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浅間山 (12月15日 小諸市東小諸より)
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ここでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。一応は調べて、掲載していますが、六十の手習いの、にわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
また、ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


営利目的や-記事に関係のないコメントTBは、予告なく独断で削除させていただきます。

2014年11月16日
小諸城 武器庫と草笛禅師・横山祖道のこと
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ここは小諸懐古園の中にある建物です。
藤村記念館の先にある、小さな蔵のような建物です。

赤く紅葉しているのはドウダンツツジです。



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[ 投稿者:オコジョ at 06:16 | 小諸城 | コメント(6) ]

2013年01月25日
雪の小諸城跡2 天守台、大手門など・・・
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懐古園からの浅間山・・・

懐古園は木が多く、夏は葉陰で見えません。
この時期でもこの程度ですが・・・



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[ 投稿者:オコジョ at 08:02 | 小諸城 | コメント(4) ]

2013年01月24日
雪の小諸城跡1 三の門から本丸
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雪が降ると除雪をしていないところは歩きにくく、除雪をちゃんとしている筈の小諸城跡、懐古園を散歩道に選びました。

先ずは、懐古園入口の三の門です。
「懐古園」の大額は徳川家達(いえさと)の筆です。家達は最後の15代将軍慶喜のあとを継いだ徳川16代当主です。14代将軍家茂の跡を継ぐはずでしたが、幕府滅亡の危機で、4歳の徳川家達には無理と、15代将軍は慶喜になっています。維新後、徳川家の取りつぶしが計られますが、家茂正室の和宮や勝海舟など、様々な人々の努力で徳川家を免れ、家達が16代徳川宗家を継ぎました。家達は後に、貴族議員議院議長、日本赤十字社社長として活躍しています。

小諸城は何度も紹介していますが、初めての方もいるようなので、説明をしていきます。ご存知の方は読み飛ばしてください。



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[ 投稿者:オコジョ at 07:44 | 小諸城 | コメント(4) ]

2008年06月15日
小諸城関係追加  水明楼・銭倉ほか
小諸城に関しては何回かの紹介で一応は住んでいるのですが、大手門も復元された
こともあり、紹介を忘れたことなどを追加しておきます。

1水明楼
島崎藤村は明治32年から明治38年まで、旧師木村熊二の招きで小諸義塾教師と
して、6年間小諸で過ごしています。
木村熊二の別荘「水明楼」は藤村が「小諸なる古城のほとり」の中で「千曲川
いざよう波の 岸近き宿にのぼりつ」
と歌われ、当時、中棚鉱泉と呼ばれた
中棚荘のすぐ上にあります。

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[ 投稿者:オコジョ at 08:08 | 小諸城 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2008年06月14日
小諸城大手門  (復元後)
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先日、小諸城大手門竣工イベントをアップしましたが、イベント重視になってしまいましたので、もう一度紹介したいと思います。

イベントが終わり、大手門の周辺は静けさを取り戻しました。

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[ 投稿者:オコジョ at 07:33 | 小諸城 | コメント(5) | トラックバック(0) ]

2008年05月26日
小諸城 大手門竣工イベント
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昨日の5月25日に小諸城大手門竣工イベントが行なわれました。
小諸城は戦国時代の武田の領地時代に山本勘助が縄張りをしたという伝説が
有りますが、実際に城を最終的に配置、築城したのは仙石秀久です。
仙石秀久は天正19年(1591)に小諸城主として、入封、慶長年間(1569〜1615)に
小諸城を築城しています。
大手門は小諸城の表門として慶長17年(1612)に完成しています。
当時としては瓦葺の門は珍しかったので瓦門と呼ばれました。
青森の弘前城の追手門とともに東日本の代表的な大手門で重要文化財です。

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[ 投稿者:オコジョ at 07:35 | 小諸城 | コメント(12) | トラックバック(0) ]

2008年02月17日
小諸城 〆掛墓地と七五三掛城  
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小諸城址下の千曲川の対岸から浅間山を見上げた写真です。
写真の左側30メートルの切り立った崖の上に七五三掛城跡がありました。
別名は注連掛城・〆掛城、本名も含めて、読みは「しめかけじょう」です。

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[ 投稿者:オコジョ at 00:00 | 小諸城 | コメント(8) | トラックバック(0) ]

2008年02月02日
小諸城 7 武家屋敷
1馬場町
明治維新により、武士階級の没落によって、多くの武家屋敷が失われ、
生活環境の進化や都市開発によって消えていきました。
小諸も武家屋敷は、そのまま保存されている武家屋敷はほとんどありません。
消滅したといってもいいのですが、そのかすかな痕跡を追ってみました。
小諸城の北の旧足柄町と旧馬場町は上級藩士の屋敷があった町です。
ここは旧馬場町の通りです。

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[ 投稿者:オコジョ at 07:50 | 小諸城 | コメント(13) | トラックバック(0) ]

2008年01月27日
小諸城 6 本丸
2
小諸城には、この天主台の上に仙石秀政が築いた三層の天守閣がありました。
しかし、寛永3年(1626年)落雷で焼失してしまいます。
徳川幕府は、その再建を許しませんでした。

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[ 投稿者:オコジョ at 08:32 | 小諸城 | コメント(8) | トラックバック(0) ]

2008年01月26日
小諸城 5 本丸周辺
1
本丸に入るには深い空堀(今は埋められて、浅くなっています。)を黒門橋で
渡ります。黒門橋は南谷と北谷を結ぶ堀切で当時は架け外し自在でした。
「そろばん橋」とも呼ばれた太鼓橋がかかっていました。
橋はで、掛け外し自在になっていて敵が攻めてくるときは橋を取り外し
敵が渡ることが出来ないようにできました。

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[ 投稿者:オコジョ at 07:39 | 小諸城 | コメント(14) | トラックバック(0) ]

2008年01月14日
中山道 御馬寄
P1059718
八幡宿から登っていくと下原部落になります。
ここから、千曲川までは、江戸時代は御馬寄(みまよせ)村でした。
このあたりは「望月の牧」の周縁部で、牧の馬を寄せ集めた場所所でした。
その馬は朝廷に貢馬した馬で、御をつけました。
ちなみに少し、南には駒寄という部落もあります。
貢馬は「こうば」と読みます。日本語は難しいですね。

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[ 投稿者:オコジョ at 00:00 | 小諸城 | コメント(10) ]

2007年12月29日
小諸城4 山本勘助と小諸城
P1250350鏡石小
遠近(おちこち)の深山隠れの秘事の縄 幾千代を経む城の松風

山本勘助が小諸城を築城したときに創ったとされる歌です。
小諸城の本丸跡には山本勘助が小諸城築城したときに磨き上げた「鏡石」があります。

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[ 投稿者:オコジョ at 00:11 | 小諸城 | コメント(10) | トラックバック(0) ]