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2008年01月14日
コーヒーと夜の森、そしてカエルの住む池
どうにも目が離せなかった。見てはいけないと何度も念じた。それでもだめだった。首を横に向けても、彼女の視線はしっかりと僕の視線をつかみ、握り締め、強引に引き止めた。それで、僕の目の玉だけがそこに残されるかたちになってしまった。なんて吸引力。アリジゴクがアリを待つように、打っても打っても返ってくる水風船のように、彼女の黒い瞳は僕の注意を引きつけて離さなかった。まるでブラックホール。抵抗しようとしてもだめだ。きっとキミだってそうなる。一度視界に入ってしまうと、その瞳はどんな形をしているのかだとか、その黒さはどこまで深いのかだとか、そのことをどうしても知らずにはいられなくなって、もうその事しか考えられなくなってしまう。そしてそれを見極めようとすればするほど、それらはよりおぼろげになっていって、それでも追いかけようとすると、追いかけずにはいられないのだけれども、そのときには気付いたとしてももう遅い、すでに捕らわれている。逃げることはできない。彼女がその視線を自由にすることを許すか、そうでなかったら月まで行けるような高性能ロケットを使うかしなければ、とてもではないがその引力からはい出ることはできない。もし意識の一部分がそれでも正気を保っていて、本体にどんな大声でその危険を呼びかけたとしても、それは通じない。音は聞こえているのだけれども、意味を解することができない。彼女の瞳にはそうさせる力もあるらしい。

しかしそれでも、その瞳の芯の芯だけは決して見てはいけない。もし見てしまったら、そこで全てが終わってしまう。何が終わるのかということは具体的にはわからない。でも確かにそれは終わってしまって、取り返しが付かなくなってしまうということだけはわかる。本能が叫んでいる。だから僕は最後の抵抗をし続けなければいけない。絶対に勝てない勝負だとわかっていても、戦い続けなければいけないのだ。

まあ、そうはいっても僕と彼女の目が合った時間なんて、時計にしてみれば秒針がほんのちょっと動いたぐらいの間のことでしかなかったのであろう。彼女の方だってそれとそんなに変わらないぐらいの事であったのだと思う。でもそれは僕にしてみたら、まるで何度も何度も同じ廊下を歩かされているような気分がするほど長い時間のように感じた。出口が見つからない。ここかと思って扉を開けると、また見たことのあるような廊下が続いている。恐怖だ。針の進むスピードなんて全然問題じゃない。でも、まあ、とにかくそれが一目盛か二目盛かを刻む内に、彼女は僕を解放してくれた。ふっと瞳から精彩が消えたかと思うと、いやになるくらい自然に視線を机の上に落とした。きっと彼女にとっては0.01秒ぐらいのできことでしかなかったのだろう。ずるいね、不公平だよ。まったく。

その日は一体何杯のコーヒーを飲んだであろうか。僕はそのとき、ちょっと手に負えない量の課題を抱えていて、そしてどうしてもそれを、ごく近くにまでつめ寄って来ている期日までに終わらせなければいけなかった。そのために、少しでも頭がぼーっとして前に進めていないなと感じたときは、無理にでも脳を覚醒させるために、熱いブラックコーヒーを飲み、レモン味のクールミントガムを口の中に放り込み、それでもだめなら窓を開け、新鮮な空気を吸い込みながら数分間のストレッチを行った。そうやって何度も何度も、集中して課題に取り組める時間から時間をつないでいった。そんなことをしていたものだから、時計が9時をまわり、そろそろ切りをつけようかという頃には頭は恐ろしく疲れきっていた。しかしそれでも妙に興奮し、むしろ快感にさえ感じていた。

