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2018年08月22日
誕生日
さて、今日、僕の人生は三十二年目に突入した訳であるが、なんのことはない平常通りの一日であった。
搬入に行き、妻と遅い昼食を食べ、帰宅し仮眠をした後、制作を始め今に至る。なんのことはない日常である。しかし、僕はこの日常を尊いものであると考える。
絵を描き始め、何年になるか。丁度、今まで生きてきた時間の半分程ではなかろうか。
変わらずに筆を持てている事実が、僕には只々、嬉しい。
昔、思い描いた大作家の様な良いものではないが、これはこれで悪いものではない。少なくとも、生きて、描けているのだから。

現在、僕の参加しているLINK展が開催中で、本日の搬入は二十四日からの「芝田町画廊公募展」の為のもので、会期は九月の二日となっている。お時間があれば、ご高覧いただければ幸いである。
この公募展は名前の通りコンペ形式であり、来場者の投票もある。
なので、是非、僕に票を入れていただきたい。
等と、言うつもりはない。僕は多くの人のlikeではなく、例え少数であろうとも、誰かのfavoriteになりたいのだ。票の問題等、瑣末なものである。
昔、世界に一つだけの花、という曲が流行った。要はそういうことなのだろう、とも思われそうであるが、これもまた否である。
いや、厳密にはそうではあるのだが、「ありのままの自分でいい」という解釈が僕は大嫌いなのである。
そも、ありのままとは何か?詭弁の上に胡座をかいて怠惰に溺れているだけではないのか?
それでは何の価値もない。
オンリーワンというものは、ナンバーワンを目指すにあたって出来る付加価値であると、僕は考える。
凡庸な人間が秀でた人間の中で注目を得ようと思ったとしても、それは並の努力でできるものではない。時間も体力も無限にある訳ではないのだから。
では、どうすればいいか。
厳選するしかないのである。頂点に届く様、一点のみを見定め、その技を極限まで磨けば、もしかしたら到達できることもあるのかもしれない。凡人はその一点にしか希望を見出せないのである。
そうして磨き上げた技が、表現が、スタンスが、オンリーワンといえるものになるのではないか。僕はそう考える。
僕にとってのそれは色であった。緑青の靄が、僕のオンリーワンである。

長々となってしまったが、個展を含め、様々な展示が続く。僕はこれからも、いままでと変わらず生きていきたい所存である。今まで同様、描いていくつもりだ。
悪あがきを続け、幾年になるか。幾年先まで続くか。
これからの十年に希望を、今までの三十二年に感謝を。
[ 投稿者:Rock at 23:00 | ぼやき ]

2018年05月20日
ダサイクルから抜け出したい
アートムーブ、無事に終了しました。ありがとうございました。お疲れ様です。
これで春から怒涛のごとく続いた制作と展示が一応の区切りはつき、小休止できそうです。

今回の一連の活動で色々と考えるところがありました。悩むのは常ではありますが、思考することは久しぶりかと思います。
僕はここ数年、作家として誰かと接することを極端に避けてまいりました。人付き合いが苦手ということもありますが、作家としての自信が持てないのであります。昔は、「我が芸術」を語り、啖呵の一つも言えたものですが…。

そも、「作家」とはなんぞや、と問われれば、「創作者」であると思うのですが、それが、「作家活動」というものになると勝手が違ってまいりまして、「創作をすること」で止まってしまってはいけないのです。作品を創り、展開し、発展させ、流通をさせる。そこまでしなければならない。
それを踏まえて、自身の活動を思い出すと空恐ろしい気分になるのでした。
自分は何をしていたのだろう。
狭い幾つかのコミューンで作品を発表して、居た堪れなくなって引き篭もっての繰り返しで、作品の展開と発展を全く行っていないではないか。
好きな漫画、石黒正数氏の「ネムルバカ」でえがかれているダサイクルに物の見事にはまってしまっているのではないか、というおもいに駆られるのでした。
ダサイクルとは、限定的なコミューン内での「見る→褒める→作る→褒められる→見る」の繰り返しで、輪の中で需要と供給が成立している状態、と氏は語っておられますが、僕の作家活動は正にその通りではないかという恐怖の念を覚えるのです。
勿論、輪の中には僕以外の作家さんも居られるのですが、彼我の差は明確であります。「彼らは他の場所でも作品を展開、発展、流通させている」
僕がうじうじと、作家という名目の下、引き篭もっている間、同業の作家は先に述べた作家活動を行っているのでした。僕がサイクルを抜け出し、自己の中のさらに狭いサイクルを回している間、彼らはサイクルを連鎖させ、より大きい尺度で作品を展開、発展させている。
今思えば、自信の有無もそこに起因しているのではないかと思います。

そのような明確な根拠に基づいた不安ならば、取り払ってしまえばいい。
そういった意図で、この春はとにかく展開を、展開を、と奔走していたのでした。
ですので、一連の結果には満足しています。これからは、どう発展させていくかが課題となるでしょう。それが上手く行った時、きっと自信を得ることができるのではないか、と考えております。

