
笠取峠は、中山道の芦田宿(立科町)と長久保宿(長和町)の境にあります。標高は887m とそう高くは無いのですが、長久保宿からは急な登り道で汗をかき、暑さに耐えかね、旅人が、みんな笠を取ったために、こう名付けたといわれます。
車にとっても、ここは難所で、昔と較べて大幅に道が良くなっていますが、神経を使うそうです。車を運転できない私が見ても急です。
笠取峠は雁取峠とも呼ばれたことがあるようですが、そのいわれは知りません。

旧中山道、芦田宿を過ぎて、笠取峠にむかう、道脇に双体道祖神が二つひっそりと、たたずんでいます。どちらも古く、片方はなんとか、双体道祖神とわかる程度です。
でも、こうして大切に残された野の神は素敵です。

旧中山道芦田宿から、1kmほどで、笠取峠の松並木となります。ここから旧街道は1km近く、中山道随一の松並木が残っています。
徳川2代将軍秀忠は、街道の改修し、一里塚を作りました。また、街道に樹木を植え並木の植樹政策によって、たくさんの並木ができました。いまでも、素晴らしい箱根や日光の杉並木がのこっています。
笠取峠の松並木も、約15町(約2km弱)にわたって、この政策によって、幕府より託された赤松苗753本を小諸藩が、近隣の村人に割当植えたものです。厳しい峠道に風や、日除けをして旅人を守りました。

望月

芦田
歌川広重は「木曾街道六拾九次」を描いて、有名となり、作品も出世作とともに、傑作と高く評価されています。本物を見られればいいのですが、これは並木にあった陶板のパネルです。
2枚の絵を並べましたが上が、望月宿、下が芦田宿です。望月宿のほうが、松並木で、芦田宿は山道で、イメージが異なります。もしかすると、広重は絵の題名を付け間違えたのではないでしょうか。いずれにしてもここは、中山道の名所でした。

平成5年時点で、100本ほどの松が残っています。昔はこの7倍、さぞかし見事なものだったことと思います。樹齢が150〜300年の時代を得て、広重の浮世絵の世界を忍ばせています。

その昔、笠取峠頂上付近には茶屋があり、金明水・銀明水という清水がありました。
旅人の喉をうるおしていた厳しい峠越えの途中で、旅人が喉を潤した泉です。
ほっと一息、どんな気持ちで旅人が憩いのひと時を過ごしたのでしょうか。
ここに峠の茶屋にあったという金明水を復元していた。
この水は、飲めますので、味わってみましたが、美味しい水でした。

現在は立科町が、この松並木をふくめ笠取峠の旧街道の整備と保護にあたっています。
いつまでも、昔の姿をとどめてほしいと思います。
現在は当たりは公園となっている。この建物はトイレです。
なかなか景観をかんがえていますね。

説明文には、次のように書かれています。
「小諸藩が文化3年(1806)に領地の境界に石標を設置した。東側は小田井宿と追分宿との間の追分原に「従是西小諸領」の石標を建立した。西側は笠取峠に「従是東小諸領」と刻まれた石標を建てた。これはその石標を復刻したもの。」
この二つの石標は現在、小諸城跡の本丸跡に移して、現存しています。

この先で松並木は終わります。その先、峠まで1.3Kmありますが、昔は松並木が続いていました。
この日は、ここで引き返しました。

コブシの花が山の斜面に鮮やかでした。