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2019年06月17日
お知らせ
お久しぶりです、橋本です。例年通りの春先の不調も過ぎ、忙しい日々をおくっております。皆様、お元気でいらっしゃいますでしょうか。
facebookの更新も、随分と減りましたね。
正直なところ、もう辞めようかな、とも思ったのですが、この場で繋がることが出来た方達も沢山、おられるので、形だけでも残しておこうと思った次第です。

先に忙しいと申しましたが、それは慣用句的な意味ではなく、実際、画業や私生活で色々な転機があり、目紛しい毎日です。
以前の僕なら、恐らく、声高々に手にした名誉を叫んだことでしょう。
しかし、今となっては、それも虚しいことだ、と、妙な気分になるのです。
僕は評価を求めて制作をしてきましたが、いざそれを得るに至り、芸術の本質はそこにはない、と気づいてしまったのでしょう。
僕が大成しようが、醜態を晒そうが、名誉を得ようが、蔑まれようが、いつかこの世を去った後は、数十年、いや、十数年としないうちにそんなものは忘れ去られるでしょう。
そういった経緯もあり、僕は作家然と振る舞うことに嫌気がさしていたのです。
以前以上に卑屈で矮小になったようにも感じますが、大切なことを知ることもできました。
作品は、裏切らない。
僕が何をしようが、誰であろうが、生きていようが、死んでいようが、作品は作品として、そこに確かに存在するのです。ならば、それでいい。
作品や、その作品を通して人の心に残る何かをのこせたならば、それでいいのです。例え僕の名前が忘れられようとも、その作品があり、それを目にし、何かを感じる人がいてくれるなら、それ以上のことは望みません。
これが、漸く画家らしくなってきた僕が得た一つの答えであります。

さて、これだけ壮大なことの後に告知をするのは、自分でもどうかと思いますが、いつか忘れ去られる恥等、かきすてることにします。
学園前アートフェスタ2019 公募部門『夏の陣』への参加が決定いたしました。
この展示で投票が行われ、結果により学園前アートフェスタ2019への参加の可否が決まります。
先述の通り、名誉は望みません。いや、人の目に作品がとまることこそが名誉なのです。そうであるからこそ、僕は本選への出展を希望します。
お時間があれば、ご高覧を、また、作品が琴線に触れるものであれば投票をお願いしたい次第であります。
何卒、よろしくお願いいたします。

ギャラリー
http://www1.kcn.ne.jp/~gm-1/index.html

イベント告知ページ
http://gakuenmae-art.blog.jp/archives/19090437.html
[ 投稿者:Rock at 00:00 | 業務連絡 ]

2019年04月13日
告知と近況報告
Facebookより下記を引用してるけど、こんな感じで生きてます。


お久しぶりです、橋本です。寒の戻りというやつでしょうか。ここ二、三日は少し肌寒い日が続いていますが、皆様、お元気でしょうか。
先日、アートムーブの入選が発表されましたので、ご報告を兼ねて、再度、展示のお知らせさせていただきます。お時間がございましたら、是非。

【↓展示スケジュールです】

春らんまん展−Artisans 北鎌倉 神奈川 4/11〜5/6
https://www.artisansjp.com/haruranman 
ACT小品展 2019 −アートコンプレックス・センター 東京 4/23〜5/5
http://www.gallerycomplex.com/schedule/ACT195/shouhinten.html …
第1回 タニマチPurple Line 公募展−芝田町画廊 大阪 4/30〜5/5
第24回アートムーブコンクール展 大阪 5/15〜6/2

それと、amazonで橋本六久と、暇なときにでも検索してみてください。面白いものが見れますよ。

近頃はすっかりFacebookではご無沙汰をしておりました。
いえ、いつものことではあるのですが、人の気に当てられるものですから、どうにも億劫になっておりまして。
届いたフレンド申請も全て承認していたので、業者が大量に繫り、タグ付け等を行っておりましたので、ご迷惑をおかけしたかと思います。申し訳ありませんでした。

さて、当面の〆切を切り抜け、それなりの成果も出せ、私生活でも一つの転機を迎えましたので、ここらで一つ、小休止としようかと思っております。勿論、筆は取りますが、寝食を気にしてみようかと。
ここ暫くは描いてばかりの毎日でありました。
その成果が上記の展示なのでありますが、これまたいつも通りの悪癖で、素直に喜べずにいます。
だからどうしたんだ、とまでは言いません。僕の様な人間がここまでの評価を得られるとは、恐らく本人が一番、驚いているのではないでしょうか。しかし、評価された結果がある以上、更なる高みへ挑まねばならないのです。その期待を無下にしない為に。
そして、追いつかねば、追いつかねばならないのです。僕が自信をもって、毅然と「ここにおられる作家の皆さん」と肩を並べる為に。人の成功や功績に臆しない為に。
画家として一つの負い目を感じず、立っていられる様にならねば。
もう、随分と擦り切れてしまいましたが、その分、重荷は無くなったことでしょう。僕はもう少し、この橋本六久という生き方を続けてみようかと思います。
[ 投稿者:Rock at 23:00 | 業務連絡 ]