蛇足になりますが、嬉しかったことが一つ。
アートムーブ展の作品を観て、以前に別の展示にきてくださった方が、僕の作品であることに気づいてくださいました。そりゃあ、同じ色で同じような絵なのだから、当然だろう、とも思われそうではありますが、そこには「作家の色」があり、それを感じていただけるに至れたのだと感じております。
そういう意味では、発展も少しはできていたのかもしれません。
描いた作品が勝手に一人歩いてくれているのだから、ありがたい限りであります。
これからも、そんな作品を制作し、様々な場で展開していきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
[ 投稿者:Rock at 21:00 | ぼやき | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2018年04月15日
絵描き徒然
近況報告です。
皆さん、ご機嫌麗しゅう。
さてさて、各方面でご無沙汰をしておりますが、まあ、外に出ていないのだから当然の話でありまして…。
冬から春の変わり目と、春の気にあてられて少々、参っておりました。いや、厳密には参っております。
僕は画家であります。が、画家であることは困難です。苦痛です。

外に出る、色んな作家がいる。
皆、素敵な絵を描いている。精悍な顔立ちをしている。
方や僕は薄暗いアトリエから髪もボサボサの有様で這い出し、生気のない目で虚空を見つめるのです。
いや、解ります。誰しもがそうであると。画家は基本、裏仕事です。表舞台に立つことはない。しかし、それでも立つ時が来たなら、見栄の一つも張らねばならない。
それが、僕にはできないのです。
不思議な話でありますね、つい最近まではできていたというのに。
稚拙でも、荒くても、作品と共にある時は、或いは他の作家や作品と対峙する時はいつだって、自信たっぷりに立っていたつもりです。
今は、できないですね。外の気が苦痛で仕方がない。作家として見られるのが辛い。
泳ぐ目に、首から下げた喧嘩札も悲しく揺れるばかり。ああ、なんと情けないことか。

しかし、これは皮肉なのか、最近は漸く作品が評価されてきました。
また、正式に告知いたしますが、今年と来年に一回ずつの個展と、来月には東京でグループ展。先の公募のアートムーブにも入選しました。
あれほど望んだ世界に、レベルに僕はいる。
当然、嬉しいです。
しかし、同時に、
それがどうした。だからなんだというのだ。
という気持ちが、ゆっくりと心臓にへばりつくのです。

もう少し、元気になれたら。自信を持てたら、皆さんにお会いする機会も増えるかと思います。その時は、内心では矮小な僕を宜しくお願いしますね。
[ 投稿者:Rock at 12:30 | ぼやき ]

2017年09月19日
相変わらずのあれ
数日前の、起きている状態がやっとという醜態から、なんとか体制を持ち直し、ここ数日は順調に制作を進めております。いや、気分の波という物は、なかなかに厄介なものです。
しかし、未だ外に出ることは億劫で、ご無沙汰をしておる次第であります。
なんと言いますか、僕の矮小な心の内を明かしますと、辛いのです。頑張っている人、力強く生きている人、そういった人を見ると、自身が酷く惨めな存在に思えてくるのです。
嫉妬という感情ではなく、只々、自分がちっぽけな人間であると感じられるのです。
故に、作家として、人と関わることが、恐ろしいのです。
啄木が、こんな歌を詠んでいましたね。
「わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己が道をあゆめり」
まあ、正に、そういった心持な訳でありまして。
少し前までは、寧ろ自分に自信を持てていたと思うのですが…。それが虚勢であれなんであれ、自身の芸術を語れていたのです。例え、この脳が薬に侵され、回転力が低下していたとしても、それでも、自身の言葉で芸術を語れていた様に思います。
恐らく、自信をなくしてしまったのでしょう。
自分という物が希薄になっている。我を通し、我を求め、結果、我が何か解らなくなってしまいました。
歳を取り、心が老い、弱ってしまっただけかもしれませんが。
しかし、これは、この道は、自身の芸術を追求するならば通らねばならぬ道なのでしょう。殊、芸術の為の芸術とやらの真髄を見極めようとするのであれば。
遺書である「或阿呆の一生」の最後の章を「敗北」と題し、芥川は、こう締めくくっています。
「彼はペンを執る手も震へ出した。のみならず涎さへ流れ出した。彼の頭は〇・八のヴエロナアルを用ひて覚めた後の外は一度もはつきりしたことはなかつた。しかもはつきりしてゐるのはやつと半時間か一時間だつた。彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしてゐた。言はば刃のこぼれてしまつた、細い剣を杖にしながら。」
彼の悲哀に比べれば、僕の杞憂等、大したものではないでしょうが、それでもやはり、堂々と作家として立ち振舞える程、僕は強くはないようです。
申し訳ない限りであります。
強くなれずとも、強く在りたいものです。
[ 投稿者:Rock at 22:00 | ぼやき ]

2017年09月11日
いつものあれ
「嬉しくて、誇れる出来事があったのに、辺りの芝生は青々と茂り、僕は荒廃した大地で何をする訳でなく、空を眺めている」
そんな感じ。
毒を吐いたつもりなのに、何だか面白い文章になったので…。
以下、愚痴と弁明。

