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東信ジャーナル[BLOG版] 本館
真田随想録以外の記事は本館をご覧ください。
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2009年04月27日
【真田随想録(上)其の70】 犀川の対陣(第二回川中島合戦)  
 「お館さまには、近く甲府を出陣、川中島に向かわれることになった。手筈どおり、奥信濃の土豪の調略に力を注げとのことでござる」
 と、

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[ 投稿者:真田随想録 at 10:53 | 真田随想録episode上(61~70) ]

【真田随想録(上)其の69】 初陣絵図  
 真田幸隆の長男信綱十七歳にとって、天文二十四年(一五五五)は、初陣を果した特記すべき年であった。信綱の輝かしい人生の門出の年である、と言っても過言ではあるまい。

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[ 投稿者:真田随想録 at 10:51 | 真田随想録episode上(61~70) ]

【真田随想録(上)其の68】 塩田城余話
「よき風景じゃな!」


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[ 投稿者:真田随想録 at 10:50 | 真田随想録episode上(61~70) ]

【真田随想録(上)其の67】 甲越両軍開戦(第一回川中島合戦)
 天文二十二年(一五五三)八月十日、真田幸隆は、武田信玄に呼ばれて、塩田城(上田市塩田)に出頭した。


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[ 投稿者:真田随想録 at 10:48 | 真田随想録episode上(61~70) ]

【真田随想録(上)其の66】 義清落魄
 上信越自動車道の下り線の千曲川さかきパーキングエリアに立つと、目前の五里ケ峰の尾根に、葛尾城跡が見える。城の麓には、満願寺の甍が望見されるが、その一角に、村上家の居館があったという。城はかなり高所に造られており、天然の要害であったことがしのばれる。北信濃の雄・村上義清は、この城によって、信濃の東北部・佐久、小県、埴科、更級の一帯に覇を唱えてきた。その勢力は絶大なものであった。

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[ 投稿者:真田随想録 at 10:47 | 真田随想録episode上(61~70) ]

【真田随想録(上)其の65】 葛尾城自落
 真田・松尾城の居館の一室である。一枚の絵図を広げて、真田幸隆と数名の側近たちが見入っている。矢沢綱頼、常田隆永、河原隆正等である。長男信綱の顔も見える。
 絵図には、上部左から右下に向かって、くの字型に千曲川、それに添う小県から善光寺への往還、さらに佐久、諏訪、筑摩、飯山、上野に通じる街道、そして、水内、更級、埴科、小県、筑摩、の主な豪族の城の位置が描かれていた。
「見てのとおり、これは葛尾城を中心とした絵図じゃ」
 と

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[ 投稿者:真田随想録 at 10:44 | 真田随想録episode上(61~70) ]

【真田随想録(上)其の64】 一つの布石
 戸石城落城後の天文二十年(一五五一)、武田信玄の動きを示す次のような書状が残っている。


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[ 投稿者:真田随想録 at 10:43 | 真田随想録episode上(61~70) ]

【真田随想録(上)其の63】 常田合戦のこと 
 以下の話は、『甲陽軍鑑』の品第三十「信州の時田(常田)合戦の事」に記されたものである。『甲陽軍鑑』は、今までも何回か引用させてもらったが、ここで同書について、ふれておきたい。


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[ 投稿者:真田随想録 at 10:41 | 真田随想録episode上(61~70) ]

【真田随想録(上)其の62】 一家の決意
「父上、ここから眺める真田の里は、なんともいいようのない見事な景色でありますな」


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[ 投稿者:真田随想録 at 10:39 | 真田随想録episode上(61~70) ]