2018年12月07日
展示してます
1233

お久しぶりです。橋本です。
現在下記展覧会が開催中です。

コラボアート21
https://www.kepco.co.jp/…/con…/collabo/art2018/sakuhin1.html

あかりの在る場所
http://www.living-web.net/あかりの在る場所/

コラボアート21は昨年に続き、今年もありがたいことに入選となりまして、現在は梅田スカイビルで展示中で、その後、関西を巡回いたします。

あかりの在る場所の会場は和歌山となっております。
こちらは展示期間がかなり長くなっております。

最近は抽象画が固まり始めてきた感がありますので、煮詰める部分は煮詰め、削ぎ落としたい部分は削ぎ落とし、洗練していきたい次第です。
それはそうと、最近、柄にもなく体を鍛え始めました。
ちょっと痩せたと思わん?
[ 投稿者:Rock at 18:00 | 写真付きぼやき | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2018年10月21日
冬が来る。
冬が来る。正直、体調はあまり芳しくは無い。
冬はいつもそうだ。そういえば、僕が自害しようとした日も寒い日であったと記憶している。
悪い思い出ばかりではないのだけれど…。
学生だった頃、自分の作業スペースで制作をしている時、妻が白い息を吐きながら、教室に入ってきて、当然の様に僕の近くの椅子にこしかけていた。
暫くすると、妻は昼寝をするのだけれど、その寝顔を見るのが毎日の細やかな幸福であった。
大学は雪のよく降る街にあったのだけれど、帰りの電車を待つ時に、ふわふわと舞う雪を眺めながら二人で取り留めの無い話をした。
妻は、寒いといつも、靴の踵をトントンと鳴らしていた。
よく自販機でコーンポタージュを買って、二人で飲んでいた。
学生生活最後の冬景色は、毎日が輝いていた。
[ 投稿者:Rock at 23:00 | ぼやき ]

2018年08月22日
誕生日
さて、今日、僕の人生は三十二年目に突入した訳であるが、なんのことはない平常通りの一日であった。
搬入に行き、妻と遅い昼食を食べ、帰宅し仮眠をした後、制作を始め今に至る。なんのことはない日常である。しかし、僕はこの日常を尊いものであると考える。
絵を描き始め、何年になるか。丁度、今まで生きてきた時間の半分程ではなかろうか。
変わらずに筆を持てている事実が、僕には只々、嬉しい。
昔、思い描いた大作家の様な良いものではないが、これはこれで悪いものではない。少なくとも、生きて、描けているのだから。

現在、僕の参加しているLINK展が開催中で、本日の搬入は二十四日からの「芝田町画廊公募展」の為のもので、会期は九月の二日となっている。お時間があれば、ご高覧いただければ幸いである。
この公募展は名前の通りコンペ形式であり、来場者の投票もある。
なので、是非、僕に票を入れていただきたい。
等と、言うつもりはない。僕は多くの人のlikeではなく、例え少数であろうとも、誰かのfavoriteになりたいのだ。票の問題等、瑣末なものである。
昔、世界に一つだけの花、という曲が流行った。要はそういうことなのだろう、とも思われそうであるが、これもまた否である。
いや、厳密にはそうではあるのだが、「ありのままの自分でいい」という解釈が僕は大嫌いなのである。
そも、ありのままとは何か?詭弁の上に胡座をかいて怠惰に溺れているだけではないのか?
それでは何の価値もない。
オンリーワンというものは、ナンバーワンを目指すにあたって出来る付加価値であると、僕は考える。
凡庸な人間が秀でた人間の中で注目を得ようと思ったとしても、それは並の努力でできるものではない。時間も体力も無限にある訳ではないのだから。
では、どうすればいいか。
厳選するしかないのである。頂点に届く様、一点のみを見定め、その技を極限まで磨けば、もしかしたら到達できることもあるのかもしれない。凡人はその一点にしか希望を見出せないのである。
そうして磨き上げた技が、表現が、スタンスが、オンリーワンといえるものになるのではないか。僕はそう考える。
僕にとってのそれは色であった。緑青の靄が、僕のオンリーワンである。

長々となってしまったが、個展を含め、様々な展示が続く。僕はこれからも、いままでと変わらず生きていきたい所存である。今まで同様、描いていくつもりだ。
悪あがきを続け、幾年になるか。幾年先まで続くか。
これからの十年に希望を、今までの三十二年に感謝を。
[ 投稿者:Rock at 23:00 | ぼやき ]