そこは近所にある図書館で、閲覧室のほかに自習室があって、利用者はそこで好きに勉強をすることができた。自習室の机は閲覧室にあるような普通の長机とは違って、ひとり分のスペースごとに3方が仕切られていてそしてそのひとつひとつに蛍光灯が付いていた。なんとも親切なことだ。学校のテスト前の時期になると、そこもいつもでは考えられないぐらいに混むのだけれども、そうでなければその日のようにほとんど誰もいないのが常であった。そういうこともあって、僕はここが気に入っていた。本当は飲食禁止なのであるのだけれども、ロビーにある自販機で買った紙コップのコーヒーを飲んでいても注意する人は誰もいないし、夜の9時過ぎまで開いているというのも大きな魅力のひとつであった。

僕は使っていたノートやらなんかやらをかばんにしまい、「ふー」と声に出してため息をついた。というか思わず出てしまった。しかも結構大きな声で。僕は自習室に自分以外誰もいなかったことを思い出して、何とかその気恥ずかしさを追い払った。課題に集中するあまり、ここが図書館であることを忘れてしまっていたようだ。僕は首を前後左右に振り、こんこん、と自分の頭を2度軽くたたいた。頭の中にはどうやら何か多くのものが充満していて、それが霧みたいになっているようで、そのこんこんという感触も音も、あまり上手く伝わっていかなかった。

課題は今日でかなりはかどった。明日で大体が終わるだろう。僕は安心しきっていた。でもそれが間違いであった。席を立ち、ふっとあたりを眺めると、そこに彼女がいたのだ。それは完全に不意打ちであった。油断しきっていた。まさかこんなタイミングで攻撃がくるとは予想だにしていなかった。自習室には誰もいないはずであった。しかしそこには確かに彼女と、そして恐るべき彼女の瞳があった。そして僕は前述のように長い長い廊下を歩き、ドアからドアへ当てもなくさ迷い続ける羽目になってしまった。気が付いたときには図書館の外にいた。どうやってそこまでたどり着いたのかはまったく思い出せなかった。外はすでに真っ暗で、その図書館は森の中にあったために、他の光もなく、ただ館内の部屋だけが明々と照らし出されていた。彼女はまだそこにいるのだろうか。窓越しにでも中の様子がはっきりと確認することができた。中にいるときには気が付かなかったけれど、外から眺めると四方八方から蛍光灯の光を浴びているそこは、僕に無菌室を思い出させた。もう図書館もしまる時間だ。ここで待っていればそのうち彼女も出てくるのかもしれない。でもそれがいいことなのか悪いことなのかは全然わからなかった。そもそも彼女は本当にあそこにいたのであろうか。僕はぶるっと体を震わせると、逃げるように図書館を後にした。

さっきも言ったように、図書館は森の中にあって、空が木々に覆われているせいか星も見えなかった。もしかしたらそれは単にその日が曇っていたというだけの話なのかもしれない。でもそれを判別することができないくらいに暗かった。もちろん電燈はあるのだけれども、それは電柱についているような類のものではなく、それよりも明らかに力の弱い代物で、自分自身を照らし出すのが精一杯で、とても周りまではそうするに至っていなかった。そう、それは確か11月の中頃のことであったから、寒さは相当体に堪えるものであった。僕はジャケットのポケットに手をつっ込み、寒さから身を守るように背中を丸くして夜の森の中を歩いた。森といってもそんなに深い森であるというわけではない。道々、社員寮だという話の建物が建っていたりするのであるが、それらも明かりはなく、ひっそりとしていて、人が住んでいるようには見えなかった。

全てはこの寒さのせいかもしれない、と僕は考えた。熱があるということは、つまり分子が激しく動いているということである。大気なら大気の分子が、梢なら梢の分子が。この冬の訪れという寒さは全てをおとなしくさせようと働きかけている。森のざわめきを鎮め、建物の壁は冷えた鉄のようになり、そしてお互いがお互いの動きを静かに眠らせようとしている。この凍るような大気は、その分子の活動も冷えきっていて、同時に僕を構成するありとあらゆる分子の活動をも止めにかかっている。だから僕は必死に身震いをしなければいけない。歯をガチガチと鳴らさなければいけない。僕は僕という体を一生懸命に動かそうとしなければいけない。そして、いま、だんだんと凍っていこうとしている森の中を、それでも僕は歩いていかなければならない。

