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出羽三山 月山 (7月2日 山形県鶴岡市)
月山
ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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熊本地震による被災者の方々には、謹んでお見舞い申し上げますとともに、被災地の一日も早い復旧を心より祈念いたします。 復興には時間がかかることと思いますが、一刻も早い復興を心から願っています。 

2007年06月29日
清泉寮と清里駅あたり
1
清泉寮からみた、茅ヶ岳と富士山、富士山は『頭を雲の上に出し』ですね。

小河内東京の大切な飲料水の水源の小河内ダム(奥多摩湖)の建設のときに湖底には647戸の家が沈みました。そのうちの28戸の人々が昭和13年4月に清里に開拓民として移住しました。
最初のうちは、じゃがいもや雑穀などが、主で、厳しい自然との過酷な戦いであったようです。
昭和25年に2戸の農家が、初めて酪農を始めました。この人たちを中心に研究会が作られ、酪農の農家が増えていきました。昭和28年には、清里周辺の20数ヶ町村が「集約酪農地域」に指定、酪農化が進み、乳牛の数が、増加していきました。
3清泉寮と八ヶ岳清泉寮と八ヶ岳
清里開拓の歴史で、清泉寮と米国人宣教師ポール・ラッシュは清里の初期の歴史そのものといっていいといえます。アメリカ・ケンタッキ-州出身のラッシュは、関東大震災の被害を受けた東京を建て直すため来日します。大学教授をしながら病院を建設の募金活動などと共に、アメリカン・フットボ-ルの紹介にも当たりました。昭和13年頃に清里に清泉寮を建築し日本での、寒冷高地での新しい酪農の方法を教えます。戦争で帰国しますが、終戦と共に、再来日し、清里開発に当たります。その後、アメリカで熱心に募金活動をして、昭和23年「清里農村センタ-(キ-プ協会)」創立します。その熱意に打たれて、アメリカから手伝いにきた、若者も多かったようです。ラッシュのモットーは「ネバ-・ギブ・アップ(決してあきらめない)」と「バ-ニング・デザイア(燃えるようなやる気)」でした。

2清泉寮
清泉寮はラッシュ博士が、清里のキャンプ地として建設して、現在は和室・洋室・キャビンなど様々な部屋のある宿泊施設となっています。
清泉寮は、現在はだれでも、宿泊できます。本来が観光用ではないため、高級リゾートのようなわけには行きません。むしろ、素朴な、味わいのあるものだそうです。
昔からの喫茶の、外に、いまは、レストラン併設して、清里の人気のスポットとなっています。
ここの、ソフトクリームは、清里高原のジャージー牛乳を使って、本当に美味しいのですが、行楽シーズンには長蛇の列で、いつも諦めます。

4馬車
清泉寮は、今は、清里の顔ですね。この馬車の馬さんも、休む間も無く働いていました。

5サイロと牧舎
ここは、今でも、酪農の新しい道を探しています。
その、歩みは続いています。
しかし、最近の清泉寮の観光面への進出を見ると、清里も変わったなと
感じずにはいられません。

7
白樺林は、心なごみます。
清里は一部を除いて、自然が多く残されています。
それは素敵なことです。

8清里聖アンデレ教会
昭和13年、ラッシュが創始した日本聖徒アンデレ同胞会の教会で、昭和23年に、キ-プ最初の建物です。地域の拠点として、親しみ易さを配慮し、全国でも珍しい畳敷きの教会です。軽井沢の垢抜けた、味わいとは一味違います。ここの聖鐘はアメリカ大陸横断鉄道の機関車のベルの再利用だそうです。農村図書館があり、誰でも利用できます。

9十字架の道行
アンデレ教会のすぐ横に十字架の道があり、間をおいて14箇所の「停留(ステーション)」があります。停留にはイエスの、死の宣告から葬儀までの場面を描いた14のキリスト像が置かれています。一つ一つ、停留で祈りながら歩くことを「十字架の道行」と呼ぶそうです。
この時は、信者の方が、礼拝所の正装を奉仕でしていましたので、写真は遠慮しました。
ラッシュは「食糧」「信仰」「保健」「青年への希望」の、実践的なモデル農村コミュニティーを目標に、キープ協会は設立しています。
現在は、環境教育」「国際協力」を加えて活動をしているとのことですが、この教会には、その、息吹が、活きているように感じました。

10
清里駅近くからの奥秩父の金峰山です。

わたしが、八ヶ岳の権現沢を含む地獄谷に一年に何度も通った四十年近く前は、清里は静かな村でした。清泉寮でも、ほとんど観光客も見ないのが普通で、よくひとりで、喫茶でコーヒーを飲みました。
一つの山を終えた、喜びと感傷を、珈琲の香りに漂わせたひと時でした。

11清里駅前通り
駅前も、食堂が2件あって、後は小さなみやげ物店が数件などの寂れたところでした。
今は、何となく、軽井沢の嫌らしさを感じます。
地方は地方らしい魅力などいう、私は古いようです。

12清里駅
清里駅も、昔の木造で、ストーブのあった駅と較べるときれいになりました。

13
清里駅の2両編成の小海線列車、今のブームの風林火山列車です。
[ 投稿者:オコジョ at 07:33 | 南佐久・清里 | コメント(14) | トラックバック(0) ]

