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2017年05月27日
このぼやきで恐らく2割もない幸せな話の一つ
ここ暫く、どうにも気分がのらない。いや、はっきり言って不調だ。
まあ、季節的なものだろうと、半分は諦めていたのだが、スケジュール調整に支障をきたしそうなので、相も変わらずキリキリとした焦燥感を感じていた。
いっそ、予定等、なくしてしまうか。暫く筆を置くか。
そんな事さえ考えていた。
今更、見栄を張る必要もあるまい。認めよう。
僕は描く事からすら逃げたくなっていた。
しかし、見栄はなくとも意地はある。擦り減り、無くなりそうではあるが、確かに僕の心に突き刺さっている矜持だけが、画家であろうと踏みとどまらせていた。
それでもやはり、健康状態は良好とは言い難い。
これでは格好がつかんな。
そんな事を考えながら、怠惰に日々を過ごしていた。

そんな状態を妻も察していた様で、日常の中でさり気なく僕を気遣ってくれた。
先日、妻が、
良いものをやろう。
と、小さな木箱を渡してくれた。
暫く前から注文をしていた名前入りの特注の扇子が、そこに収まっていた。曰く、遅めの結婚記念日のお祝いだそうだ。
素直に嬉しかった。
いつも、消耗品程度に考え、無いよりはある方が格好がつくだろうと、安い扇子を持ち歩いていた僕には勿体無い逸品である。
しかし、こんなに良い品を貰ってしまえば、格好をつけねばなるまい。
あまり気乗りはしない以前に、気力さえ無いに等しいが、それでも、前に進もうという気持ちにさせてくれた。

そんな事もあり、幾分か穏やかな気分で仕事の合間に、アトリエで制作の前段階の下準備を進めていた。
実は今は妻と同じ職場に居る。つい前まで、絵の講師をやらせてやるとの約束で某所に居たのだが、どうやらそれは方便だったようで、その対偶の悪さに嫌気が指して転職してやった次第である。まあ、転職と言ってもバイトなのだけれども。
今日は、そのバイト先での仕事が一区切りついたので、打ち上げの飲み会が開かれていた。妻は生憎、風邪を引いて寝込んでおり、不参加だったのだが、僕は折角なのでと、参加してきた。

実は、数日前、妻と小さないざこざがあった。
僕はこの体質なので、フルタイムで働く事は今の段階では少々、無理がある。だが、妻としては社会復帰を果たし、バイトから契約社員程度にはなってほしいという願望があるようで、僕が社員を目指しているので、バックアップを頼みたい、と上司に相談してしまったようだ。
そうなると、それ相応の研修カリキュラムを受けねばならなくなるのだが、当然僕にそれをこなす能力は無い。
そんな事を勝手に決められても、僕にはそれに耐える力が無いのだから、精神的な負担が増えるだけで迷惑でしかないといった内容の事を明らさまに不機嫌な態度で伝えた。
その場は、もうこの事はお互いに掘り返さない事にしようという形で収まった。

そして今日、飲み会の席で、共通の親しい友人から妻の話を聞かされた。
「橋本さん、この前、ロックさんに悪い事してしまったって、頭、抱えてたで」
「え?なんかあったっけ?」
「いや、社員に推薦したけど、それが負担になってしまったって」
「そんな事、言ってたんや…」
「うん。やから、ロックにだけ頑張れって言うんじゃなくて、私も出来るだけ働こうと思ってんねん。て、言ってたで」
「…。全然、知らんかった…。そんな事があったんや…」
「あ、ごめん。言わんかった方が良かったかな」
「いや、知れて、少なくとも僕は嬉しかったで。
…。あれやな。ええ嫁やな…」
ぼんやりと、そんな言葉を口にした。何とも間抜けな表現ではあるが、心から湧き上がってきた言葉だった。
「うん。ほんま、ええ嫁やで」
この友人にも感謝せねばなるまい。

