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東信ジャーナル[BLOG版] 本館
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2010年05月13日
【真田随想録(上)其の8】   失望の戦い
 夏の朝、夜の明けるのは早い。しらじらと障子が明るむころ、箕輪城の西、榛名白川の河原から、出陣をつげるほら貝と、陣太鼓の音が聞こえてきた。馬場からは、ときおり馬のいななきも耳に入る。
 真田幸隆は、甲冑に身をかため、
海野棟綱の枕元に安座して、まだ寝たままの棟綱の顔をのぞきこんでいる。棟綱は、昨夜食事がすんだあと、急に気分が悪い、といって床についたまま今も起きられない。
「祖父よ、その体で出陣は無理じゃ。二、三日様子をみてから、追いかけてきなされ」
 夜遅くまでの看護で、はれぼったい目をした幸隆が、棟綱の手を握りしめて言った。
「なんの直ぐに起きられる。しばらく待て」
 と、棟綱は、強気に言ったものの、とても出陣に参加する体ではなかった。
 幸隆は、海野家の家老深井棟広を呼んで、看護の
ため家臣を一人残すよう命じ、足速に部屋を出た。祖父の故郷還住の気持ちを思うと、部屋に長く止まっている気にはなれなかった。祖父の声を心の中でふりきった。
 幸隆は、河原隆正をはじめ、数人の郎党を連れて、鍛治曲輪をかけ下り、虎韜門から榛名白川の河原にでた。
「おう、真田殿、ささ、これへ」
 と、業政が軍扇で幸隆をまねいた。河原の中の一段高い所に幔幕を張り、床几をおいて、業政以下の武将が、厳めしく腰を下ろしていた。広い河原は、出陣の兵で埋めつくされ、戦意がみなぎっていた。川の上流に目をやると、朝日に輝く榛名の連峰が望まれた。美しい山であった。
 出陣の儀がおごそかに執り行なわれ、最後に、業政が飲み干したかわらけを、たたきつけて割ると、一斉に歓声が上がった。それがときの声に変わり、士気は一層高まった。馬上に姿をのせた業政が、軍扇をふると、軍団は、見送る人波のなかを、動きはじめた。
 上杉軍の出陣について、『神使御頭之日記』は、こんなふうに記している。
「七月、関東衆三千騎計にて佐久海野へ働候(後略)」
 参戦の武士が三千騎と言えば、他に徒歩の雑兵がいることを考えると、かなりの大軍であったことが想定される。その大軍が怒濤の勢いで、佐久地方に殺到していった。
 西上野から、信濃に入るには、どこを通るにしても、険しい峠路を越えなければならない。長野業政旗下の将兵が、どの峠を経て、佐久に侵入していったかは定かではない。以下は筆者の想定。
 箕輪城を出発した軍勢は、安中から富岡に出、今の国道二五四号線を下仁田をへて、内山峠から佐久に入った。途中の碓氷郡には、安中城、松枝城、甘楽郡には、岡本、小幡、国峰の諸城があって、それぞれ城主が業政の女婿であり、箕輪衆の一員でもあったので、行軍するには安全な行路であったろう。そして、それらの諸城からも参軍の兵士が加わり、三千騎という軍勢に膨れ上がったのである。延々と続く軍団は、真夏の昼下がりを、甘楽の山峡に入り、幕僚を従えた馬上の業政は、周囲を睥睨しつつ駒をすすめた。先行させた忍びの者から、刻々と佐久の情勢が伝えられてくる。おそらく、「上杉軍佐久侵攻開始」という情報は、甲斐の武田にも諏訪の諏訪にも、さらに坂城の村上にも届いているに違いない。特に、甲斐の忍びの者による情報収集は定評がある。その甲斐の武田軍には、今のところ、信濃に出兵して、上杉軍を迎えうつだけの余裕はないという。武田信玄にとっては、国内の体勢確立が急務のためであろう。しかし、諏訪や村上にも、積極的な迎撃の動きはないようだ。やはり、武田の内紛に乗じた、電光石火の上杉軍の出撃が、効をそうしたのであろうか。
 内山峠の直下、荒船神社で、宿営となった。 宿営の陣所に入ったとき
「それにしても、諏訪、村上両軍が動かないことは、いぶかしいことよのう」
 業政が幸隆に声をかけてきた。
「佐久の諸将は、元はといえば上杉管領家に臣下の礼をとる衆でござれば、諏訪・村上の挙兵には応じぬでありましょう」
 同じ東信濃小県に住み、佐久のことに明るい、幸隆のこの言葉は、当時の佐久の情勢を見抜いた、的確な判断であった。業政もうなずいた。事実その後の戦況は、戦わずして、無人の野を行くが如くであった。
 峠を越えると、佐久の地にはいる。そこには、内山城があって、城主内山左衛門尉貞清が内山峠の要衝を押さえている。一方、やや北に位置して、甘楽郡西牧に通ずる志賀峠の要路をおさえるのは、志賀城の志賀、笠原の一族である。さらに佐久平にでると、岩尾城には、大井弾正が控え、望月には、滋野氏より出た望月一族が、勢力を張っていた。これらの諸将は、上杉軍が近付くと、当然のように上杉軍に忠誠を誓った。
 しかし、一城だけ、諏訪頼重に誼しみを通じていた芦田城主芦田信守は、頼重を頼って城を捨てたという。
 業政は、芦田城に入城したとき、苦り切った顔をしていた。
「こたびは何のための出陣であったか」
 と、業政は、軍議の席上、険しい顔をして、言葉を吐き捨てた。諸将は、戦いらしい戦いもせずに佐久を平定したとして、戦果に酔っていたから、業政の気持ちを、いっそう苛立たせた。
「武田・諏訪・村上の主力と戦わずして、こたびの戦さの意味はない」
 その言葉を聞いて、幸隆はその通りだと思った。
 この後、業政は、諏訪から長窪城に出てきた頼重と、なぜか和をむすび、関東に帰還した。その理由はつまびらかではない。
 帰還の馬上にあって、故郷還住の夢破れた幸隆は、祖父棟綱にどのように告げようかと、思い惑っていた。
[ 投稿者:真田随想録 at 10:56 | 真田随想録episode上(1~10) ]

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