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東信ジャーナル[BLOG版] 本館
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2010年05月13日
【真田随想録(上)其の9】  鬱うつの日々
「ただいま帰城いたしました」
 真田幸隆は、手をつかえ、晴れない顔で言った。海野棟綱は、幸隆が出陣したときと同じように、床に伏せったままだった。ついに佐久への出陣はかなわなかった。
「ご苦労じゃった。して首尾は?」

 やつれた顔を向けて、力なげに言った。
 幸隆は、今回の佐久侵攻の成果を、どう棟綱に報告すべきかと、惑っていた。確かに佐久の土豪たちは、再び上杉管領家の威に服した。さらに、小県・長窪に出てきた諏訪頼重とは、和平を結び、一応の成功をみて箕輪城に帰陣したことは確かである。しかし、棟綱が考えていたように、上杉軍は、小県にまで足を延ばし、坂城・村上の勢力と対峙し、これを撃滅する戦略はとらなかった。
 この辺の事情を、『諏訪神使御頭之日記』は次のように記している。原文は読みにくいので、『上田小県誌』に書かれている意訳文を掲げて、紹介しよう。
「上杉憲政は、海野氏の失地回復をはかるべく兵を率いて、海野に向かったが、この時はすでに武田・村上両軍は撤兵の後であり、長窪まで出陣した頼重としばらく対陣したが、頼重の交渉が巧妙で和談となり、上杉勢はその軍を進めず佐久芦田郷を攻め荒らしただけで関東へ帰国してしまった。このため棟綱の故国還住の望みは消え、ついに海野氏の宗家は没落するのである。この時海野氏の一族であった真田幸隆も上野に奔り、箕輪城主長野業政に頼っている」(原文のまま)
「残念ながら、われらが望んだ小県への進軍はなく、芦田までで、馬首を返しました」
 事実を話すことに意を決して、小声で報告した。幸隆の言葉を聞いて、棟綱は寂しそうにうなずいた。
「祖父よ、捲土重来を期すには、まだまだ時期尚早のようでござる」
 幸隆の心の中を、空しい一陣の風が吹いた。故郷の姿が遠ざかっていく、という空しさであった。
 帰陣の翌日の朝、長野業政から、幸隆に直ぐに主殿に参られたいとの使いがあった。業政を居間に尋ねると、業政は一人きりで幸隆を待っていた。
「長途の戦旅まことにご苦労でござった」
 まずはねぎらいの言葉があった。
「今度の佐久出陣の結果は、さぞかしご不満でござろうのう。わしも不満でござる。が、帰還は主命でござれば、いたしかなく踵を返した次第。お許しを願いたい」
 業政は、小県にまで踏み込まず、村上勢と一戦も交えないで帰還したのは、主人上杉憲政の命令であると、真相を幸隆に明かしたのである。自分は、はなはだ不本意であったとも付け加えた。幸隆の意中をくみ、小県奪還の戦いを回避した原因を、二人きりの場で告げたのは、業政の深いおもんばかりであろう。この後業政は、小声で主命の背景を、長々と語った。その話を聞いていて、幸隆は、小田原の北条氏の勢力の強化に対する、憲政の小手先の防御の戦略が気にかかった。
「上杉家のためには、このままでは、何か大きな禍根を残すように思われてなりませぬ」
 聞き終わって、幸隆は、率直な感想を述べた。その戦略は、防御に重点をおいて、積極的に討ってでる攻撃の重要性を認めていないように思えたからである。業政も腕を組んだまま一言も発しなかった。長い空白の時間が流れた。
 この時、幸隆が危惧したとおり、五年後の天文一五年(一五四六)同族の扇谷上杉朝定)が、武蔵川越において、北条氏康と戦って負けると、平井城(藤岡市)の山内上杉憲政にも累が及んだ。憲政の勢力は次第に衰退し、天文二十一年(一五五二)、遂に越後に敗走することになるのだが…。
「やはり上杉氏は、侵略者的ではなく統治者的である。お家柄というものだろうか」
 と、後年、関東管領上杉家の没落の事情について、こう指摘した識者がいる。おもしろい指摘である。
 業政は、主家を思い、上杉家再興のために奮闘する立派な武将である。しかし、主人が凡庸であっては、その力量を十分発揮することはできない。風評では、憲政は、平凡な人間のようである。幸隆は、業政に深い同情の念がわいてくるのを覚えた。
 幸隆は、失望という傾斜地を転げ落ちるような気持ちを抱いて、業政の下を辞し、客殿に帰らず、虎韜門口を出て、椿名白川の川原に下りた。榛名山の向こうに広がる故郷の空に思いを馳せたかったからである。
 しばらくして、数人のこどもたちが、たたずむ幸隆の傍らをかけていった。五、六歳から十歳位の幼いこどもたちであった。川の中ほどに出ると、着物を脱ぎ捨て、真っ裸になって、喚声を上げ、川に飛び込んでいった。 戦いの日々の中にも何時か夏がきていたのだな、という平和の日の実感が、幸隆の心をすこし明るいものにした。と同時に数え五つになったはずの長男信綱のことに思いが飛んだ。あれも神川のほとりで、このように遊んでいるであろうかと思った。故郷に残してきた家族に、たまらなく会いたくなった。しかし、一時的にせよ故郷真田に姿を見せることは、危険であった。また、ひっそりと匿われた家族や、ひそかに世話をしている弟の矢沢綱頼にも累が及ぶであろう。今も村上軍は、逃亡した棟綱や幸隆の行く方を追って、探索の手を四方に広げているに違いない。簡単に故郷に帰ることはできない。幸隆の心は、再び暗い思いにとざされた。
 事実、幸隆は、以後何年か故郷の地を踏んだことはなかったであろう。それは、次男昌輝と三男の出生の年月から類推して想像できる。
 病気に倒れた祖父棟綱を抱え、食客の身分のまま箕輪に止まった幸隆は、長い鬱々の日々を過ごすことになる。しかし、剛毅な性格の持ち主の幸隆は、その苦しさに耐えた。
[ 投稿者:真田随想録 at 10:58 | 真田随想録episode上(1~10) ]

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