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東信ジャーナル[BLOG版] 本館
真田随想録以外の記事は本館をご覧ください。
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2009年02月05日
【真田随想録(上)其の20】 決断
「兄者…」
 と呼んで、顔を上げ、真田幸隆を見詰めたきり、矢沢綱頼は、言葉が続かなかった。微かに目が潤んでいた。
「おお、綱頼…」


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:36 | 真田随想録episode上(11~20) ]

【真田随想録(上)其の19】 古刹の友情
 真田幸隆は、後閑(現群馬県安中市)を貫流する後閑川と、主流の九十九川の合流点の岸辺に立った。川面が光り、川辺の白いすすきの穂が波のように揺れている。風が冷たく、深まる秋を感じさせた。
「後閑城は、どの辺りですかな」
 路傍の石に腰を下ろし、休んでいる托鉢姿の僧に、幸隆は尋ねた。後閑城は、九十九川に後閑川が合流する地点の、右手のやや小高い場所にあると、安中忠成から聞いてきた。
「あの高台だよ」


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:34 | 真田随想録episode上(11~20) | コメント(0) | トラックバック(0) ]

【真田随想録(上)其の18】 長源寺聞き書き
 群馬県安中市上後閑に、長源寺という寺がある。長源寺川の谷の奥まった所に、ひっそりと建つ曹洞宗の古刹である。
 先般、この寺を訪ね、参詣した。国道十八号線安中市磯部入口交差点を、磯部温泉とは反対の方向に折れて行き、九十九川、後閑川を渡ると、後閑小学校の前に出る。ここから浅い谷間を、後閑川に沿って、道を進む。
 中後閑、上後閑と過ぎて行くと、谷は次第に狭まってくる。最後の集落を過ぎると、山林地帯となるが、その入口に、朱塗りの橋が長源寺川に架かっている。通天橋と言い、橋を渡れば長源寺の境内である。
 山門の石段下の広場には、樹齢二、三百年を超える杉などの古木が、亭亭とそびえている。山門に登る石段脇に、『青木山護国院長源寺由緒』という掲示板が建っていた。
 往時、真田幸隆は、長源寺に寄留し、僧晃運字伝と知り合い、その縁で故郷還住後、真田の地に長谷寺を創建して、晃運を招いて開祖とする。そのことは、『一徳斎殿御事蹟稿(真田幸隆伝)』に記されているが、後の篇で細かく述べる。いずれにしろ幸隆が、どんな縁があって、長源寺に寄留するようになったのか、筆者は以前から、深い興味を持っていた。この篇では、若干の想像を加えて考えてみたい。
 さて、松井田城に着いた幸隆は、本丸の館において、城主安中越前守忠正に対面した。幸隆と忠正は、初対面である。
「お国から家臣の方が見えられたようだが」
 と、

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[ 投稿者:真田随想録 at 11:31 | 真田随想録episode上(11~20) ]

【真田随想録(上)其の17】 二つの便り
 平成九年八月五日、筆者は、雨の中を軽井沢の碓氷バイパスを経て、群馬県の松井田町に向かった。長野・群馬県境の入山峠から浅間山を望み、前篇に書いた、真田幸隆の心境に迫りたかったからである。しかし、それは不可能であった。上信国境の山並みは、低気圧の接近で、厚い雲で閉ざされていた。浅間山ももちろん雲の中であった。
 峠に着いて、道路脇の駐車帯に車を止め、行き交う大型トラックの水しぶきを浴びながら、県境付近の風景をカメラに収めた。往時(天文十一年の秋のこと)、幸隆は、故郷への万感の思いを抱いて、安中へ踵を返したに違いない、と思いながら、私は、横川へカーブの多いバイパスを下った。妙義の山並みは、奇岩突こつとしてそびえる山容を連ねていた。筆者の次の目的は、松井田城を尋ねることにあった。
 松井田城跡は、松井田町新堀で、国道十八号線がバイパスとなって旧道と分岐し、坂を上って少し行ったところ、左手の御殿山の頂上に造られた山城である。国道を直下に見下ろす位置にあるが、本丸跡まで行くには、県道や林道、さらに細い山道を通って、かなり迂回しなければならない。
 松井田城について、県道からの入り口の所に、こんな案内版が掲げられていた。


