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2017年09月19日
相変わらずのあれ
数日前の、起きている状態がやっとという醜態から、なんとか体制を持ち直し、ここ数日は順調に制作を進めております。いや、気分の波という物は、なかなかに厄介なものです。
しかし、未だ外に出ることは億劫で、ご無沙汰をしておる次第であります。
なんと言いますか、僕の矮小な心の内を明かしますと、辛いのです。頑張っている人、力強く生きている人、そういった人を見ると、自身が酷く惨めな存在に思えてくるのです。
嫉妬という感情ではなく、只々、自分がちっぽけな人間であると感じられるのです。
故に、作家として、人と関わることが、恐ろしいのです。
啄木が、こんな歌を詠んでいましたね。
「わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己が道をあゆめり」
まあ、正に、そういった心持な訳でありまして。
少し前までは、寧ろ自分に自信を持てていたと思うのですが…。それが虚勢であれなんであれ、自身の芸術を語れていたのです。例え、この脳が薬に侵され、回転力が低下していたとしても、それでも、自身の言葉で芸術を語れていた様に思います。
恐らく、自信をなくしてしまったのでしょう。
自分という物が希薄になっている。我を通し、我を求め、結果、我が何か解らなくなってしまいました。
歳を取り、心が老い、弱ってしまっただけかもしれませんが。
しかし、これは、この道は、自身の芸術を追求するならば通らねばならぬ道なのでしょう。殊、芸術の為の芸術とやらの真髄を見極めようとするのであれば。
遺書である「或阿呆の一生」の最後の章を「敗北」と題し、芥川は、こう締めくくっています。
「彼はペンを執る手も震へ出した。のみならず涎さへ流れ出した。彼の頭は〇・八のヴエロナアルを用ひて覚めた後の外は一度もはつきりしたことはなかつた。しかもはつきりしてゐるのはやつと半時間か一時間だつた。彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしてゐた。言はば刃のこぼれてしまつた、細い剣を杖にしながら。」
彼の悲哀に比べれば、僕の杞憂等、大したものではないでしょうが、それでもやはり、堂々と作家として立ち振舞える程、僕は強くはないようです。
申し訳ない限りであります。
強くなれずとも、強く在りたいものです。
[ 投稿者:Rock at 22:00 | ぼやき ]

2017年09月11日
いつものあれ
「嬉しくて、誇れる出来事があったのに、辺りの芝生は青々と茂り、僕は荒廃した大地で何をする訳でなく、空を眺めている」
そんな感じ。
毒を吐いたつもりなのに、何だか面白い文章になったので…。
以下、愚痴と弁明。

ここ暫くの制作は苛烈であった、といったような事を言っていたが、まあ、実生活もなかなかに酷いものであった。
寝て起きて、寝て、起きてを繰り返すばかり。碌に活動をしていない。意識がはっきりとしている時間は一日に五時間、あるかないか程度である。
なので、出かけることもままならない。自身の作品が現在進行形で展示が行われている会場にも殆ど出向けていない。申し訳ない限りである。

そんな僕に温かい言葉をかけてくださったり、遠方からわざわざ展示に出向いてくださったりする方も居る訳で…。僕は沢山の方に励まされている。
しかし、どうにも体が動かない。一日の大半をベッドの上で過ごし、怠惰に塗れた安寧を貪っている。
嬉しい。ありがたい。そういった気持ちも、数十時間後には沼の様な安寧へと沈んでいってしまう。そして僕は、その上で怠惰に溺れる。
そんな僕の醜態、無礼を許していただきたい。
オフィシャルな場でこの様な発言をせねばならない程に追い込まれることになるとは思わなかったが…。なんとも残念で情けない話だ。

最後に絵の話をしよう。
この絵は元々、きちんとしたテーマがあった。太宰の生き様を絵にしようとしたのだが、それを表現できなかった。
普段ならば、その段階で、絵を引っぺがし、「端切れ」のストックにするのだが、今回は別の作品にしてみた。
以前に芸術とは無縁の友人に、失敗した抽象画はどうするのかと問われ、人前には出さず、廃棄すると答えると、勿体無いと言われ、捨てるくらいなら、その時の状態をそのままタイトルにすればいいのではないか、という案を出して貰えたので、そうしてみた次第である。
成る程、確かに太宰の激しさは微塵も無いが、僕の苦痛と自嘲に満ちた、内向的で、べったりとした陰湿さは表現できている様に思う。
こういったアプローチでも面白いものは作れるのかもしれない。