家に帰ると、妻に何かしてやりたいと思った。しかし、僕は、
「ありがとう」
と口にすることくらいしかできない。
実を言うと、僕は愛情表現が苦手なのだ。
「ありがとう」は何度も言った。「すまない」も日々、伝えている。しかし、「愛している」は滅多にどころか数える程も口にしていない。ジョン・マクレーンと真逆である。古い意味で軟派な奴だと、我ながら失笑を禁じえない。文学おたくらしい辛気くささである。
そんな体たらくなので、よく、
ロックは本当の気持ちを伝えてくれない。距離がある。冷たい。
と、言われるのだけれども。その度に、
おもっているからこそ、口にできない事もある。だからこそ、それは真実なんだ。まあ、察してくれ。
等と、はぐらかすのが常である。

結局、
好きだとか愛しているだとかいった気の利いた言葉は口にできなかった。
ただ、今が幸せな事、今日、とても嬉しい事があった事、そのお陰で、少し元気になれた事を何とはなしに話した。
そして何より、感謝の気持ちを心から込めて、いつも通り、「ありがとう」と伝えた。
恐らく、妻は察してくれただろう。優しく微笑んでくれたから。
[ 投稿者:Rock at 03:00 | ぼやき兼覚え書き ]

2017年03月13日
弱さ
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僕の絵には強さがない。

今、卒展が開かれているのだが、そこで講評をしていただいた。曰く、決定打に欠けるそうだ。

実を言うと、その点には自覚がある。僕の絵は、「弱い」のだ。

良く言えば、静かで落ち着く、という表現ができるだろう。しかし、ふんわりとしすぎていて、画面の迫力に欠ける。

密度はある。技量もある。そこは自負できる。しかし、やはり足りないのだ。

それは何か。

血煙の五右衛門を見てきたばかりなので、「無我の境地」等と言ってしまいたい、そんな気分ではあるが、それで片付けてしまえば永遠に解決はすまい。

迫力。熱量。勢い。

ニュアンスでしか伝えられないが、自分の中では形はあり、理解している。

だが、描けない。

踏み切れない。

幾年か前の、無頼を気取り半ば捨て鉢になりながら生きていたころならば、それはできたかもしれない。しかし、今となっては、幸福で平穏な安泰に浸かりきってしまった今となっては…。

無論、心の穏やかさを得たからこそ、今の安定した作風と制作ができている事は事実なのだが。

どうしたものだろう。

この弱さに関しては、ここ数年ずっと抱えてきている問題であるので、そろそろ一皮むける時期ではないかと考えているのだが…。

とりあえず、月末の旅行を楽しみ、その間は絵の事を完全に忘れ、帰ってきてから再度、頭をかかえようと思う。
[ 投稿者:Rock at 00:00 | ぼやき兼覚え書き | トラックバック(0) ]

2016年07月03日
絵画徒然
語りたい気分なので、ちと、小話を。
勉強会に参加してきた。作品展開や、状況に合った立ち位置の話、市場の仕組み。どれも為になった。
しかし、一番、心に刺さったのは、
どうなりたいか。
という問いであった。
隠すつもりもないが、あえて言おうとも思わぬので、普段は聞かれぬ限り公言はせぬのだが、僕はどうやら精神障害者らしい。
薬を飲み始めて、10年になるか。今では重度のメディカルジャンキーである。常人が一粒飲めば、立ってるのも辛くなる程の威力の薬を常用している。抗体ができてしまい、どんどん強力な薬を処方するようになって、このザマだ。外国では麻薬指定に入ってある薬すらある。
そんな訳で、意識は常に混濁している。それを言い訳にするつもりはない(それは僕が最も嫌う行為の一つだ)が、事実として、思考力が著しく低下している事は確かだ。
そんな僕だが、先の問いに対する明確な答えは持っている。
絵で成功せぬのは百も承知。利害も勝敗もほぼ公算の外だ。それでも描く。闇雲に描く。評価はされるかもしれぬ。偶には絵も売れるだろう。しかし、絶対に大成はせぬ。だが、それで良い。何故ならば、僕の芸術は未だ完成していないからだ。僕の芸術は、僕のこの無謀な生き様、燃え滓こそが本質だ。それらは僕の死を以って完成する。なので、勝敗も利益も評価もその後で付けたい人間が付ければ良い。僕は、そう思っている。
だが、そう言えなかった。何故ならば、それは正解、不正解で言えば、明らかに不正解なのだろうから。
僕はどちらかというと、芥川の書、芸術その他で言う処の芸術的遊戯説に傾いている。そも、芥川を敬愛している時点で典型的な芸術至上主義者だ。
「全ては芸術の為に」
いつからか、それが座右の銘となっていた。