この記事へのコメント
清泉寮で
売っているパンとソフトクリームは
格別、美味しいですね。
清里駅界隈は原宿に似た少女趣味の
町並みになり、ガッカリしますね。
投稿者: 良さん at 2007-06-29 08:05:32
清里に
一番最初に行ったのは学生時代でした。
その後、一度行きましたが、すっかり様変わりしてがっかりして、それから行っていません。
ソフトクリームはとっても美味しかったです。
投稿者: えむり at 2007-06-29 08:24:52
良さんへ
私の知っている中では、清泉寮と神津牧場の
ソフトクリームは美味しさの双璧ですね。
格別、ですね。
清里駅界隈は私も苦手です。
今回はシーズンオフなのでまわりましたが、
少し遠くても甲斐大泉駅まで歩きます。
何故、高原に都会を持ち込まなければ
私には理解できません。
投稿者: オコジョ at 2007-06-29 09:13:09
えむりさんへ
清里は、昔は、素朴な田舎の村だったんですが、
学校寮がたくさん出来たあたりからから、
変わりましたね。
これほど急激に変わった観光地は私は知りません。
自然と、ソフトクリームの美味しさはそうは変わっていないのですが・・・
清泉寮も商売気がつよくなって、幻滅です。
投稿者: オコジョ at 2007-06-29 09:13:34
無題
昔の清里かぁ・・・
行ったことがないので、少女趣味の街並みに喜んでしまいそうな私です・・・
ソフトクリ-ム!!並ばなきゃ食べられないのかあ。。。
でもせっかく行ったなら食べたいなぁ~(すっかり行く気満々!!)
畳の教会・・・素敵な心配り・・・
昨日もヤグルマソウ、マタタビ、半化粧に「へぇへぇ」驚いていました。
毎日たくさんの勉強をさせて頂いています☆
レンゲ草、大好きなので楽しみしていま~す!!
追伸~一昨日は「坊がつる讃歌」教えて頂きありがとうございました。♪人みな花に酔うときも♪これで歌詞の意味がバッチリ通じました(汗)


投稿者: こん(ちゃん) at 2007-06-29 09:14:44
清里
むか~し行った時は、な~んにもなかったです。
賑やかになった清里を見て、私の行った清里とは違うところ?と、思ったものです。
こんちゃんの後で、勇気を頂いたから言うわけではありませんが(笑)、今の清里も私は結構好きですよ。
まだ少女かも・・・
投稿者: こむぎ at 2007-06-29 10:04:21
こんちゃんへ
昔の清里を知らないほうが良いのかも知れませんね。
清里はこういうところと、思ってしまえば・・・
こんちゃんはまだ、若いですから、似合うかも知れませんね。
ソフトクリ-ム!! 一度ならんで食べる価値ありです・・・
もっとも、そちらにも、同じように美味しい、ソフトクリームが
ありそうな気かもしますが・・・
こんちゃんから「坊がつる讃歌」が出てきて、驚きました。
投稿者: オコジョ at 2007-06-29 11:08:50
こむぎさんへ
清里は本当に何にもないところでしたね。
人は、それぞれ、好みも違いますから・・・
こうした雰囲気が好きで、観光客が押し寄せるので、
地元は嬉しい悲鳴でしょうね。

・・・ ただいま、明日のレンゲツツジのアップを準備中・・・
オコジョは、爺さんで山の中のほうがいいようです(笑)
もっとも、つつじ祭りで大賑わいでしたけれど・・・
投稿者: オコジョ at 2007-06-29 11:10:02
無題
オコジョさん おはようございます。

今朝は小雨混じり・・・・天気予報では・・・一日降るとか・・・・。

涼しげな清里の風景ですが、こちらの気候になれた身にはタオル?が必要なのかもしれませんね。
投稿者: ひげ at 2007-06-30 07:51:54
ひげさん おはようございます
こちらも、今朝は雨です。昼からは曇るかなといったところです。
そちらも、今日は悪いようですね。
明日はいいかな・・・

清里は、標高1200メートルを越えで寒いですよ。
昔は清里駅は24時間人がいました。
最近は暖冬で、それほどのこともないような気がしますが、
早春、ひとりで、駅のストーブの石炭ストーブで暖をとっていたら、駅員さんが、石炭をも持ってきて、話していきました。
そのとき夜明けは特に寒く、すとーぶを焚かない日は年に10なんて無いといっていました。もっとも隙間だらけで、外とそう変わらない駅舎でしたけれど・・・
投稿者: オコジョ at 2007-06-30 08:42:32
無題
 ダムに沈んだ村の人達の 起こしたまちだったんですね。何も知らず、観光の地みたいにおもっていました。水のそこに沈んだふるさと
せつないですね。
 
投稿者: 水戸小紋 at 2007-07-01 06:33:28
水戸小紋さんへ
最近は、有名になりましたが、昭和30年代までは、開拓の村という感じで、駅前も粗末な家が並んでいました。
年寄りたちは、まだ、ダムに沈んだ村で暮らした人が残っています。
ふるさとに帰っても、村はダムの底・・・
でも、新しい、ふるさとを築いて、子孫に伝えていけそうです。
投稿者: オコジョ at 2007-07-01 06:43:09
昔の清里駅
山小屋のような牧歌的な雰囲気だったのを、薄っすら覚えています。昭和46年の暮れに、Y.Hへ学友と泊まりに行った時です。駅の周りは殆ど何もななかったと思います。
今は見るも無残な姿です。昔のように戻せばまた集客できるのではと思いますが。。
投稿者: tamanopapa at 2008-11-23 00:55:11
Tamanopapaさんへ
いらっしゃいませ・・・
この頃はわたしがせっせと通った頃ですね。
昔の清里駅は高原の駅といった雰囲気がありました。
この頃は駅の近くに峰の茶屋というこれも木造の
食堂くらいしかありませんでした。
昔は学校の寮や、Y.Hの客が中心でしたね。
今は変わってしまって・・・・
なかなか足が伸ばせません。
投稿者: オコジョ at 2008-11-23 09:09:38

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