ここ暫くの制作は苛烈であった、といったような事を言っていたが、まあ、実生活もなかなかに酷いものであった。
寝て起きて、寝て、起きてを繰り返すばかり。碌に活動をしていない。意識がはっきりとしている時間は一日に五時間、あるかないか程度である。
なので、出かけることもままならない。自身の作品が現在進行形で展示が行われている会場にも殆ど出向けていない。申し訳ない限りである。

そんな僕に温かい言葉をかけてくださったり、遠方からわざわざ展示に出向いてくださったりする方も居る訳で…。僕は沢山の方に励まされている。
しかし、どうにも体が動かない。一日の大半をベッドの上で過ごし、怠惰に塗れた安寧を貪っている。
嬉しい。ありがたい。そういった気持ちも、数十時間後には沼の様な安寧へと沈んでいってしまう。そして僕は、その上で怠惰に溺れる。
そんな僕の醜態、無礼を許していただきたい。
オフィシャルな場でこの様な発言をせねばならない程に追い込まれることになるとは思わなかったが…。なんとも残念で情けない話だ。

最後に絵の話をしよう。
この絵は元々、きちんとしたテーマがあった。太宰の生き様を絵にしようとしたのだが、それを表現できなかった。
普段ならば、その段階で、絵を引っぺがし、「端切れ」のストックにするのだが、今回は別の作品にしてみた。
以前に芸術とは無縁の友人に、失敗した抽象画はどうするのかと問われ、人前には出さず、廃棄すると答えると、勿体無いと言われ、捨てるくらいなら、その時の状態をそのままタイトルにすればいいのではないか、という案を出して貰えたので、そうしてみた次第である。
成る程、確かに太宰の激しさは微塵も無いが、僕の苦痛と自嘲に満ちた、内向的で、べったりとした陰湿さは表現できている様に思う。
こういったアプローチでも面白いものは作れるのかもしれない。

今日は、気が向いたら、古い絵のリベイクをしようと思う。
画面の前に座り、二時間以内に筆を持つ気力が湧けば。
[ 投稿者:Rock at 20:00 | ぼやき ]

2017年08月08日
いちごみるくでマルボロを吹かす気持ち
・思想について
色々な事を考えてきた。ずっと考えてきた。
だが、それは単に、そんな気がしていたというだけだったのだ。
何をしていた。何について考えていた。
芥川について。芸術について。
それは、考えるとは言わない。芥川の囚われた、または芥川に囚われた、どうしようもない芸術感をこねくりまわしていたに過ぎない。
僕は、何も考えていない。

・制作について
描いた。闇雲に描いた。
声援はいつしか、同情へと変わっていった。
屈辱だ。これ以上ない屈辱である。
されど、描かねばならぬ。
そう、思っている。
しかし、結果が出せない。功績も得られない。
正直、疲れた。
今は、絵画に触れる時に、楽しさを見出せるようになるべく努力している。
そんな日が来れば良いのだが。

・自傷について
そんな物ははるか遠くへ置き去りにしてきた。
その他の柵もそうしてしまえればいいのだが…。ここまで引っ張り上げてもらえただけでもマシというものだ。妻には頭が上がらない。
当時は何を考えていたのだろう。
今ではそんな事をする等、考えもしない。そこには耽美性も何もあったものではないではないか。醜く老いた壮年が血を流しているだけである。寧ろ滑稽だ。
当時の僕の在り方が、妻のお耽美趣味を刺激した部分はあるにはあるが、今では、指をさして笑われるのがオチである。
当時は、出血する事である種のスイッチを入れていた様に感じる。
滔々と流れていく血液が脳の循環をよくしてくれた様な気がしたのだ。
また、血管を切る事により、吹っ切れる切欠や、ブチギレる爆発力を得ていた気がする。
新しいスイッチが必要だ。
できるだけ、倫理を犯さない形の。

・今思う事
寝る。
[ 投稿者:Rock at 01:00 | ぼやき ]

2017年07月03日
Twitterはじめますた
橋本六久でググるよろし。
[ 投稿者:Rock at 17:00 | ぼやき ]

2017年05月17日
生きてます
Twitterでは割と投稿しています。
アカウント?さあな、見つけてみろ。
サラバダ!!
[ 投稿者:Rock at 00:00 | ぼやき ]

2017年03月06日
絵画の修正
修正してたよ。大コケした絵のね。
まあまあ、上手い具合にいきましたよ、と。
禁術、アクリルガッシュ、マジ有能。
洋画の先生に指導を受けて、入学した高校も洋画だったからなー。日本画、向いてねーわ。今更だけど。
でもそれは平凡な日本画や洋画の話で、パンチ決めれる作品は、やっぱ微睡画しかねえんだよ。
僕の上位互換なんざ殺し足りない程いるが、そいつらの足元すくってやれるのはワンチャン、僕にしか描けないルールガン無視の日本画だけなんだわ。
一つを極め、一つあるかないかの可能性一点にかける。愚かだが、それが僕にとってのただ一点の画道なんだよ。
[ 投稿者:Rock at 03:00 | ぼやき | コメント(0) | トラックバック(0) ]