しかし、それでは飯が食えぬだろう。然り。
なので僕は兼業画家をやっている。昔は絵だけで食おうとしていた。いや、ジリ貧ながらも食えていた。しかし、ここで言うには憚れる様な、乱暴な仕事であった。
祖母の遺言である、
「主体性のある絵を描け」
という言葉にも明らかに反していた。
心は荒み、自身の絵が忌々しく思えてきた。この状態では、食う為の絵が、芸術を成す為の絵を殺す。そう思った。
確かに絵だけで食べているというと、耳障りは良い。だが、やっている事は、何番煎じかも判らぬ粗悪品の投げ売りだ。これでは芸術を冒涜しているのと同じではないか。
だが、僕には絵でしか食えぬ理由が見栄意外にも一つ、あった。
働けないのだ。
先にも記したが、僕は障害者だ。日常生活に支障をきたすレベルで精神が弱い。例えば、僕を殺すのなんて簡単だろう。毎日、罵倒すれば一年も経たぬうちに自殺するさ。
なので、絵で食うしかなかったのだ。だが、今は違う。障害者手帳を受給したので、そういった人達の集まる場所で働いている。幸い、絵画関係でもある。
堕ちたものだ。そいつは逃げだろうと、言われるかもしれない。しかし、これは僕の芸術を、純然たる芸術性を守る為に必要な事だったのだ。
そう、全ては芸術の為に。

そんな事を考えながら家に帰り、妻に今日、学んだ事を話した。
そして、いつも通りにぼやいた。
「僕は業界では完全に異端だからなー。活動はしたいが、日本画界隈では完全にアウェイだよ」
「そこで活動する意味はあるの?仮にできたとして、そこで活動したいん?」
「頭を下げて頼まれない限り、ごめんだね。まあ、半分、意地もあるけど」
「そやろ。そいつらの絵は売れてるか?好きと言ってくれる人は居るか?そこで絵を描く意味はあるのか?」
「随分、攻めますな」
「お前、たまにでも絵、売れるやん。しかも、ロックの絵を買ってくれる人は、別に絵のコレクターとかでもなくて、単純にロックの絵が好きな人で、ロックもその人達の事を大事にするし。私は、そういう所、すごく好きだよ。
それに、パフォーマンスの仕事も降ってもらえてるやん。そいつらに同じ事ができるか?同じ舞台に立てるか?
お前にはお前の居場所がある。それを忘れんな」
「今日はまた、やけに甘いやん。いつも厳しいのに」
「私、大多数の中で、一人になっても自分を貫いている人を守りたいと思うタイプやし」
「そいつはありがたいね」
少し、救われた気がした。一番厳しい、一番の理解者はいつも僕のすぐ隣に居る。

