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東信ジャーナル[BLOG版] 本館
真田随想録以外の記事は本館をご覧ください。
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2009年07月10日
【真田随想録(上)其の90】 懐旧羽根尾城
 
「三郎右衛門が寝返るとは思っても見なかったわ…」
 真田幸隆は、傍らの矢沢綱頼に言葉をかけた。真田の館の幸隆の書院である。三郎右衛門とは、草津の土豪湯本善太夫の嫡子のことをいう。数日前、羽尾入道幸全が信濃・高井郷から万座山を越え、居城羽根尾城に帰還するため軍を起こし、鎌原城の鎌原幸重を攻めた。その時、羽尾軍の援軍と見られていた三郎右衛門が、戦いの当日になって鎌原軍に味方したのである。


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:29 | 真田随想録episode上(81~90) ]

【真田随想録(上)其の89】 密約破綻
 万座の出湯に入湯していた羽尾入道幸全が、信州・高井郷に落ち延び、いずこに落ち着いたかは明らかでない。北信濃の諸豪の中に、上杉謙信の配下で、幸全と気脈を通じる者がいて、そこに滞在したのであろう。幸全の高井郷滞在は三カ月余であった。この間、しきりに羽根尾への帰還を画策していた。
 鎌原城主・鎌原幸重の老臣に、欲深いことで有名な樋口次郎左衛門という者がいた。幸全はこの者に目をつけた。幸い樋口は、幸全にとって縁者でもある。
「幸重を亡き者にすれば、鎌原の所領をそっくりそちに与えるがどうじゃ」


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:28 | 真田随想録episode上(81~90) ]

【真田随想録(上)其の88】 羽尾氏衰微 
 永禄三年(一五六〇)から六年にかけてのほぼ四年間、上野国・吾妻地方は、騒乱に明け暮れた時代であった。歴史的に見れば、戦国時代の弱肉強食の趨勢は、この山深い地方にまで深刻な影を落としていた。


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:28 | 真田随想録episode上(81~90) ]

【真田随想録(上)其の87】 故国逃避
 永禄四年(一五六一)九月、第四回の川中島合戦が終わると、真田幸隆は、配下の将士を連れ、松代・尼飾城から真田に帰った。
「本格的に、吾妻の経略を進めよ」
 と、

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[ 投稿者:真田随想録 at 11:27 | 真田随想録episode上(81~90) ]

【真田随想録(上)其の86】 斉藤軍の向背
「なに?武田の軍勢が上信国境を越え、大戸口と三原口に向かって進んでいるというのか」


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:22 | 真田随想録episode上(81~90) ]

【真田随想録(上)其の85】  武田軍救援
 小諸城の一角、本丸を囲む石垣の上に立つと、目の前に、噴煙をあげている浅間山が雄大な姿を見せる。一方、城の西端の開かずの門の脇、見晴らし台に立てば、千曲川の展望もまた見事である。


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:20 | 真田随想録episode上(81~90) ]

【真田随想録(上)其の84】 甲斐の烈風 
 永祿四年(一五六一)二月の末、尼飾山の山懐、真田幸隆の陣所一帯を梅の花が飾った。美しい季節の到来であった。東条というこの地は、南に面して暖かく、穏やかである。幸隆は、たまさかの静穏に身を置いて、陣所の奥で、しきりに筆を動かしている。
「殿、この頃何を書いていなさるのじゃ」


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:19 | 真田随想録episode上(81~90) ]

【真田随想録(上)其の83】 鎌原城迎撃戦 
 鎌原幸重・重澄父子は、小諸・平原城での武田信玄との謁見を終えて、真田幸隆と共に帰路についた。


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:17 | 真田随想録episode上(81~90) ]

【真田随想録(上)其の82】 平原城謁見
「重澄、信玄公はどんな方であろうかの?」
 鎌原城主・鎌原幸重は、息子の重澄に声を掛けた。浅間山の北麓の広々とした原野にも、初夏が訪れようとしていた。鎌原父子は、鎌原から車坂峠を経て小諸へ通じる山道を、馬に揺られていた。


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:14 | 真田随想録episode上(81~90) ]