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2007年02月26日
テスト
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2006年04月08日
MIRANDA の歴史
●ミランダは若き航空工学の研究者が開いた会社

 創業者、荻原 彰は東京帝國大学 航空学科出身でした。
航空学科は国内に唯一の学科で当時は年に数人しか取らないという極めつけの少数精鋭教育の学科です。
この学科の出身者は、戦時下のこともあり中島飛行機、三菱重工など飛行機メーカーへ進み、荻原は海軍の間歇燃焼ロケットエンジンを研究開発していました。
海軍では終戦直前に、ほんとうに最期の決戦兵器の開発を終えたばかりでした。この決戦兵器とはドイツのV1ロケット型兵器を有人にしたもので、陸海軍は合同でその全予算をこの特攻機に充てることになっていました。
いわゆるカミカゼに我が国は未来を託すことに決定したのです。
信じられますか?そんな究極の選択を迫られた時代があったのです。

我が国は連合軍に敗れ国土は占領されました。戦争が終わり日本は航空機関連、ジェット、ロケットの研究を占領軍によって禁止されます。
東大航空学科は閉鎖され(1954年(昭和29年)に再開)ました。
このため航空機、特にジェットエンジン、ロケットの分野では日本は世界のレベルから大きく後退をさせられることとなりました。

戦争に負けて専門分野の道が閉ざされてしまったこと、荒廃した国土、様々な出来事が若き航空工学研究者の人生観に影響したことは想像に難くありません。
荻原氏は戦後しばらくして好きだったカメラに関連した事業を興すことになりました。
それがオリオン精機で、後にミランダカメラとなる会社です。

◇ オリオン精機 からオリオンカメラ、そしてミランダカメラへ

 荻原氏は1953年には、もう報道用カメラ、機材の改造などを手がけており、改造のための設計、特許取得を主にしていたといわれます。
会社名は自分の子供たちと同じように、天体にちなんだ名前「オリオン」を冠して“オリオン精機産業有限会社(1948-1955)”と名付けられました。
この事業の成功には、ひとつに優秀な技術者を擁していたことも大きいように思えます。
当時としては質の良い製品が優れた工作精度によってつくられていましたし、特に設計においては我が国の最高峰の頭脳が集まっていたわけですから悪いはずがありません。
そもそもカメラが好きで始めた事業ですから、モノのよく判った製品が作り出されていましたし、優れた技術者がサポートするオリオン製品は当時の四畳半メーカーや町工場の製品とは一線を画していたと言えそうです。

 ミランダの説明の前に、まずミランダの前進、オリオン精機産業有限会社について述べなければなりません。
先に述べたように「オリオン精機産業有限会社」は荻原 彰 氏のベンチャービジネスで、当初は東京、国分寺にあった家からスタートしたと聞きますが、後に経堂に建てられた自宅に会社を移したようです。
戦後、起業の傍ら研究者としても東京大学の航空工学研究室に戻りましたが、まだ航空関連の研究は禁止されており、このためそこでもカメラ製品を作り出していました。
東京大学の航空工学研究室以降、同研究所に居た大塚新太郎がパートナーとなります。大塚氏は初期ミランダのほとんどの設計者でした。

ここで、オリオン精機の製品についても簡単に説明をしておきましょう。
オリオンのヒット商品に、『フォカベル』と言う接写用ベローズと、『ミラックス』というレンジファインダーカメラ用のミラーボックスがありました。
『フォカベル』は独自のバヨネットマウントが装備されており、あらゆるカメラマウントに対応する設計になっていました。
『ミラックス』は同様の用途の製品がライカ、ツァイスでもありましたが、実地で使用する研究家のニーズ盛り込まれ、格段に機能性がアップした製品で、ライカでは同等の機能を持ったミラーボックス=ビゾは1960年代までありませんでした。

この頃から目標は一眼レフ製作に固まったようで、1954年にいよいよプロトタイプを製作、これがカメラ産業界に向けての大きなアドバルーンとなり、それに応じて人も集まりミランダの製造へと繋がっていくのです。
昭和三十年代のカメラ雑誌誌上で、カメラメーカー社長を集めての座談会では『(ペンタプリズム一眼レフを)日本で最初に出すことが肝心だった』と、ミランダT当時の熾烈な競争時代を振り返っていました。
ミランダにはカメラ修理の第一人者で、アサヒカメラの診断室でも活躍された貫井堤吉、銀座の松下眼鏡店(現、銀座ニコンサロンの場所)でカメラ販売をしていた現ミカミ(麹町のビルは移転)が販売を手がけるなど、ミランダの創世期には戦後の写 真機産業界黎明期のそうそうたるメンバーが関わっていました。

