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2018年04月19日
評価は観念的なも

  「一、外蒙兵約七〇〇はノモンハン南方に於て満領を侵犯し、第二十三師団は之が攻撃を準備中なり。


  二、軍は満領に侵入せる外蒙兵を膺懲する為、第二十三師団に一部兵力を増加せんとす(以下、三〜六は略)」


  報告をうけた参謀本部の反応も実にすばやい。それも当然で、作戦課長以下が現地にあるのであるから、委細をのみこんでの処置がなされたと考えたにちがいない。参謀次長名によって関東軍参謀長あてに、十五日午前二時十五分発信で、電報が打たれている。


  「軍の適切なる処置を期待せられ あり」


  すべては順調に——と書きたいが、このさい踏みとどまって考えねばならない大事なことが、東京・新京・ハイラルのいずれにおいてもすっぽりと抜けおちてしまっている。国境紛争の危険性にたいする認識である。|殷鑑《いんかん》遠からずで、つい前年に戦略単位の兵力が増員され、激突するという張鼓峰事件の一大事をひき起している。とくにハイラルに出張してきていた稲田、荒尾は当の事件を直接指導している責任者であった。


  これは下手をするとエスカレートして大事件をひき起すことになるかもしれないと、東京や新京のエリート参謀たちのだれひとりとして直感することがなかったとは、当時の陸軍軍人の辞書には「反省」の文字がなかったというほかはない。実際の話、作戦課長のお伴でハイラルにあった井本熊男参謀が戦後に回想し「もしこの一行に、自ら経験した前年の張鼓峰事件に対する深い認識と反省があったならば……」と悔いるお粗末さを全員が示すのである。


  結局は、関東軍より『処理要綱』が送られてきたとき、ほかの問題解決に全精力をとられてろくろくこれを読もうともしなかった、あるいは国境紛争のような小事は現場にまかせておけばいいときめている安易さか、いずれにしても怠慢のつけがまわってきたのである。その当時、作戦課として検討する時間がなかったのなら、「『処理要綱』はあずかりおく、その実行は当分さし控えよ」とでも打電しておくべきであったのに、それさえもしなかった。そのために挑戦的な『処理要綱』がひとり歩きをしはじめる。


  小松原師団長は、二週間前に上長の関東軍から示された『処理要綱』にもとづいて、躊躇なく実行に移すまでである。これまでならあるいは見逃していた紛争であったかもしれないが、いまは強硬な指示にそって兵力を出すのである。なんら責められる話ではない。満軍司令官の願いも斥けて、現場指揮官がやや過早な出撃命令を下しても、そこに居合わせた東京の作戦課長以下は黙認するばかりなのである。軍人は「勇敢さ」とか「断じて行う」とか「大声」とかには、とかく弱いのである。そして上長の関東軍司令部は現場の要望をすべて満たして頑張れと声援を送り、自分のほうがいっそう勇み立っている。苦心の作成たる『処理要綱』は今日の事態を予期したればこそ、の想いでもあったろうか。


  つまり、このとき、国境での衝突があのような大戦争になろうとは、だれひとり考えてもいなかったことを証明する。なぜならだれもがソ連軍の猛反撃などあるべくもないと思っていたからである。当時の陸軍軍人は高級であればあるほど、自国の軍事力への過信と、それと裏腹なソ連軍事力への過小評価の心情をもっていた。共通して対ソ戦力への評価は観念的なもので、機械化戦力を充実しつつあるソ連軍備についての、客観的な分析はごく


  とくに、昭和十二年に参謀総長トハチェフスキー元帥たち赤軍幹部の粛清事件が報じられたことが、大きな影響をもたらしている。五人の元帥のうち三人、一五人の軍司令官のうち一三人、一九五人の師団長のうち一一〇人、将校五〇〇〇人が、それぞれ国家にたいする反逆の罪で銃殺されたという。この粛清による赤軍戦力の低下を、日本陸軍は過大に評価した。さらに翌十三年六月の、極東地方内務人民委員部長官リュシコフ三等大将の「粛清を恐れて脱出してきた」という満洲国亡命事件が、日本軍の独善的な優越感に拍車をかけた。革命のさいの功績でレーニン勲章を授与されている超大物が、スターリンの恐怖政治の実相をすべて語ったのである。これがソ連軍軽蔑感の増大にひと役もふた役も買うことになる。


  ただし、このときリュシコフは、長大なソ満国境における彼我の兵力、戦力に相当の差のある事実も、あからさまに語った。たとえば飛行機は、日本の三四〇機にたいしてソ連軍は六倍の二〇〇〇機、戦車は日本の一七〇輛にたいしてソ連軍は十一倍の一九〇〇輛であると。こうして超大物が語るそれまでの日ソ両軍の戦力比一対三が、実は一対五以上になっているという事実に、軍首脳は驚倒し、一時は浮き足立ったが、時間がたつとまた観念的なソ連戦力軽視へともどっていった。たとえ同一人からの情報であろうと、好ましくないほうはさっさと捨てられていく。情報がなかったわけでなく、「無視した」というほうが正確であろう。


  ハイラルからの堂々たる日本軍出撃の背景にはこの情報無視があった。自己の戦力過信とソ連軍軽視があった。関東軍作戦課は、ふだんからソ蒙軍などわが精鋭三分の一の兵力でもお釣りがくると豪語している。東京の作戦課も、きっとそうに違いないと信じている。当の師団長の小松原も、国境侵犯の外蒙兵のごときはまさに|鎧袖《がいしゆう》一触と考えている。


[ 投稿者:手裏撐著雨傘 at 17:41 | 健康 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

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