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2017年07月23日
「 回復へのプロセス」 3        人 が 回 復 す る と い う こ と ~精神病当事者・家族・精神科医の3つの立場を持つ私~
講演者 夏苅郁子さん
(児童精神科医、焼津市でやつきべの径診療所開業、1954生)
     (2017.5.20PM2~4 上田市プラザゆう、市人権男女共同参画課・障
がい者支援課、女と男うえだ市民の会の共催)
 参加者約200名(うち8割が中年の女性)  *文責・田中

☆ 私の話は正解のない話です。私の考え方です。虐待や大量殺人があると、そ
の人の心に問題があるという人がいますが、人は過去のつながりの中で生きています。
触法少年からは考えられない過去を持った子がいます。例えば生後3日で養護施設に入所するなど。
 本日は心の病にならないためにはどうしたいいかという話はしません。
 つまづいた人をどう支えるのか? 
 回復するとはどういうことなのか?を話します。
★ 私の母は23才で統合失調症を発症しました。隠して製薬会社の営業マン
 だった父と結婚しました。
  母は私を26才で出産。私は10才の頃に、母が何かおかしいと感じまし
 た。10年後、父の女性問題で母は再発し強制入院。母は病院を、”町はずれ
 にそびえたつ墓石” と呼びました。その後退院はしたがうちはごみ屋敷に
 なってしまいました。
  父は家に寄りつきませんでした。 父と私は母に不適切な対応をしてしま
 いました。父と母は離婚となり、私は父に引き取られました。
  私は二度と母の顔を見たくないと思いました。
  自分は結婚できないと思いました。医者か弁護士になり、親を見返してやり
 たいと思いました。
  医学部に入学しましたが、統合失調症の患者は診たくないと、児童精神科医
 になりました。
  10年後、母の主治医に会い統合失調症だと知りました。 少し母と暮らし た後、母は北海道に戻り、一人暮らしをして、78才で孤独死しました。
  母とは病院の霊安室で再会しました。
☆ 母が亡くなって2年後。 漫画家の中村ユキさんが、”我が家の母はビョウ
 キです” という漫画を発表しました。 実名で、精神医療がよくなってほし
 いという願いを込めて!
  母の死のことは伏せてきましたが、30年たって医学誌に症例として母のこ
 とを書きました。
  公表に当たって一番反対したのは夫です。「うちの診療所のことはどうで
 もいいが、あなたのことが心配だ。」と言われました
  本も出版しました。全国から手紙が届きました。
 子どもさんが自死された方からは、「空からガンバレと言ってます!」と。 
 こんな話は診察室では聞けない言葉です。

★ 回復のきっかけは? とよく聞かれます。
 先日、当事者の会で「一番大きな支えになったのは誰ですか?」と質問されました。 答えは「一般の方々です。」

① 一番初めに支えてくれたのは、おばです。
  母が入院した時に預かってくれました。
  当時の写真が母の形見の荷物から見つかりました。おば宅で食卓を囲んでい
 る写真です かわいがってもらった幸せな幼児期です。
  それで私は自殺しなかったと思います。
  私が5才の時、母は退院してきました。食事は毎日同じものを作りました。 それが私が摂食障害になった原因かな?
  段々と母は壊れていきました。大声で、バカー! とか意味不明なことを叫
 びました。
  私が細菌性髄膜炎になった時、母は高笑いして、「ここまで放っとくと後遺 症が残るかもしれない」と言ったので、これは助けてもらえないなと思いまし
 た。
  父は3年くらいで転勤していたので、児童相談所とか訴えるところがなく、
 転校でいじめられていました。
  離婚してすぐ、父は再婚し、別人になりました。
  大学にいる頃、父に復讐してやろうと思いました。リストカット・過食症・ 新興宗教に入ったりもしました。二度 自殺未遂をしました。 仕方なく精神
 科を受診し大量の薬をもらいました。眠くて便秘になって・・・。
  ペーパーテストだけはよかったので、医学部を卒業し精神科に拾われまし
 た。
  父から母への暴力がありました。
  私は今はもう、薬は飲んでません。
② 次に絶縁していた母と再会させてくれた人です。その人は家事を教えてく
 れて、そして”女は花束のようなきれいな言葉で話さないとダメ” と教えて
 くれました。
  母はクリスチャンです。 再会を祝って、例のあの食事を出してくれまし
 た。 母は50年以上、精神科へ通院し孤独死しました。
③ もう一人は在日韓国人の親友です。 体操教室で出会い、孤独どおしだか
 ら引きあった人。
  医学部時代、私はハチャメチャな生活をしてました。 父へ恨みを晴らすた
 めに、父と同世代の男性とばかり、何人もと恋愛してました。
  父にばれて説教されて、「あなたはそんなこと言えるの!」と返しました。  30才で乳がんで亡くなった彼女の生きる力が、私を回復モデルに入れまし
 た。「なんでもやっていい!死ぬな!」
  まじめに生き始めて出会ったのが今の主人です。
④ そして、母が残してくれた手帳です。
 母には自分が精神科へ通院していることは言えませんでした。
  10年間、母から逃げていました。
  30才過ぎて結婚した時、母からは「私を見捨てるの?」と言われました。 その気持ちの修正に30年かかりました。
  母は俳句集を出版しました。
  「 生か死か 二つに一つ 隙間風 」
 すざましい生き方です。その生き方を体現したい!

☆ 回復とは和解のプロセスであると言いました。又、精神医療をよくすること が和解だと思います。
  今日私が着ている服は、40年前に母が着ていた服を仕立て直したもので
 す。
  皆さんに母が一生懸命生きてきたことを伝えたくて! 美智子妃が着ていた
 服を母がまねをして、仕立てました。
  私が出版した本を子どもが読んで、”お父さん、かっこいいよね” と言い
 ました。
  人が治るには笑いとユーモアが必要です。
  息子さんを自死でなくした方から「夏苅さんは自殺未遂してどう思ったので
 すか?精神科医だからお聞きしたい!」
  その場で腹をくくり答えました。「助かってよかったとは思えなかった。何
 も変わってないから。わかったのはどれだけ回りに迷惑をかけたのか!まだ首
 にかけた紐の感覚は覚えています。」
  お酒とタバコにのめりこみました。
  ある時、外に行こうとしたらいい風が吹いてきました。散歩する距離を少し
 ずつ伸ばしました。
  回復って体感することです。 周りがあせってもだめなんです。 

[ 投稿者:ゆり at 09:42 | まちの縁側 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

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