今日は、気が向いたら、古い絵のリベイクをしようと思う。
画面の前に座り、二時間以内に筆を持つ気力が湧けば。
[ 投稿者:Rock at 20:00 | ぼやき ]

2017年08月08日
いちごみるくでマルボロを吹かす気持ち
・思想について
色々な事を考えてきた。ずっと考えてきた。
だが、それは単に、そんな気がしていたというだけだったのだ。
何をしていた。何について考えていた。
芥川について。芸術について。
それは、考えるとは言わない。芥川の囚われた、または芥川に囚われた、どうしようもない芸術感をこねくりまわしていたに過ぎない。
僕は、何も考えていない。

・制作について
描いた。闇雲に描いた。
声援はいつしか、同情へと変わっていった。
屈辱だ。これ以上ない屈辱である。
されど、描かねばならぬ。
そう、思っている。
しかし、結果が出せない。功績も得られない。
正直、疲れた。
今は、絵画に触れる時に、楽しさを見出せるようになるべく努力している。
そんな日が来れば良いのだが。

・自傷について
そんな物ははるか遠くへ置き去りにしてきた。
その他の柵もそうしてしまえればいいのだが…。ここまで引っ張り上げてもらえただけでもマシというものだ。妻には頭が上がらない。
当時は何を考えていたのだろう。
今ではそんな事をする等、考えもしない。そこには耽美性も何もあったものではないではないか。醜く老いた壮年が血を流しているだけである。寧ろ滑稽だ。
当時の僕の在り方が、妻のお耽美趣味を刺激した部分はあるにはあるが、今では、指をさして笑われるのがオチである。
当時は、出血する事である種のスイッチを入れていた様に感じる。
滔々と流れていく血液が脳の循環をよくしてくれた様な気がしたのだ。
また、血管を切る事により、吹っ切れる切欠や、ブチギレる爆発力を得ていた気がする。
新しいスイッチが必要だ。
できるだけ、倫理を犯さない形の。

・今思う事
寝る。
[ 投稿者:Rock at 01:00 | ぼやき ]

2017年07月03日
Twitterはじめますた
橋本六久でググるよろし。
[ 投稿者:Rock at 17:00 | ぼやき ]

2017年06月04日
蟲の日
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なんだってさ。
[ 投稿者:Rock at 00:00 | ラクガキぼやき ]

2017年05月27日
このぼやきで恐らく2割もない幸せな話の一つ
ここ暫く、どうにも気分がのらない。いや、はっきり言って不調だ。
まあ、季節的なものだろうと、半分は諦めていたのだが、スケジュール調整に支障をきたしそうなので、相も変わらずキリキリとした焦燥感を感じていた。
いっそ、予定等、なくしてしまうか。暫く筆を置くか。
そんな事さえ考えていた。
今更、見栄を張る必要もあるまい。認めよう。
僕は描く事からすら逃げたくなっていた。
しかし、見栄はなくとも意地はある。擦り減り、無くなりそうではあるが、確かに僕の心に突き刺さっている矜持だけが、画家であろうと踏みとどまらせていた。
それでもやはり、健康状態は良好とは言い難い。
これでは格好がつかんな。
そんな事を考えながら、怠惰に日々を過ごしていた。

そんな状態を妻も察していた様で、日常の中でさり気なく僕を気遣ってくれた。
先日、妻が、
良いものをやろう。
と、小さな木箱を渡してくれた。
暫く前から注文をしていた名前入りの特注の扇子が、そこに収まっていた。曰く、遅めの結婚記念日のお祝いだそうだ。
素直に嬉しかった。
いつも、消耗品程度に考え、無いよりはある方が格好がつくだろうと、安い扇子を持ち歩いていた僕には勿体無い逸品である。
しかし、こんなに良い品を貰ってしまえば、格好をつけねばなるまい。
あまり気乗りはしない以前に、気力さえ無いに等しいが、それでも、前に進もうという気持ちにさせてくれた。

そんな事もあり、幾分か穏やかな気分で仕事の合間に、アトリエで制作の前段階の下準備を進めていた。
実は今は妻と同じ職場に居る。つい前まで、絵の講師をやらせてやるとの約束で某所に居たのだが、どうやらそれは方便だったようで、その対偶の悪さに嫌気が指して転職してやった次第である。まあ、転職と言ってもバイトなのだけれども。
今日は、そのバイト先での仕事が一区切りついたので、打ち上げの飲み会が開かれていた。妻は生憎、風邪を引いて寝込んでおり、不参加だったのだが、僕は折角なのでと、参加してきた。