それから、心機一転、気を引き締めようと、筆をとったら、久しぶりにゾーンに入って、今まで制作をしていた。
近頃は少し、技術が進歩した。10センチ四方のiconシリーズを描いた事により、細かい描写の幅が増えたのだ。ピクセルの数、解像度が増えた様な感覚というと、しっくりくるのではないだろうか。
作る物は、どんどん良くなってきている。それは確かだ。
だが、問題は、その後の展開の仕方、描く以外の面での詰めの甘さなのだろう。実を言うと、先の展示で、それらを痛感していた。
例え、死を以って完成する芸術を成そうとしているのであっても、その途中が半端であれば、骨を拾ってくれる者もないだろう。
やらねばならぬ事、覚えなばならぬ事は膨大だ。
だが、今は、眠るとしよう。
様々な感情を胸に、微睡に溶けよう。
[ 投稿者:Rock at 07:00 | ぼやき兼覚え書き ]

2016年06月02日
祖母と茶
用事があって、ちょいと京都までぶらり。そうだ、京都へ行こうなんていう距離感ではなくなってしまった事が悔やまれる。
五時を回る前に四条に着いたので、八坂さんでお守りを買い、古い方はお返ししてきた。
隣にある東大谷には祖母の遺骨が納骨されている。
随分、無沙汰したものだと、挨拶に。歳のせいか、あの石段は足にくる。
汗を拭い、合掌。
祖母よ、元気でやってるかい?僕は多分、貴方の望む姿にはなれなかったが、貴方の示した志のお陰で、ここに居るよ。ありがとう。
石段を降りて、自販機でジュースを買う。こうも暑いと嫌になる。まだ梅雨入り前だというじゃないか。
白ぶどうアロエを買おうとしたんだが、綾鷹が出てきた。
なんだよ。確かに色は似てるけどさ。紛らわしいもん隣に置くなよ。
そう思いながら飲んだ茶は、昔、祖母が出してくれて、ジュースの方がいいなんて文句を垂れながら飲んだ茶の味に似ていた。
急須で入れたお茶の味がするってCM、本当だったんだ…。
もしかしたら、歳を気遣った祖母が押させてくれたのかもしれんな。
なんて事を思いながら帰路に着いた。ギリギリ五時前だが、日が高い。明日も暑くなりそうだ。
[ 投稿者:Rock at 23:00 | ぼやき兼覚え書き | トラックバック(0) ]

2016年04月03日
さっき思いついた。
生きたいとか、死にたいとか、そういう次元は既に超えた。
ダサく生きて、カッコよく死ぬのは良いな。
カッコつけて生きて、ダサく死ぬのだけは御免だ。
と、カッコつけてみる。久々にロックな事、言えたね。
[ 投稿者:Rock at 01:00 | ぼやき兼覚え書き | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2016年02月26日
道化も踊らば、立つ瀬はある。
僕は必要以上に語る作家を好かぬ。勿論、自身の芸術を聞かれれば答える。しかし、あくまで作家は職人、その声を代弁するのは作品であるべきだと考える。
だが、前回の独白から間を開けず、作家としての新しい在り方を得るに至ったので、また少しばかり散文を綴ろうと思う。

障害者支援施設で働くにあたり、履歴書にも一応、記入していた事もあって、photoshopのスキルがどの程度あるのか見てみたいとの意図で、何でも良いから何か描いてみてくれと、言われた。
画業をやっているとこういう事はたまにあるもので、その度に、随分といい加減な注文をしてくれるものだと、感じるのが常である。
しかし、露骨に手を抜ける程、器用でもないので、適当に形になるものを仕上げた。
すると、それが職員さん達に好評で、ちょっとした歓声があがった。
凄いじゃないか。まるでプロだ。
と、言われ、
それはそうだろう。プロなのだから。
と、内心思いながら、向けられる賛辞に、愛想笑いをする僕は、自身を酷く哀れに思った。
僕という人間は実に卑屈で、そういった言葉に対し、いつもぎこちなく笑う姿を道化のようだと、感じていた。

