:01 | 長野市以北 | コメント(8) | トラックバック(2) ]

この記事へのコメント
真田家・そうでしたかー。
なぜ歴史に佐久間象山が関わってくるのか、松代なのか、少し不思議でしたが・・・そうでしたか。松平定信の二男さんが松代藩に入ったのですね。合点がいきました。

佐久間象山のような進歩的な人物・・・貴重でしたでしょうに。そういう人物に限って(坂本竜馬も?)暗殺されてしまったりしますね。考えさせられます。

それにしても、立派なお寺、霊屋ですね。
投稿者: がっちょーん at 2009-01-12 16:30:37
がっちょーんさんへ
真田はやはり幸村ですね。
しかし、歴史の中での幸村の果たした役割は多くは無いようです。
英雄物語と、歴史は、違うもののようです。
そして、平和な次第の真田は興味深いものは少ないのかもしれません。

しかし、真田は真田なりの歴史を築いた足跡が松代には
残っているということなのでしょうね。
投稿者: オコジョ at 2009-01-12 17:27:24
長国寺の
本堂の屋根にあるシャチホコ
お寺では珍しい本堂ですね。
四代藩主霊屋の彫刻は美しく彩色
されていて、素晴らしい彫刻ですね。
投稿者: 良さん at 2009-01-12 18:34:26
歴史探訪
こんばんわ
昨年風林火山でブームになった折、松代も尋ねました。
町内の歴史研究会、配られたパンフレットより
オコジョさんの解説は明快、理解しやすいです。
またまた、勉強になりました。
ありがとうございます。
投稿者: 山裾の人 at 2009-01-12 19:34:17
良さんへ
松代のお寺は本堂の屋根にシャチホコ のあるお寺が多いようでした。
そして、六文銭の門の寺も・・・
真田の城下町を感じさせるものですね。

本当は初代藩主の方が、日光陽明門風・・・
列車に乗り遅れて、時間数なく、拝観ができませんでした。
ぜひとも拝観してみることをお勧めします。
投稿者: オコジョ at 2009-01-12 19:50:01
山裾の人さんへ
難しい歴史書はわたしにも理解できないものがあります。
基本的には年号、人の名は、必要最小限で、深く説明しない・・・
人間が単純ですまて゛、簡単なことしか書けないのかもしれません。
それは、それで、いいことなのかもしれませんね。
現実には、書きたいことはたくさんあるのですが・・・
このブロクに似合いません。
半分は下手な写真が説明してくれます。

それにしても意味不明の変換ミスがありますね。('汗)
投稿者: オコジョ at 2009-01-12 19:52:14
三代目
恩田木工といえば、一時有名人でしたね。
「日本人とユダヤ人」で、一躍知られ、が日暮硯が売り切れたりしました。
もっともその本は内容に問題があって、批判されました。でもわたしが宗教を実感した本でもありました。
そちらではもととも有名人だったのですね。

三代目で家が傾く。これは、三代目の能力というより幕府の政策だったのでしょう。
武士の生活も楽ではないにしても、立派なものを残しましたね。
投稿者: 謫仙 at 2009-01-16 08:25:08
謫仙さんへ
イザヤ・ベンダサンは結局日本人だった、ポール・ボネもそうだった。
本の内容はともかく、問題の多い無いようですね。
もっとも、有名人の書く本の大半はゴーストライターが、一度も本人にも
会わずに書いたもの・・・
そういう本が売れるんですね。
外国人の書いた本でベネディクトの『菊と刀』が、印象に残っていますが、
高校時代だったので、どこまで理解できていたのか・・・

参勤交代、武家諸法度・・・
幕府は大名の力を抑えようとしました。
それが長い江戸時代を支えたのですが、逆に幕末には親藩譜代の力が衰えて
薩長連合に歯が立たなかった・・・

武士の生活も楽ではないですが、見栄は強かったのかもしれませんね。
投稿者: オコジョ at 2009-01-16 13:59:24

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真田家の墓を寺で真田山かよ?
 長野県長野市松代町の寺院の長国寺。真田山とも呼んでる。東西130m、南北260mと広い敷地で、多くの墓石があったが、真田幸村(真田信繁)の墓は無い。
...
投稿者: 見えない障害と闘いながら at 2015-09-01 00:21:50
真田家の墓を寺で真田山かよ?
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...
投稿者: 見えない障害と闘いながら at 2015-09-01 00:22:27

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