この他の詳しい経緯は、朝日ソノラマ刊のムック、カメラレビュー クラシックカメラ専科のバックナンバーも御覧になることをお奨めします。

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[ 投稿者:ADMINRANDA at 16:57 | About Miranda | コメント(0) | トラックバック(0) ]

ミランダ研究史
 ミランダ研究は1982年の朝日ソノラマ刊 カメラレビュー クラシックカメラ専科誌で特集された日比 孝 氏の“ミランダカメラのすべてとその歴史 ”から始ります。それ以前、体系化された記録はありません。


最初に体系的にミランダの全貌を著した資料として世界中のミランダ研究に非常に影響力があった記事と言えます。
この、日比 孝氏による“ミランダカメラのすべてとその歴史 ”を補足、検証して行く形でMSJ=ミランダ研究会は進められてきました。

翌号では高島 鎮雄氏によって“体験的 一眼レフ進化論 15 ミランダとその周辺”が書かれました。それから白井達夫氏の“幻のカメラを追って 7 フェニックス”、萩谷 剛 氏が“フェニックス発見さる !! ”と立て続けに発表され、つまり、ミランダについての重要な記事はミランダ倒産後のわりと早い時期にほとんど発表されていました。

それから10年ほど経って、田中長徳 氏の日本カメラで連載のコラム、“銘機礼賛”でミランダCとTが取り上げられました。
ミランダを取り上げたこのコラムは名機礼賛のなかでも大変印象的な一遍で、(日本では)第二のミランダブーム(?)きっかけとなったと考えています。

以降、散発的にでしたがカメラ雑誌各紙に記事が見られます。
1998年になって学研の雑誌、CAPA別 冊 カメラGET! では山岳写真家の三宅 岳 氏の、長野県池田市の工場跡のレポート、すでに建物は無くなっていましたが、狛江市の本社跡レポートがあり大変印象深い記事でした。
この他、CAPA別 冊 カメラGET! では島田 和也 氏がミランダを度々取り上げていました。
この頃には日比 孝氏の“ミランダカメラのすべてとその歴史 ”が、発表からすでに20年経っておりカメラレビューは絶版誌となると古本も高価で手に入れにくく、簡単に見ることがなかなか出来なくなっていました。

 2003年、突然「カメラスタイル」誌上でミランダに関する珍しい写真とインタビューが、次いで朝日ソノラマ刊 「カメラレビュー クラシックカメラ専科 No.64 」にもミランダ特集が出されました。
この「カメラスタイル No13」ではガンダーラ井上 氏による“ミランダを創った男たち”と言うタイトルで、ミカミ、大塚新太郎氏の最新インタビューなど興味深い記事が多く掲載され、おそらく1954年の写 真工業誌の記事などを出典としながらも大変内容のある記事で久々にミランダファンを涌かせた好企画でした。そのカメラスタイル誌のすぐあと、奇しくも追うように出ることとなってしまった「クラシックカメラ専科 No.64 」“ミランダの系譜”では、萩谷 剛氏の書き下ろし記事で、今まで知られていなかった関係者の名前や関係性にも言及していて、これまたミランダファンは沸きに涌きました。(ミランダカメラの社員集合写真は両紙で掲載されていますが、良く見ると異なるカットなのです!)
このクラシックカメラ専科では20年ぶりにミランダのほぼすべてのモデルとレンズ、試作品などが掲載されていますが
残念だったのは日比 孝氏による“ミランダカメラのすべてとその歴史 ”にあったような「カメラの生産年度とタイプ別年表」がありませんでした。

次いで、同年に出版されたのが豊田堅二著 CAPA特別編集 カメラGET! スーパームック 11 “入門 金属カメラオールガイド”では、国内で販売、または発表が確認されたと思われるミランダの一眼レフがすべて写 真掲載されています。このムックでは当会でも協力させていただきました。
“入門 金属カメラオールガイド”はカタログ的にミランダの各種モデルを見る事が出来る素晴らしい本です。
しかし、 スペックの記載にあまりにも誤記が多く、資料としては問題があります、各機種の説明文や記事は素晴らしいのでこの点が残念です。

これだけ資料の増えたミランダですが、まだまだ「全容」を知るには物足りないところもあります。
ミラックス商事関連の製品やソリゴールも含めた膨大なカタログ、レンズや設計のユニークさにも言及した更なる深い研究をしていきたいとおもいます。

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[ 投稿者:ADMINRANDA at 16:53 | About Miranda | コメント(0) | トラックバック(0) ]

デザインに見られる天空と天体のイメージ
ミランダのデザインに見られる天空と天体のイメージ
ミランダのデザインには天体のイメージが使われているのをご存知ですか?
創業者、荻原 彰氏は天体マニアであったと言われていますがミランダの中には「天体」を思わせるイメージが隠されているのです。
そのいくつかをピックアップしてみましょう。