次の日、作業所に向い、どういった形態で入所するかの相談をした。
僕は正直、社会復帰は目指していない。どうせまた過呼吸でも起こして倒れるのが目に見えている。なので、社会復帰支援は受けず、所内で誰にでも出来る軽作業をするつもりでいたのだが、思わぬ提案をされる事となった。
施設利用者の方々に絵を教えてはくれないかと、いうのだ。
嬉しかった。
僕の絵を描く事の理由の一つに、絵画の可能性を示したいというものがある。
親しい友人が昔、言っていた。
絵画は誰も救わない。
と。その言葉は、僕の中にずっと根差していた。僕には、その言葉を否定する事ができなかった。
絵画は美術は芸術は、呪縛だ。それに真摯に向き合う程に、それは作家を苦しめる。制作をされている方なら、誰しもそう思う瞬間があるのではないだろうか。
実際、それが苦しくて僕もここに居のだ。
そんな中、絵画を通して、障害のある方々(僕もその中に入ってしまっているのだけれど)が、楽しみを見つける手助けをしてはみないかというのだ。これは、僕自身とその芸術に与えられた希望だ。絵画の可能性だ。

結果、僕は、僕自身もその施設で支援を受けているという形で、講師をする事になった。
まだ誰も何も救えてはいないが、こういった巡り合わせもまた、僕を支える人運の一つなのだろうから、僕はその運に報いたいと思う。

僕の新しい仕事は、絵の先生です。
[ 投稿者:Rock at 03:19 | ぼやき兼覚え書き | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2016年02月12日
社会人になります。その理由や経緯や、気持ちとか色々な事(長め)
作家としての転機を迎えたので、少し自分語りでもしようか。気が向いたら、付き合って頂きたい。

社会で働く事にした。一般的な雇用契約とは少し違うかもしれないが…。
別段、隠す気もないし聞かれれば答えはする。しかし、公表しようとも思わないのだが、この話題の要となるので、告白するとしよう。僕は精神障害者だ。
医師に、仕事をするにあたり、まともな企業や組織での労働は不可能であるので、障害者を雇用する作業所で働く為に、診断書を書いては貰えぬかと、頼んだら、あっさりと了承された。僕はてっきり、甘えるな。そうやって楽な方へと流れるから、お前は駄目なんだと、諭されると思っていたのだが、橋本さんは働く意思があると思うし、その為にそれが必要ならば、僕はバックアップしますよ。甘えだとは思いません。と、言ってくださった。
ここの医師には大いに救われている部分がある。ありがたい。
話が脱線した。元に戻そう。
就労しようという思いに至るには、幾つかの理由があった。

今までは、一応は画業で糊口をしのいでいたが、正に貧乏暇なしといった体たらくで、金銭的にも全く安定しない生活が続いた。しかし、画で食べているというと、時に羨望の眼差しを向けられる事もあり、僕はそれが申し訳なかった。僕は尊敬に値するような人間ではない。また、画だけで食べているとは、生意気な事を抜かす奴だとも言われた。こちらは単なる嫉妬と、流せたが、それでも良い気はしなかった。実質、立派な人間でない事は確かなのであるし。
そもそも、僕が画業で食べている理由は、「それ以外に出来る事がないから」である。日によっては、体が動かない。頭は常に霞のかかっている様な状態で、朦朧としている。そんな人間が、一般的な職場で働ける訳がないではないか。
なので、僕は工夫をした。画しかできぬのなら、それしか飯の種がないのならばと、画で収入を得る方法を思案した。微睡画というブランド価値を落とさぬ為に自身の名を明かさず、二束三文で簡単な絵を描いたり、デッサンの講師の真似事をしたり。どれも画家としては三流の仕事だろう。故に、後ろ暗さもあった事は否定しない。

