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東信ジャーナル[BLOG版] 本館
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2010年05月13日
【真田随想録(上)其の6】   意外な情報
 甲斐の武田信玄は、天文十年六月(一五四一)、父武田信虎を、駿河に追放し、みずから甲斐の国守となった。史上に名高いことである。なぜ信玄が信虎を追放したかについては、いろいろな説のあるところである。ここではそれにはふれない。
 追放事件は
、「天文十年五月下旬、海野平の合戦に大勝をおさめた信虎と信玄は、六月四日海野平を出発し、甲府に向かった。同月十四日、信玄は、帰路の途中で、信虎の帰還をさえぎった。そのため信虎は、娘の嫁ぎ先、駿河の今川家に逃れ、食客となり、国守の地位を追われた」と言われている。いずれにしろ、信虎追放は、甲斐の国にとって大事件であった。
「甲斐の国守、信玄に代わる」
という情報は、あっという間に、近国に広まった。
「梟雄と言われる信虎殿が、息子によって、追放の憂き目をみるとはのう」
 小県・祢津城の城主祢津元直は、この知らせに接した時、甲斐の国に、擾乱の時代が、再び訪れるであろうと思った。元直は、この事件を、箕輪城を目指して落ちていった海野棟綱に、知らしてやらねばと思った。武田家の内乱は、棟綱が頼みにして行った上杉家にとって、佐久に侵攻し、家運を再興する絶好の機会、海野家の小県復帰にもつながる、と読んだからである。
 祢津氏は、滋野三家と称せられる海野氏と同族の家系である。海野平の合戦においても、矢沢氏と共に海野氏を助け、戦い、敗者となった。しかし、終戦処理において、祢津氏は、諏訪明神の神家であるということで許され、所領安堵を得て、祢津城にそのまま住んでいる。その元直へ諏訪頼重から早馬をもって、信虎追放の情報が寄せられた。元直は直ぐに使者を立て、棟綱一行を追わせた。
 元直の使者が棟綱に、その知らせを伝えたのは、棟綱・幸隆が箕輪城の御前曲輪の一角にある客殿に、旅装を解いて二日目であった。二人は、急用で平井城を尋ねて不在の、城主長野業政の帰りを待っていた。
「なんという吉報であろうか」
 と棟綱は喜び、幸隆の心は躍った。この知らせを早く業政にも伝えたい、と思った。
 関東平野は、すっかり夏のよそおいに包まれ、城を囲んだ木立ちから、蝉しぐれが降りそそいでいた。
「暑い夏になりそうよのう」
 額の汗をぬぐいつつ、棟綱のか細い声が聞こえた。
「われらが故郷とは違い、こちらの夏は、一段と暑いことでござろう」
 幸隆の脳裏を、真田の城の面影がよぎった。人影の消えた、主のいない城は、夏草の生い茂る時期を迎えて、廃墟となりつつあるのだろうか。城からながめる四阿山も、うらぶれた浮き雲を漂わせて、わびしい姿で夏を迎えているであろうと思った。その故郷への思いの中に、長男信綱のあどけない顔が、オーバーラップした。
 さて、筆者は、平成四年七月十一日、伊香保温泉で高校時代の同窓会があって、箕郷町を通った時、箕輪城を尋ねたことがあった。きっかけは、当時『真田氏年表』に目を通したことがあり、「天文十年(一五四一)真田幸隆海野平の合戦に敗れ、逃れて上州箕輪城主長野業政を頼る」と記載されているのを見て、好い機会と、城跡に寄ったのである。
 箕輪城は、箕郷町の中心部の北、榛名山の南面傾斜地の小高いところにあり、周囲は、杉の林に囲まれていた。二の丸跡は、駐車場をを中心とした広場になっており、東屋やトイレなどが新設され、観光地としての整備が始められた、という感じであった。
 本丸跡は、二の丸から爪先上がりの道を登ると、から堀を越えてすぐである。本丸跡は、広さが二千坪位であろうか、桑の畑になっていた。その奥が御前曲輪跡で、広さは本丸跡の三分の一の広さ、芝生が敷き詰められ、数個のベンチがおかれていた。
 閑寂な杉木立ちの中の城跡、かって幸隆は、ここに逃れてきて、故郷還住への悲願の中で、どのような生活を送ったのだろうかと思った。静けさが幸隆への筆者の思いを一層つのらせた。話を業政の帰りを待っていた夜に戻そう。棟綱と幸隆は、長野業政帰館の知らせを聞いて、羽尾入道幸全とともに、業政を主殿に尋ねた。棟綱は、初対面のあいさつを交わしたのち、
「海野の合戦に破れ、信濃から逃れ、羽尾殿の案内によって、当地にまかり越しました。なにとぞ、われらが胸中お察しのうえ、故郷の地奪還に、お力をお貸しくだされ」
 と言って、棟綱は、海野家復興と故郷還住を哀訴したという。
 これに対して、
「こたびの戦は、まことに痛ましい次第お慰め申す。なれど力落としなく再起を果たされること、われらもお力添えいたす所存であります。平井城の上杉の殿からもそのような伝言がござった」
 業政の励ましの暖かい言葉が、二人の心をうった。
「時に業政殿、甲斐に異変が起きたこと、ご存知でありましょうや」
 と、棟綱が尋ねた。
「武田信虎が、晴信に追放されたことでござろう」
 と、業政は、にこやかに答えた。信虎追放は、昨日憲政から業政にもたらされ、そのための軍議が急拠開かれたという。
「棟綱殿、佐久への侵攻は、今が好機でござる。ご一緒に出陣しようではござらぬか」
 その言葉に、幸隆は、目頭が熱くなるとともに、旺盛な戦意が、身にも心にも満ちてくるのを覚えた。

[ 投稿者:真田随想録 at 10:52 | 真田随想録episode上(1~10) ]

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