森を抜け、住宅地に入る。左側は崖になっていて、そこからはささやかではあるのだけれども、眼下の夜景を眺めることができる。僕は自販機で温かいミルクティーを買い、空き地になった所と道路との段差に腰をおろして、その夜景を見ながらちびちびとミルクティーを飲んだ。街の光は周りの寒さから身を守るかのように寄せ集まり、お互いを暖め合っていた。星はどうだったかな、覚えていない。気が付くと隣に彼女が座っていた。いや、座っているところを想像していた。彼女はコーンポタージュを飲みながら、ただ白い息を吐いている。そして何もしゃべらない。僕らはすでに旧知の仲であった。無理をして話をする必要がどこにあるのだというのだろうか。

僕はミルクティーを飲み終えてしまうと、また立ち上がり、家路に着いた。彼女の姿はもう消えていた。僕はすっかり冷静であった。「もし、ルーレットの赤と黒が、次にどっちが出るのかがわかっちゃったら、もう面白くなくなると思う?」と彼女はいう。「僕は面白いと思うけど」と僕は答える。「だってもしそうだったら儲けまくれるじゃない」「それはそうだけど...」そして沈黙。でも何も心配することはないんだ。振り子が3つ繋がれば、もうそれはカオスなんだから。

僕はまた寄り道をした。寄り道をせずにはいられなかった。体中の体液が沸々と沸いてしまって、僕はどうにかしてそれを抑えなければならなかった。そこには昼の内に一度来たことがあった。木々の間に小さな横道があって、それは一見すると小さな神社の入り口のように見える。土の道が軽い傾斜になって上に上っていっているのであるが、なんだか近寄り難い雰囲気があるのと同時に、どうしても好奇心が抑えられなくなってしまうような何かがそこにはあった。まあ、実際に入ってみると、狭くて浅そうな池と、その右手前に鉄でできた物置、学校においてあるような危険物を入れて置くやつ、がひとつあるだけなのだけれども。僕はその横道に入り、木の葉の敷き詰められた小道を歩いていった。ほとんど歩かない内に少し広くなった場所に出た。そこには池があった。しかしそれと気が付くためには、しばらく暗闇に目を慣らさなければならなかった。辺りはしんとしていて、虫の声さえ聞こえない、まれに車の通り過ぎる音が遠くで聞こえるだけであった。僕はじっと水面を見つめた。どうやらそこには確かに池はあるようである。この池にはカエルが住んでいる。人の言葉を話し、ひどく気立てのいいカエルが。でも僕はそのカエルを一度も見たことがない。僕は足元の石を拾い、そっと池に投げ入れた。するときちんとポチャン、という音の後に水面が揺れているらしい様子が観察できた。ばかばかしいとは思いつつもそうせずにはいられなかった。この池が世界の終わりの出口であったとしたら、僕はそこに飛び込むことができるであろうか。僕は確かめる意味も込めてもう一度石を投げ込んだ。僕にできることといったらそれぐらいのことしかなかった。カエルはそんな僕をじっと観察している。そして僕の前に姿を現すべきかどうか悩みこんでいる。

「おい!」と、突然背中から男のどなり声がした。僕はバッと後ろを振り向いた。全身が粟立っていた。しかしそこには誰もいなかった。僕は一歩、二歩と足を進め、恐る恐るその存在を確かめようとした。しかし不思議なことに誰も見つからなかった。そして僕は鉄の物置の存在に気付いた。遠くからそれを眺めた。そしてあることに気が付いた。いつもは閉まっているはずの、鉄の頑丈そうな引き戸が開いているのだ。僕は恐怖で足がすくんだ。僕はもう2、3歩そこに近づいてみた。それはあと2、3メートルの距離になった。確かに扉は開かれ、そして真っ暗な入り口がぽっかりと口をあけていた。そこにはただ暗闇があるだけで、中の様子はまったくわからなかった。僕はもう一度、あのおぞましいような、低い、地響きのような声を聞いた気がした。

僕は...


[ 投稿者:hutakata at 15:11 | 作り話 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

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