また、一人で制作を続けるという事は、非常に辛い事である。僕は常々、言っているが、これ以上に精神衛生上、良くない行為は、そうないだろう。
僕の作品は、無意識がテーマであるが、その無意識は悲哀を内包している。制作は、その悲哀と対峙し、それを画面に心地良く感じる色彩で構築していく行為だ。なので、毎日、毎日、自分の悲哀と、深淵を見つめ続ける。健康でいられる訳がない。
僕は良くも悪くも真面目なのだろう。絵画の事となると、加減を知らない。愚かしい程に素直である。
しかし、愚直というものは時に悪にもなる。嫉妬、不安、憤り、それらもまた、そこから生まれてくる。
なので、外に働きに出る事によって、「休む」時間を確保しようという意図もあった。医師も、しんどくてフラフラしている時でも、作業所に出向く事によって気分転換もできるし、極論、出勤した先で休めばいいんですよと、言っていた。

という訳で、諸々の手続きが来週中には終わりそうなので、それが済めば僕も晴れて社会人である。
副業画家は純然たる作家ではないと、言われそうだが、作家を作家たらしめるのは、その人間の矜持だというのが持論だ。僕は、微睡画家としての在り方を崩すつもりはない。
そう取り繕ったところで、結局のところ、お前は描くという苦しみから逃れただけではないかとも思われそうではあるが、この選択は、自身の純然たる芸術を守る行為であると、考える。名前も出せない。完成させても公開もしない。したくない。そんな作品を描く事は、果たして芸術家として正しいと言えるのだろうか?
僕は、今までもこれからも、一人の作家だ。世界に一人しか居ない微睡画家だ。そう胸を張って言えるし、そう在り続ける覚悟もある。人間、一つくらいは譲れぬ物があるものだ。
相変わらずの散文、長文になってしまったが、これからも見守っていって頂ければ幸いである。
[ 投稿者:Rock at 21:23 | ぼやき兼覚え書き | トラックバック(0) ]

2016年01月24日
卑屈論
僕は卑屈だ。今に始まった事ではないが、常に自分を卑下し、人を妬んでいる。
そういった感情を抱く事は人間として至って正常であると思うが、僕のは度が過ぎている。
同窓の友人、後輩、知人が次々と活躍していく。そんな中、僕は彼らに置いていかれ、ずっと底の方で這い回っている思いになる。
彼らは持っている。そして、僕は持っていない。
実際は、そんな事は無いのだろう。僕を評価してくれる人も居るし、それどころか、作品を購入してくださる人も居る。
例え、業界人に評価されずとも、一定の層は僕を認めてくれている。それを、僕は評価されていないというのは失礼にあたるというものだろう。
大体、業界に評価されたくば、される絵を描けば良い。それだけの事だ。それを拒むのは、僕には譲れぬ画道があるからで、その志があるからこそ、僕を評価してくれた人は僕の作品を好きだと言うのだろう。
そう考えると、ある意味に於いては、僕は突出している。大体、大学の教授にも、面白い表現をするが、その画法を用いている作家は居ないので、苦労するだろうと、言われたではないか。そもそもが、イレギュラーな存在なのだ。
それを踏まえると、少しは自信を持てた。だが、根底にある僕の性質は変わらない、変えようがないので、卑屈である事に変わりはないが。
この間、友人と面白いやり取りをした。その中で僕は、卑屈は一つの武器であると、言った。
卑屈であればこそ、自身を疑い、増長せず、制作に対して強かでいられる、と。
芥川や啄木も、その手の人種であった。