2018年05月20日
ダサイクルから抜け出したい
アートムーブ、無事に終了しました。ありがとうございました。お疲れ様です。
これで春から怒涛のごとく続いた制作と展示が一応の区切りはつき、小休止できそうです。

今回の一連の活動で色々と考えるところがありました。悩むのは常ではありますが、思考することは久しぶりかと思います。
僕はここ数年、作家として誰かと接することを極端に避けてまいりました。人付き合いが苦手ということもありますが、作家としての自信が持てないのであります。昔は、「我が芸術」を語り、啖呵の一つも言えたものですが…。

そも、「作家」とはなんぞや、と問われれば、「創作者」であると思うのですが、それが、「作家活動」というものになると勝手が違ってまいりまして、「創作をすること」で止まってしまってはいけないのです。作品を創り、展開し、発展させ、流通をさせる。そこまでしなければならない。
それを踏まえて、自身の活動を思い出すと空恐ろしい気分になるのでした。
自分は何をしていたのだろう。
狭い幾つかのコミューンで作品を発表して、居た堪れなくなって引き篭もっての繰り返しで、作品の展開と発展を全く行っていないではないか。
好きな漫画、石黒正数氏の「ネムルバカ」でえがかれているダサイクルに物の見事にはまってしまっているのではないか、というおもいに駆られるのでした。
ダサイクルとは、限定的なコミューン内での「見る→褒める→作る→褒められる→見る」の繰り返しで、輪の中で需要と供給が成立している状態、と氏は語っておられますが、僕の作家活動は正にその通りではないかという恐怖の念を覚えるのです。
勿論、輪の中には僕以外の作家さんも居られるのですが、彼我の差は明確であります。「彼らは他の場所でも作品を展開、発展、流通させている」
僕がうじうじと、作家という名目の下、引き篭もっている間、同業の作家は先に述べた作家活動を行っているのでした。僕がサイクルを抜け出し、自己の中のさらに狭いサイクルを回している間、彼らはサイクルを連鎖させ、より大きい尺度で作品を展開、発展させている。
今思えば、自信の有無もそこに起因しているのではないかと思います。

そのような明確な根拠に基づいた不安ならば、取り払ってしまえばいい。
そういった意図で、この春はとにかく展開を、展開を、と奔走していたのでした。
ですので、一連の結果には満足しています。これからは、どう発展させていくかが課題となるでしょう。それが上手く行った時、きっと自信を得ることができるのではないか、と考えております。

蛇足になりますが、嬉しかったことが一つ。
アートムーブ展の作品を観て、以前に別の展示にきてくださった方が、僕の作品であることに気づいてくださいました。そりゃあ、同じ色で同じような絵なのだから、当然だろう、とも思われそうではありますが、そこには「作家の色」があり、それを感じていただけるに至れたのだと感じております。
そういう意味では、発展も少しはできていたのかもしれません。
描いた作品が勝手に一人歩いてくれているのだから、ありがたい限りであります。
これからも、そんな作品を制作し、様々な場で展開していきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
[ 投稿者:Rock at 21:00 | ぼやき | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2018年04月15日
絵描き徒然
近況報告です。
皆さん、ご機嫌麗しゅう。
さてさて、各方面でご無沙汰をしておりますが、まあ、外に出ていないのだから当然の話でありまして…。
冬から春の変わり目と、春の気にあてられて少々、参っておりました。いや、厳密には参っております。
僕は画家であります。が、画家であることは困難です。苦痛です。

外に出る、色んな作家がいる。
皆、素敵な絵を描いている。精悍な顔立ちをしている。
方や僕は薄暗いアトリエから髪もボサボサの有様で這い出し、生気のない目で虚空を見つめるのです。
いや、解ります。誰しもがそうであると。画家は基本、裏仕事です。表舞台に立つことはない。しかし、それでも立つ時が来たなら、見栄の一つも張らねばならない。
それが、僕にはできないのです。
不思議な話でありますね、つい最近まではできていたというのに。
稚拙でも、荒くても、作品と共にある時は、或いは他の作家や作品と対峙する時はいつだって、自信たっぷりに立っていたつもりです。
今は、できないですね。外の気が苦痛で仕方がない。作家として見られるのが辛い。
泳ぐ目に、首から下げた喧嘩札も悲しく揺れるばかり。ああ、なんと情けないことか。

しかし、これは皮肉なのか、最近は漸く作品が評価されてきました。
また、正式に告知いたしますが、今年と来年に一回ずつの個展と、来月には東京でグループ展。先の公募のアートムーブにも入選しました。
あれほど望んだ世界に、レベルに僕はいる。
当然、嬉しいです。
しかし、同時に、
それがどうした。だからなんだというのだ。
という気持ちが、ゆっくりと心臓にへばりつくのです。

