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東信ジャーナル[BLOG版] 本館
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2010年05月13日
【真田随想録(上)其の4】   最初の妻 
 上田市から国道百四十四号線を群馬県に向けてたどれば、長野・群馬両県境に鳥居峠がある。
 その昔、
日本武尊が東征から帰還のおり、この峠から、東南の空を望まれ、妃の弟橘媛が、走水の海が荒れた時、海神を鎮めるため、海中に身を投じた。これを嘆き悲しんで、「吾嬬者耶」とおっしゃられたという。この故事に因んで、峠から南一帯の地を吾嬬と称せられるようになった。今の群馬県吾妻郡である。
 峠を越えると、上信越高原国立公園の山脈に源流を持つ吾妻川が、嬬恋村、長野原町、吾妻町、中之条町、東村を貫流し、子持村にいたって利根川に合流している。途中、長野原町と吾妻町の町境に、吾妻渓谷という渓谷美もある。その景観はえも言われない。この川に沿って、上州街道と称せられた往還が、深い谷を覗きながら通じている。
 さて、時代を遡る。天文十年(一五四一)五月の末のある日、馬上の海野棟綱と甥の真田幸隆が、少数の部下を引き連れ、この往還を、羽尾城に向かって三原の付近にさしかかっていた。海野平の合戦の数日後である。
「よくぞあの囲みを破り、脱出できたものよ」
 疲れ切った表情で、棟綱が言葉を掛けてきた。壮絶な戦いであった。あの中をよく脱出できたものと幸隆も思う。白鳥明神の加護と、伯父海野幸義の決死の奮闘がなければ、脱出は不可能であったであろう。幸義が敵陣に飛び込んでいった最後の姿が目に浮かぶ。
(伯父よ、草葉の陰から見ていてくれ。わたしは、海野一族再興を望んでいたあなたの意思は、きっと成し遂げる)
 前方を見詰める幸隆の目に、きらりと光るものがあった。
「羽尾入道幸全殿は、落魄の身のわしを暖かく迎え入れてくれるであろうか」
 羽尾城が近づくに連れて、棟綱が心配そうに話しかけてきた。
「羽尾家は、祖先は海野家の出、またわしの最初の妻、絹の実家でもござる。何で疎略にすることがありましょうや」
 さきに、東信濃の随一の豪族海野家が、鎌倉時代、吾妻の地に勢力を広げていったことは書いた。羽尾、鎌原、西窪、湯本、横谷の諸氏が、吾妻郡に割拠していた。いわば身内を頼り、落ちて行くのであるから、その処遇は親身で、暖かいのが当然と幸隆は考えた。
「それならいいが、…」
 悄然と、棟綱は答えた。
 その答えを聞きながら、幸隆の心には、最初の妻への思い出が勃然と湧いてくるのであった。
 加沢記(沼田真田家の臣加沢平次左衛門の書いた記録)によれば、幸隆の妻は、羽尾入道幸全の娘となっている。結婚後なにかあって離別したか、死別し真田家の家系の上から姿を消したものと思われる。幸隆の長男真田信綱の母は、家臣河原隆正の妹であり、信綱の出生は天文六年、幸隆二十四歳の時の子ということになっている。(信綱寺殿御事蹟稿)当時の結婚年齢からして、二十二、三歳で初婚ということは考えられないから、隆正の妹との結婚の前に、幸全の娘との結婚があってもおかしくない。
 そこで、幸隆と最初の妻について、物語り風に語ってみよう。
 真田幸隆十八歳の春のある日のことである。伯父海野幸義が、久し振りに真田家を訪れた。しばらく母の貞と話し合っていたが、やがて幸隆が客間に呼ばれた。
「幸隆よ、そちももう十八歳、そろそろ嫁を貰わねばなるまい。上州羽尾の城主羽尾入道幸全殿に、絹というたおやかな娘御がおる。良縁と思うのじゃが」
 幸義は、熱心に絹姫を娶ることを、幸隆に勧めた。母もこの話に乗り気のように見えた。幸隆は去年の秋、幸義と共に羽尾の里を訪れたとき、絹姫を垣間見て、美しい姫だなとおもったことを覚えている。あの時、伯父は、ひそかに絹姫を見せるために、自分を同道したのやもしれぬと、話を聞きながら、幸隆は思った。黒髪の長い、整った白い横顔が頭の中をよぎり、華やかな、心膨らむ思いが幸隆の心を包んだ。
 話が急速に進み、その年の秋、鎌原城主鎌原宮内少輔の媒酌で婚儀が行われた。
 真田家の館は、領民の多くも招かれて、喜びにわいた。特に、幸隆は領民に慕われていたから、その祝宴は幾日も続いたという。
「殿、わたしは幸せものよ」
 頑丈な幸隆の胸に顔を埋めるようにして、絹姫が囁いた。
「わしもじゃ」
 絹姫をしっかりと抱く幸隆の腕にも幸せな思いが流れていた。蜜月も過ぎ、絹姫も真田家の生活になれて、幸せな日々を送っていた。ところが、翌年の春が来て、真田の里に桜が咲く頃、絹姫は、風邪を引いて高熱が続き、そのまま寝込んでしまった。幾日経っても回復しなかった。二、三か月経って、ようやく床の上に起き上がれるようになった。海野家の抱えの医師が、幸隆を呼んで、密かに、絹姫の病気が労咳という不治の病であることを告げた。頬がこけ、すっかり痩せさらばえた。ゆっくり治療するため、絹姫は実家に帰った。それから一年、加療のかいもなく、絹姫は逝った。その間、真田と羽尾を往復し、懸命に絹姫を看取る幸隆の姿があったことはもちろんである。
「絹よ、何故わたしを一人残して、逝った」
 死の枕辺で、幸隆は号泣した。
 その時からすでに九年が経つ。亡妻の墳墓の地に敗残の身を預け、再起を図ることになる因縁を思いながら、羽尾城に向けて、幸隆は、棟綱と共に馬を進めた。
[ 投稿者:真田随想録 at 10:48 | 真田随想録episode上(1~10) ]

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