【パッケージとカメラ】


白い雲が浮かぶ青空から濃紺の星空へ
これはロケットの窓から見た成層圏のイメージでしょうか?
ミランダは航空工学研究者が設計したカメラなのです。
そして、SENSOREXにみられるシンボリックな星のデザイン・イメージにも注目してください。(南十字星をシンボライズした、と書かれたものもあります。しかしこれはまだ確認出来る資料でメーカーに関連するものに行き当たっておりません。)

ミランダの命名の由来は、ミランダ発表時掲載の記事によると「・・・なんとなく」とあります。
荻原氏はミランダと天文の関係を明示したことはありませんでしたが
しかし、ちょうどその頃太陽系の天王星に新たに衛星が発見(1948 年)されていました。
その衛星の名は "Miranda"なのです。
クリックして衛星ミランダを調べてください。
[ 投稿者:ADMINRANDA at 16:44 | About Miranda | コメント(0) | トラックバック(0) ]

ミランダ研究会の活動
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03/05/11 ミランダ研、最初で最後の楽しい集いにて
この日、ミランダのほとんどのバリエーションと相当数のレアレンズ、アクセサリーが集まったMSJ最大のミーティングが行われた。
なんと、こられなかった人のさまよえる魂をも呼び寄せたのである!

夜は中野、【とんかつTokinon】にてお疲れ様があり、カメラレビュークラシックカメラ専科の萩谷剛さんもいらっしゃいました。

*画像について:この日、G社のための取材協力をダシに集まって大騒ぎをしていた・・・
後ろにいたG社カメラマン氏が、おちゃめに頭を出しているだけです。      たぶんね。
ちなみに、緑のジャンパー姿はサトウさん。ほんとにもう・・・

●2003年

【Gakken CAPA特別編集カメラGet!スーパームック-11入門金属カメラオールガイド】
会員総出でミランダの献体をしまして、ほとんどの機種を協力できました。

●2004年

【ソノラマMOOK カメラレビュークラシックカメラ専科 No73】
巻頭 ミランダTの使い方

【散発的にTシャツなどを作って頒布しています】
2003年 Tシャツ、2004年 Tシャツ、トレーナー、2005年 トレーナー

【ミランダ研究会について】

 1997年頃、マックにパワー-PC搭載機のコンシューマータイプがでました。
そして、仕事でウェブデザインを始めなければならなくなり、練習のために嫌々H.Pを作ったのが始まりです。
ミランダはと言うと、その前年、平成8年6月5日、初めてセンソレックスIIを、今は亡き松坂屋で田村さんから¥12,000(レシート有り)で買ったのでミランダ歴もPC歴もまだ浅い「若者」と言えましょう。

とは言え、 それ以前にミランダには親しんではいたのです。
サトウさんと言う友人がいくつか買っては、その都度見せびらかしに来たからです。
一度などは朝10時に横浜で買ったミランダCを、11時半には大田区のわたしのウチで見せびらかすという、それはもう凄まじいフットワークと熱の入りようでした。ちなみにサトウさんは絶対に高速道路を使いません!
わたしはMiranda C のシャッターのショックの少なさや、仕上げのすばらしさに驚き、大変うらやましく思い、すなおに「いいなああ。」といいました。

それからというものはMIRANDA Sとか、そしてREIIと言った新しいモノまで、買ったらすぐ、2時間後には必ず持ってきてくれて、いろいろ見せて貰いました。
見せてもらってはいたのですが、サトウさんは巻き上げたり、フィルムを入れようとすると怒るので、ミランダは見るだけのものでありました。ですから親しむとまではなかなか行きませんでしたし、いつでもどこでも手には入るものでもありませんので、ちょっといいなあ、という程度に思っていたのです、ましてや自分でユーザーになるとは思ってもいなかったのです。

ところが、平成8年6月5日、松坂屋でぽつんとあったセンソレックスIIに出会ってしまったのです。センソレックスIIはそのころAFとAEの便利さにすっかり参ってeosユーザーだったわたしに、追針式メーターのカメラの良さを再認識させ、ドンドン好きにさせていく力があったのです。

それからHTMLを打ち込むエディターソフトで最初に練習がわりにつくったホームページコンテンツのひとつがミランダです。
苦痛だったソフトやPCの勉強が楽しくなったのは、今思うとミランダのおかげでしょう。ありがとうミランダ。
その頃の正式名称は「ミランダ博物館=ミランダ研究会」(たぶん)で、のちに「みらんぢあ」というタイトルになったことがあります。
[ 投稿者:ADMINRANDA at 15:17 | M.S.J Report | コメント(1) | トラックバック(0) ]