
仁王門
国分寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願で全国に建立されたと、歴史で習いましたね。
信濃国では上田に置かれました。その国分寺は939年の平将門の乱で焼失しました。
この後約300m北方の現在の地に移転しました。
律令制度が崩壊に国分寺信仰は、漸次衰退に向かいます。

替わって、鎌倉期以降は民衆によるに新しい仏教の復興が始ります。
この国分寺も本尊も釈迦から薬師となり天台宗の寺として生まれかわりました。

三重塔
三重塔(重要文化財)がっしりした約20mの三重塔は上田盆地にある四つの三重塔のうち最大です。
室町期の建築様式で、外部は和様を主とした和唐折衷様式です。
内部は純唐様式、大日如来を安置しています。
落ち着いた雰囲気の均整のとれた塔というます。
上田盆地の三重塔は全て国宝か重要文化財ですが、ここはちょっと場所が
離れて、観光客の訪れも少なく静かな雰囲気が味わえます。

本堂
本堂は江戸末期の建造で、東北信では、善光寺につぐ規模の建物です。
五間×七間の重層で、高さは約17mの堂々としたお堂です。
地元では八日堂と親しみをこめて呼んでます。
毎月8日には金光明経 (こんこうみょうきょう)の読経が行なわれ、縁日の市が
当地方の交易の場となったようです。
民間信仰である蘇民将来信仰も取り入れ、蘇民将来符は有名です。

本堂彫刻
戦国時代に三重塔を除く諸堂が兵火によって焼失しましたか、江戸時代に
入ると諸堂の再建されている。
本堂の彫刻は太郎山神社の本殿と同じ、竹内八十吉の作です。
太郎山の彫刻を見るのは困難ですが、替わりにここで見事な腕の冴えをご覧下さい。

講堂
信濃国分寺跡史跡公園 [国・史跡]
信濃国分寺創建当時は僧寺と尼寺がありました。
この遺構は史跡公園として芝生が植えられ、当時の遺構を見ることができます。
ここは僧寺の講堂跡で法を説き経を講ずる場所でした。

尼寺跡
僧寺の築地から尼寺の築地まで約40mと両寺院がきわめて近接していました。
伽藍配置は、僧寺・尼寺とも東大寺様式といわれる配置になっています。
。

ここは南大門跡の発掘現場です。最近場所がはっきりして、発掘中でした。
現在でも、まだ、研究が続いています。

「史跡公園」には、資料館があります。
当時の古瓦、硯、陶磁器などの展示と当時の暮らしなどが説明されています。
この藁馬は資料館の入口にありました。
上田地方から佐久地方は冬の間に道祖神祭りを行ないます。
そのとき、等身大の藁馬を車の台座に乗せて、地域を回る伝統的な祭りを行う
部落が残っています。