
昨年の11日は土曜日でした。
そして今日は日曜日。あれから一年。
大きな地震の後にすさまじい津波にによってたくさんの命が失われました。
そして原発事故による放射能汚染。
自分の住んでいる長野県でも翌日早朝栄村を震源とする大きな地震がありました。
あれから1ヶ月2ヶ月、半年そして一年と時間はだまっていても過ぎて行きます。
自分自身の生活でも日々時間は過ぎていきますが、自分の時間と
被害に合われた方々の時間の流れというものは被災され色々なものを失っなった方にとって
どれだけつらい一年だったのか私には想像がつきません。
あらためて心からご冥福を祈りますと共に自分の生活をもっと大切に大事に
して生きていかなければと痛感します。
さて、もう3月です。
私の住んでいる地域もこの一年間でいろいろありましたねえ…
街にある小さな個人経営のお店が年々減っているところへきて
この一年間に一件、二件と廃業し、そして今月一杯で、また一件廃業するそうです。
どんどん、つまらなく住みにくくなる街ですが、更にもっと悲しいことが今まで90年間、
私の住んでいる街から移動手段として働いていた長野電鉄河東線が無くなる事です。
実際、自動車がこれだけ普及している時代に電車に乗る人が減るのは仕方ないにせよ
地域の発展と共に長年連れ立ってきてくれた線路が無くなることは沿線上に
ある街もそれだけ疲弊していることを物語っているんですね。
まあ、来るべき時が来たと思ってはいましたが自分の住んでいる町は将来どうなってしまうのでしょう。
90年代にバブルがはじけた頃からでしょうか?どこの商店街もドンドン悪くなっているんですよね。
大きな駐車場スペースを持つ大きな商業施設が郊外にできることで
どんどん地域の個人店の経営を圧迫し、
地元資本の頑張っていたチェーン店も県外の大きなチェーン店に駆逐されました。
それは、これからも加速していくことでしょうが、ゆくゆくは大きなチェーン店も
海外資本のものとなり、なにか何も残らなくなるような気がします。
昨日は土曜日でした。
朝から長男はボーイスカウト活動で長野駅前で募金活動をしていました。
そして私はたまたま3歳の末っ子の子守りを頼まれていたのですが
「パパ。あれすごい!」という声に振り向いたら線路を懐かしい列車が走っていました。
最近は別れを惜しむようにカメラを持った人が線路上のいたるところで目につきます。
ちょっと声をかけたところ記念列車だそうで、折り返し再びやってくるということで時間調整して
子供と一緒に地元の駅へ出かけ、そして撮った写真が上の写真です。
2000系というらしいです。マニアにはたまらない電車みたいです。
最近では懐かしい3両編成でした。以前は一両で走っていた時もあった記憶があります。
来月からは踏み切りの遮断機の音も無くなるのか…。
線路脇に住んでいる人にとっては「うるさい」とか言いながらも
「朝とか時間がわからなくなるから困る」とかいいつつも…
やっぱり寂しいと言ってましたね。






