2007年01月30日
南佐久郡佐久穂町にある奥村土牛(とぎゅう)記念美術館は百一歳まで絵筆を執り続け、生涯現役だった日本画家・奥村土牛画伯(1889年〜1990年、文化勲章を1962年に受賞)が
昭和22年から昭和26年までの4年間、旧・八千穂村に疎開されていた縁で開館した美術館です。収蔵されている素描作品200点の中から、常時、約40点ほどが公開されています。
奥村土牛画伯は、「私の仕事もやっと少し分かりかけてきたかと思ったら、いつか八十路を超えてしまった。私はこれから死ぬまで初心を忘れずに、まずくとも生きた絵が描きたい」と、自叙伝「牛の歩み」で語っておられます。
奥村土牛記念美術館。館内改装中のため、2月28日まで閉館中です。
http://www.avis.ne.jp/~idekazu/dogyu/dogyu.htm
奥村土牛美術館 (1月27日、佐久穂町で撮影)

画伯自筆の「奥村土牛記念美術館」の看板


美術館の近くにある黒澤酒造の酒の資料館(1月27日、佐久穂町で撮影)
奥村土牛美術館
秋に行った時は、雨が降っていたので、こんなに明るい感じではなく、しっとりした雰囲気でした。
絵もいいですが、建物も素敵ですね。
酒の資料館の案内も見かけました。
時間の都合で寄りませんでしたが。
投稿者:
えむり
at 2007-01-30 19:59:43
奥村土牛の
スケッチは着色されたものもあり、素敵ですね。
ここの全黒沢会館の離れに疎開していた縁ですが、この建物が素敵ですね。
庭と建物の調和、素敵な絵。
誇示まりとしていますが、お気に入りの
美術館です。
投稿者:
オコジョ
at 2007-01-30 20:00:21
無題
黒澤酒造の「井筒長」は、佐久市の戸塚酒造店の「寒竹」とならんでぼくのお気に入りです。
投稿者:
きこり
at 2007-01-30 21:17:40
奥村土牛美術館
こんばんは。
八十路をすぎ、なお初心を忘れず生きた絵を「描きたい、、、。百一歳の天寿を全うされた画伯の言葉、本当に素敵ですね。
投稿者: 萌
at 2007-01-30 22:39:36
建物
良さ~んこんばんは☆彡
ご無沙汰しておりますm(__)m
こういった被写体は苦手なのでとっても参考になります。
酒の資料館からはプーンとお酒が匂ってくるみたいです(*^▽^*)
投稿者:
メアリー
at 2007-01-31 01:01:44
101歳!
そんなに高齢になるまで現役だったなんて、すごいですね。
どんな作品なのか、是非拝見したいですよ。
投稿者: トミー
at 2007-01-31 12:38:24
佐久穂町・・・
久々に実家に帰ったら、佐久穂という単語を、道路の標識で見てびっくりしたわたしです
私の頭の中では 佐久町と八千穂だったので・・
しかしこんな美術館あるんですね!
しらなかったです!
投稿者:
鏡@チキンラン管理人
at 2007-01-31 17:20:59
えむりさんへ
>絵もいいですが、建物も素敵ですね。
木造の落ち着いた美術館、周りの風景に溶け込んでいて素適ですね。
>酒の資料館の案内も見かけました。
入場料は無料で、昔の酒作りの道具や、素晴らしい酒器などが見られます。
投稿者:
良さん
at 2007-01-31 18:20:56
オコジョさんへ
>庭と建物の調和、素敵な絵。
おっしゃる通りですね。特に藤の花の咲く頃に訪れるのが一番良いですね。
投稿者:
良さん
at 2007-01-31 18:23:44
きこりさんへ
>黒澤酒造の「井筒長」は、佐久市の戸塚酒造店の「寒竹」とならんでぼくのお気に入りです。
佐久地方は美味しい地酒が一杯ありますので、選ぶのが大変ですね。
投稿者:
良さん
at 2007-01-31 18:26:35
萌さんへ
>百一歳の天寿を全うされた画伯の言葉、本当に素敵ですね。
どの芸術家も永遠に真の美を、追求し続けておられるのですね。
投稿者:
良さん
at 2007-01-31 18:31:26
メアリーさんへ
>こういった被写体は苦手なのでとっても参考になります。
ありがとうございます。下の三枚の写真は、左右対称になるように意識して、撮影しました。
投稿者:
良さん
at 2007-01-31 18:33:53
トミーさんへ
>どんな作品なのか、是非拝見したいですよ。
ぜひ春の暖かい季節に、ご家族で佐久穂町にお出かけ下さい。
投稿者:
良さん
at 2007-01-31 18:36:54
鏡@チキンラン管理人さんへ
>私の頭の中では 佐久町と八千穂だったので・・
佐久穂町は17年3月に合併して誕生しましたが、私もまだピンとこない町の名前です。
投稿者:
良さん