実は、数日前、妻と小さないざこざがあった。
僕はこの体質なので、フルタイムで働く事は今の段階では少々、無理がある。だが、妻としては社会復帰を果たし、バイトから契約社員程度にはなってほしいという願望があるようで、僕が社員を目指しているので、バックアップを頼みたい、と上司に相談してしまったようだ。
そうなると、それ相応の研修カリキュラムを受けねばならなくなるのだが、当然僕にそれをこなす能力は無い。
そんな事を勝手に決められても、僕にはそれに耐える力が無いのだから、精神的な負担が増えるだけで迷惑でしかないといった内容の事を明らさまに不機嫌な態度で伝えた。
その場は、もうこの事はお互いに掘り返さない事にしようという形で収まった。

そして今日、飲み会の席で、共通の親しい友人から妻の話を聞かされた。
「橋本さん、この前、ロックさんに悪い事してしまったって、頭、抱えてたで」
「え?なんかあったっけ?」
「いや、社員に推薦したけど、それが負担になってしまったって」
「そんな事、言ってたんや…」
「うん。やから、ロックにだけ頑張れって言うんじゃなくて、私も出来るだけ働こうと思ってんねん。て、言ってたで」
「…。全然、知らんかった…。そんな事があったんや…」
「あ、ごめん。言わんかった方が良かったかな」
「いや、知れて、少なくとも僕は嬉しかったで。
…。あれやな。ええ嫁やな…」
ぼんやりと、そんな言葉を口にした。何とも間抜けな表現ではあるが、心から湧き上がってきた言葉だった。
「うん。ほんま、ええ嫁やで」
この友人にも感謝せねばなるまい。

家に帰ると、妻に何かしてやりたいと思った。しかし、僕は、
「ありがとう」
と口にすることくらいしかできない。
実を言うと、僕は愛情表現が苦手なのだ。
「ありがとう」は何度も言った。「すまない」も日々、伝えている。しかし、「愛している」は滅多にどころか数える程も口にしていない。ジョン・マクレーンと真逆である。古い意味で軟派な奴だと、我ながら失笑を禁じえない。文学おたくらしい辛気くささである。
そんな体たらくなので、よく、
ロックは本当の気持ちを伝えてくれない。距離がある。冷たい。
と、言われるのだけれども。その度に、
おもっているからこそ、口にできない事もある。だからこそ、それは真実なんだ。まあ、察してくれ。
等と、はぐらかすのが常である。

結局、
好きだとか愛しているだとかいった気の利いた言葉は口にできなかった。
ただ、今が幸せな事、今日、とても嬉しい事があった事、そのお陰で、少し元気になれた事を何とはなしに話した。
そして何より、感謝の気持ちを心から込めて、いつも通り、「ありがとう」と伝えた。
恐らく、妻は察してくれただろう。優しく微笑んでくれたから。
[ 投稿者:Rock at 03:00 | ぼやき兼覚え書き ]

2017年05月23日
重さ
春前から調子が悪い。
まあ、毎度の事の様な気もするのだが、体が重い。いう事を聞かん。
休みの日は只管に寝ている。どうしたものか…。
頓服の薬も全然、効きやしない。あんなものはラムネと一緒だ。
手持ちの薬をいくつか混ぜ合わせて適当なカクテルを作れば、それなりに気分も晴れるのだろうが…。それは恐らく愚挙というものだろう。
医師に相談して、補強の薬をいくつか出してもらう事が最善なのだろうか…。威力の差異だけで、事は同じ、脳と内臓を消耗している事に変わりはないのだろうけれど。

なんだか、寂しい気分だ…。

そんな時こそ、嫁さんに甘えとけよ。近くに居るんだから。
なんて、友人は言うが、心情としてはそうもいかない。滅入っているので、女に甘える等、女々しい事この上ないではないか。
まあ、それ故に、妻からはいつも、
ロックは冷たい。私と距離がある。
と、言われるのだろうけれど…。