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:30 | 真田随想録episode上(11~20) | コメント(0) | トラックバック(0) ]

【真田随想録(上)其の16】 故郷の山
 真田幸隆は、富岡から安中へ越える丘陵地帯、爪先上がりの道を登ってきて、高みに立った。ここからは、なだらかな下りである。碓氷川の流れを隔てて、九十九川に挟まれた安中の丘陵地帯が見える。丘陵の南端に見えるのは、安中城の望楼であろうか。西北の方向には、間近に妙義山がそびえ、北に榛名山に続く山脈が、屏風のように連なっていた。それらの山の間に、円やかな山容が望まれ、山頂から白煙のなびき流れているのが見えた。
(ああ、浅間の山が覗いている)


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:28 | 真田随想録episode上(11~20) | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2009年01月29日
【真田随想録(上)其の15】国峰の城
 この篇もさらに物語風に書き進める。
(関東の地は、やはり地味に富んだ穀倉地帯、豊かな村落の風景よな…)
 と、真田幸隆は、羨ましげに、広々とした平坦な地を見回し、感慨に耽っていた。
 平井の滞在を終えて、上泉伊勢守と幸隆は、藤岡から厩橋(現前橋市)への道を辿っていた。道は田圃の中を北に向かっている。道の周囲は、稲穂が重そうに首を垂れ、初秋の風に涼しげに揺れていた。
「幸隆殿、平井の城下をどう思われましたかな」


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:32 | 真田随想録episode上(11~20) | コメント(0) | トラックバック(0) ]

【真田随想録(上)其の14】平井城の落日
 秋の澄んだ空気は、西の空をさえぎる妙義・荒船の連山の姿を、はっきりと浮き立たせている。風も心地よく頬をなでる。大胡城主上泉伊勢守秀綱と真田幸隆の二人は、厩橋(現前橋市)を通り抜けて、平井城(現藤岡市)へと歩を進めていた。
「平井の城下の賑わいには、幸隆殿もきっと驚かれることよ」


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:31 | 真田随想録episode上(11~20) | コメント(0) | トラックバック(0) ]

【真田随想録(上)其の13】剣聖との出会い
 関東平野の北の山々にも初夏が訪れ、上州三山は、かすみの中に、淡い姿を浮かべるようになった。祖父海野棟綱の四十九日の法要を済ませ、真田幸隆は、名胡桃下野守に厚く礼を言って、名胡桃城を辞した。途中沼田城に寄り、沼田景康に会い
「今回のご厚意感謝の申し上げようもござりませぬ。祖父棟綱に代わり厚くお礼を申し上げまする」


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:29 | 真田随想録episode上(11~20) ]

【真田随想録(上)其の12】墳墓の地
 棟綱の消息その後を、物語り風に続けたい。天文十一年二月某日、湯宿温泉(群馬県新治村)から吾妻郡中之条に通じる街道を、棺を担いで奥へ進む六人ほどのの一行があった。この街道は、大道峠を越えると、吾妻郡の岳山城、岩櫃城、などへ最短距離にある。往年、この道は、沼田を領した真田昌幸・信之の時代、上田と沼田を結ぶ主街道であった。
 それはさておき、一行は須賀川で右に分かれ、須川の奥に向かって、谷間に入って行った。先頭を歩いているのは、真田幸隆、その後ろに、海野家の家老深井棟広、幸隆の家臣河原隆正の顔も見える。棺を担いでいるのは、海野棟綱の家僕たちである。谷が狭まり、道は河原に出た。杉の木立ちが、行く手を遮り、道はそこで途絶えている。河原の残雪もまだ深い。
「棟広殿、この辺りでだびに付すとしよう」


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[ 投稿者:真田随想録 at 11:28 | 真田随想録episode上(11~20) ]