at 2007-01-31 18:40:04
無題
奥村土牛記念美術館前史
土牛先生は何故穂積に疎開したか
昭和20年戦災で家を焼かれた一家は臼田町の材木商浅沼さんの世話で臼田町に疎開していました
しかし絵を描く環境も悪く生活も苦しい状況であった。この苦境を見かねた美術愛好家の田原歯科医院の田原さんが、同じ趣味を持つ穂積村の○ト醤油店の帳場を預かる黒澤六助にお世話が出来ないか相談をしました。六助は先生にお会いして其の人柄にほれ早速お世話を開始しました。しかし臼田町と穂積村とは二駅も離れており思う様なお世話が出来ませんでした。
そこで近くへ来ていただきたく黒澤合名会社の別館を考えましたが、戦後の混乱期で皆身の回りのことでいっぱいのため全員の賛成を得ることが出来ず苦労していました。幸いの事に一族の最長老で美術愛好家の○ト酒店の帳場を預かる貞次さんが賛成し説得に回ってくれた為に全員の了承をとり昭和23年に先生をお迎えする事ができました。
当時、合名会社の前に疎開していた六助の妹婿で洋画家の斉藤長三(独立美術会員後の武蔵野美術大学教授)は「土牛先生は将来の日本画を背負う人だから大切にしてあげてください」と言っていました
昭和26年東京へお帰りになるまで六助は家族と同じようにお世話をしておりました
その後も物資不足の間、生活に必要なものを送っていました。
六助は全国味噌連合会会長を務めた後昭和51年に死亡しました
昭和61年1月23日NHK特集「百歳の富士奥村土牛」に妻きいが出演し始めて、所蔵の絵画の一部が公開されました。
美術館の建物と藤の花
建物は昭和2年に黒澤合名会社として約10万円の費用をかけて完成したものです。
本館,別館、事務所、と文庫蔵、備品蔵からなり社員の会議、冠婚葬祭、貴賓対応等に。使用されていました。
建築の総指揮は普請の得意な○ト醤油店店主で佐久鉄道の最後の社長となる陸之助がし,指揮は後に丸興製糸の社長をつとめる剛がしました。
棟梁は清水仲次郎氏です
天井の枠組みや手作りの照明に見るべき物があります
庭師は岩崎氏で庭石は震災復興の浜離宮に使われた石と同じものを使っていると伝わっています。
3人兄弟の藤
長男上田市の国分寺にある「カバンの藤」明治13年黒澤鷹次郎がカバンにいれて苗を持って行き第十九国立銀行本店に植えた物でその後国分寺址に移植され3ヘクタールの大藤となっています。
次男諏訪倉庫(株)の塚間倉庫に明治42年頃鷹次郎によって植えられましたが昭和52年頃枯れましたが再度植えられています
三男黒澤合名会社、現奥村土牛記念美術館の二ケ所に植えられた藤です池の畔の藤は枯れましたが新芽が出て現在の木になりました。文庫蔵の前の藤は枯れました。
別館には昭和20年に宇垣一成(陸軍大臣、大将)が短期間疎開していました。
黒澤合名会社とは
明治31年設立そのご一時期、黒澤銀行と社名を変えていた事もあります
幕末生糸貿易と繭の仲買で財を成した黒澤利左衛門の子供とその孫、鷹次郎、弥太郎
(羽三郎の長男)嘉四蔵、陸之助、弥八郎、が設立した会社です。関係した企業は十九銀行現八十二銀行、諏訪倉庫、佐久鉄道現小海線,丸興製糸、等でした。その他、地主、山林地主でもありました。
特徴は一族の家業(羽三郎家呉服店、生糸貿易、嘉四蔵家酒店、陸之助醤油味噌醸造
業、弥八郎家薬局)とは切り離されていました。
これ等の人の家の呼び名は○ト(マルト)といわれています。
黒澤家と言う言い方はありません、黒沢一族と言われています。マルトは其の一部を
指しています。
周りの建物について
八千穂駅正面より小諸方面には嘉永6年位より昭和11年建築のたてものがほぼ建築さ
れた当時のままのこっています。一部取り壊ししたものもあります。
八千穂小学校側からみる明治年代に積まれた石垣は一見にあたいします。
崎田地区には黒澤宗家の建物、利左衛門家の建物が残っていますこの建物は、島倉千
代子のヒット曲リンドウ峠を映画化したとき代官屋敷として外観がでています。
投稿者: くろ
at 2008-05-03 15:50:32
くろさんへ
奥村土牛記念美術館が出来るまでの詳しい経緯を投稿していただきまして、
ありがとうございます。大変、興味深く読ませていただき、理解が深まりました。
投稿者:
良さん
at 2008-05-03 18:36:46
日本画に関する情報満載!
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投稿者:
日本画案内サイト
at 2007-02-26 14:25:06
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