もしかしたら、満たされすぎたのかもしれない。何かを得すぎたのかもしれない。
では、何故、僕のこころは空虚なのか。
簡単である。絵だ。
それさえ無ければ、それさえ諦められれば、何一つ不満はなくなるのだ。そう、綺麗さっぱりに忘れてしまう事さえできたならば!
僕はそれに比重を置きすぎた…。
初めて賞を取った時に作った指輪に刻んだ座右の銘が重くのしかかる。
全ては芸術の為に。全ては芸術の為に。
[ 投稿者:Rock at 20:00 | ネガ文章 ]

2017年05月17日
生きてます
Twitterでは割と投稿しています。
アカウント?さあな、見つけてみろ。
サラバダ!!
[ 投稿者:Rock at 00:00 | ぼやき ]

2017年04月17日
タイ
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タイに行ってきた。
一週間、怠惰を満喫し、遊び倒してきた。
丁度、二年ぶりになる街は相変わらずで、懐かしさすら感じた。

さて、国外ということもあり、画材の一切は持ってきておらず、創作等、一分たりともしていない。そんな中、ふとした瞬間にビジョンが浮かんだ。
この作風なら、もう一歩、斬り込める。
そんな鋭さを持った画面が浮かんだ。
こういった事は、それなりに長い画業の中でもそうそうない。僥倖、奇跡の様なものである。
なんだ、やはり、描かぬことが正解であったのか。
五右衛門を冗談で比喩に使ったが、正にその通りになったことがどうにも滑稽に思える。
しかし、それを再現できるかどうかは別問題であるのだ…。
そして、出来たところで、届くかどうかは解らない。
それでもと、とりあえず、構想をメモしておいた。

タイに来て、描かぬ生活をして、気付いた。
日常は、こんなにも楽しい。素晴らしい。
思わず失笑する程に、らしくない言葉ではあるが。
僕はいつも自分を卑下し、現状に満足などしていなかった。しかし、「昔と比べれば」そう悪くない。そんな気持ちになれた。
妻が居て、隣で様々な感情を共有してくれる。絵の構想も閃いて、それを再現できるであろう技術もある。
こんなに尊いことはないのではないか?
いつも満たされず、足りぬ足りぬ、と何かを焦燥感に追われながら求め続ける。
しかし、僕は変わってきているのだ。少しづつ。そして、同じ様に何かを得ているのだ。
思えば僕の描く進化は、進歩は、一か八かや、丁半博打の様な劇的な物ばかりであった。だが、それらの功績は目立つが故に目に止まるのであって、遅くとも、確実に進む進歩もあるのだ。
転がる石に苔は生えないというが、石の上にも三年という言葉もある。
僕は自身をロックと嘘ぶけど、どちらかといえば後者に当てはまる存在なのだろう。
忘れずにいよう。そしてまた、石の上で性懲りも無く続けよではないか。日常を。

またいつか、この地を訪れる事があれば、その時はどれだけ変わっていられるだろうか。その時はまた、同じ場所で写真を撮ろう。そんな事を思った。
[ 投稿者:Rock at 14:00 | 写真付きぼやき ]

2017年03月13日
弱さ
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僕の絵には強さがない。

今、卒展が開かれているのだが、そこで講評をしていただいた。曰く、決定打に欠けるそうだ。

実を言うと、その点には自覚がある。僕の絵は、「弱い」のだ。

良く言えば、静かで落ち着く、という表現ができるだろう。しかし、ふんわりとしすぎていて、画面の迫力に欠ける。

密度はある。技量もある。そこは自負できる。しかし、やはり足りないのだ。

それは何か。

血煙の五右衛門を見てきたばかりなので、「無我の境地」等と言ってしまいたい、そんな気分ではあるが、それで片付けてしまえば永遠に解決はすまい。

迫力。熱量。勢い。

ニュアンスでしか伝えられないが、自分の中では形はあり、理解している。

だが、描けない。

踏み切れない。

幾年か前の、無頼を気取り半ば捨て鉢になりながら生きていたころならば、それはできたかもしれない。しかし、今となっては、幸福で平穏な安泰に浸かりきってしまった今となっては…。

無論、心の穏やかさを得たからこそ、今の安定した作風と制作ができている事は事実なのだが。

どうしたものだろう。

この弱さに関しては、ここ数年ずっと抱えてきている問題であるので、そろそろ一皮むける時期ではないかと考えているのだが…。

とりあえず、月末の旅行を楽しみ、その間は絵の事を完全に忘れ、帰ってきてから再度、頭をかかえようと思う。
[ 投稿者:Rock at 00:00 | ぼやき兼覚え書き | トラックバック(0) ]