もう少し、元気になれたら。自信を持てたら、皆さんにお会いする機会も増えるかと思います。その時は、内心では矮小な僕を宜しくお願いしますね。
[ 投稿者:Rock at 12:30 | ぼやき ]

2017年09月19日
相変わらずのあれ
数日前の、起きている状態がやっとという醜態から、なんとか体制を持ち直し、ここ数日は順調に制作を進めております。いや、気分の波という物は、なかなかに厄介なものです。
しかし、未だ外に出ることは億劫で、ご無沙汰をしておる次第であります。
なんと言いますか、僕の矮小な心の内を明かしますと、辛いのです。頑張っている人、力強く生きている人、そういった人を見ると、自身が酷く惨めな存在に思えてくるのです。
嫉妬という感情ではなく、只々、自分がちっぽけな人間であると感じられるのです。
故に、作家として、人と関わることが、恐ろしいのです。
啄木が、こんな歌を詠んでいましたね。
「わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己が道をあゆめり」
まあ、正に、そういった心持な訳でありまして。
少し前までは、寧ろ自分に自信を持てていたと思うのですが…。それが虚勢であれなんであれ、自身の芸術を語れていたのです。例え、この脳が薬に侵され、回転力が低下していたとしても、それでも、自身の言葉で芸術を語れていた様に思います。
恐らく、自信をなくしてしまったのでしょう。
自分という物が希薄になっている。我を通し、我を求め、結果、我が何か解らなくなってしまいました。
歳を取り、心が老い、弱ってしまっただけかもしれませんが。
しかし、これは、この道は、自身の芸術を追求するならば通らねばならぬ道なのでしょう。殊、芸術の為の芸術とやらの真髄を見極めようとするのであれば。
遺書である「或阿呆の一生」の最後の章を「敗北」と題し、芥川は、こう締めくくっています。
「彼はペンを執る手も震へ出した。のみならず涎さへ流れ出した。彼の頭は〇・八のヴエロナアルを用ひて覚めた後の外は一度もはつきりしたことはなかつた。しかもはつきりしてゐるのはやつと半時間か一時間だつた。彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしてゐた。言はば刃のこぼれてしまつた、細い剣を杖にしながら。」
彼の悲哀に比べれば、僕の杞憂等、大したものではないでしょうが、それでもやはり、堂々と作家として立ち振舞える程、僕は強くはないようです。
申し訳ない限りであります。
強くなれずとも、強く在りたいものです。
[ 投稿者:Rock at 22:00 | ぼやき ]

2017年09月11日
いつものあれ
「嬉しくて、誇れる出来事があったのに、辺りの芝生は青々と茂り、僕は荒廃した大地で何をする訳でなく、空を眺めている」
そんな感じ。
毒を吐いたつもりなのに、何だか面白い文章になったので…。
以下、愚痴と弁明。

ここ暫くの制作は苛烈であった、といったような事を言っていたが、まあ、実生活もなかなかに酷いものであった。
寝て起きて、寝て、起きてを繰り返すばかり。碌に活動をしていない。意識がはっきりとしている時間は一日に五時間、あるかないか程度である。
なので、出かけることもままならない。自身の作品が現在進行形で展示が行われている会場にも殆ど出向けていない。申し訳ない限りである。

そんな僕に温かい言葉をかけてくださったり、遠方からわざわざ展示に出向いてくださったりする方も居る訳で…。僕は沢山の方に励まされている。
しかし、どうにも体が動かない。一日の大半をベッドの上で過ごし、怠惰に塗れた安寧を貪っている。
嬉しい。ありがたい。そういった気持ちも、数十時間後には沼の様な安寧へと沈んでいってしまう。そして僕は、その上で怠惰に溺れる。
そんな僕の醜態、無礼を許していただきたい。
オフィシャルな場でこの様な発言をせねばならない程に追い込まれることになるとは思わなかったが…。なんとも残念で情けない話だ。

最後に絵の話をしよう。
この絵は元々、きちんとしたテーマがあった。太宰の生き様を絵にしようとしたのだが、それを表現できなかった。
普段ならば、その段階で、絵を引っぺがし、「端切れ」のストックにするのだが、今回は別の作品にしてみた。
以前に芸術とは無縁の友人に、失敗した抽象画はどうするのかと問われ、人前には出さず、廃棄すると答えると、勿体無いと言われ、捨てるくらいなら、その時の状態をそのままタイトルにすればいいのではないか、という案を出して貰えたので、そうしてみた次第である。
成る程、確かに太宰の激しさは微塵も無いが、僕の苦痛と自嘲に満ちた、内向的で、べったりとした陰湿さは表現できている様に思う。
こういったアプローチでも面白いものは作れるのかもしれない。

今日は、気が向いたら、古い絵のリベイクをしようと思う。
画面の前に座り、二時間以内に筆を持つ気力が湧けば。
[ 投稿者:Rock at 20:00 | ぼやき ]