しかし、これらは既に理解していた事だ。今更、迷う必要のない事だ。
そうであるのに、僕はここ最近、何故、苦悩していたか。その答えが解った気がする。
僕は一時期、絵画を本気でビジネスとして展開していこうという目標の元に、幾人の作家や企業と話を進めたが、そこで述べられるのは利益率の話ばかりだった。要は、商品にならない、値段の付かない作品には何の価値もないと。値段をつけるには、賞を取らねばならぬ。そして、コンペの中で競う同業者は全員、敵だとかいう話をしていた。
正直、窮屈であった。
なので、一人でフリーで生きるという道を選択した。芥川の言う、芸術の為の芸術に於ける芸術的功利説の様なものを感じ、辟易していた事も事実であったし。僕はどちらかと言えば遊戯説側の人間のようだ。
しかし、どうやら、その時の論法が頭に染み付いてしまっていたらしい。
なので、完全に功利説側のロジックの中で、遊戯説を行う事になってしまっていた。そこから来る破綻や矛盾が、僕を追い詰めていったのだろう。
原因さえ解ってしまえば、なんのことはない。僕は僕であれば良いのだ。
作家を作家たらしめるのは、その人間の芸術に於ける矜持に所以する。口にはすれど、その真意を知らぬうちに忘れてしまっていたのだろう。恥ずかしい限りだ。
僕は僕の思う僕のやり方で、作家であり続けようと思う。いつか、その在り方を誇れる様になりたいものだ。
[ 投稿者:Rock at 17:50 | ぼやき兼覚え書き | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2015年12月28日
yome-tsurezure
自分の名前を検索してみたんよ。犯罪歴とか載ってたらマズいから。OD常習のXXでYYとZZしてたなんて知られたらマズいから。一部イニシャルの意味を成してないね。
んだらよ?なんでか私の名前と一緒に嫁の名前(旧姓)が出てるではないか。けどね、そのリンクの先に行ってみても僕らは何の関連もなく、なんかの展示でたまたま同じ記事に名前が載っただけだったんだよ。いやー、怖かったね。うむ。怖かった。
もしかしたら、その記事の中と同じですぐ近くに居るのに交わる事もなかったかもしれないからね。いやしかし、巡り合わせとは奇妙なものだ。袖触れ合うも他生の縁とはよく言うたものよ。
嫁に会っていなかったら、今頃、ひっそりと死んでいるか、心身共に手の施しようがない程にブチ壊れてた自信があるね。最近はマリッジハイが抜けて、死相を滲み出させているけれど、表情は穏やかになったと、言われるからね。メイクスキルが上がったかな?
兎にも角にも、嫁は僕の運命を変えてくれたんよね。ありがたい話ですな。
そんな嫁だが、最近の僕に対する仕打ちが酷い。あまりに酷い。
顔をマジマジと見て、
いやー、見る見る劣化するなー。
だとか、
よく見ると、本当、キモいよね。
とか、言ってくるからね。で、
最近、歳とったかな?
と、いう問いに、
そりゃあ、人間は老いるものさ。相応には老けたんじゃない?
なんて言うと、
そんな事ない!!
て、キレますからね。無情。嗚呼、無情。
でもね、そんな嫁でも僕を気にかけてくれてるんよな。この前、めちゃんこ不調でさー。これはカクテルぶち込んで乗り切るしかない!!て、事で、オリジナルブレンドを精製したら、スッゲー腹、壊してさ。そしたら、次の通院日に絶対に一緒に行って、怒ってもらうとか、言いだすのよ。
病気の事も色々、調べてるみたいでね。
鬱に共なう症状の原因は、ストレスによる脳の萎縮によるものだから、セロトニンをどうこうするよりもまず、ストレスケアに重点を置いて、薬を少しずつ減らしていく方が良い。それに、脳の萎縮は空間認識能力の低下を引き起こすから、画家としても致命的だから、早く治そう。
なんて、言ってくるのよ。夫として、人として、画家として心配してくれている。ありがたい話だ。
まあ、調子が悪い時は、たまにやっちゃうんだけどね。嫁不幸者だな。でも、そうでもせんと体は動かんし、締め切りは待ってくれんのです。
後、この前、嫁が駅前の看板をしげしげと眺めててさ、その時は別に気にせず、早く行こうよなんて言ってたんだけど、後々、気になって見てみたらメンタル系の医療施設の広告看板だったよ。
本当に僕の事を考えてくれてるんだな。心の底から。
嫁は心が綺麗なんだよ。純粋なんだ。
思った事をすぐに口にしてしまうのは、それ故なんだろう。
[ 投稿者:Rock at 01:00 | ぼやき兼覚え書き | コメント(0) | トラックバック(0) ]