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2018年07月31日
華麗に開花す

久坂葉子が昭和24年から自死する昭和27年まで住んでいた邸の隣にあった古道具屋さんが現存していました。


写真は元川崎邸の跡地に建っている神戸北野ホテル。

久坂葉子の本名は川崎澄子、曽祖父は川崎造船の創立者川崎正蔵。父芳熊は昭和22年に公職追放処分となり、筍生活を余儀なくされます。
富士正治『贋・久坂葉子伝』に公職追放になってからの父・芳熊の様子が描かれていました。
<馴れもしない小っぽけな商社の裏仕事は、父には恥ずかしくもあり、苦しくもあったんだ。生活を切り下げることは、外向きの生活だけは、出来ないことだった。名門だったから!
父は愚痴ばっかり言ったんだ。わたしはいつか「もうけっこうよ、くりごとは」と言ったんだ。ひとり占のトランプばっかりやっているしわしわの手の、背を丸めた父が、その時やり切れなかった。父はしばらく私を見つめていたが、怒りはしなかった。かなしげに「首をくくるか、強盗かだよ」と言っただけなのだ。父は首をくくれもしなかった。強盗もできなかった。倉から古美術を次々に出して売り、名門の体面を保って、トランプ占ばかりしていた。>
その名門の体面を保つために古美術品を売っていた古道具屋は川崎家のすぐ隣にありました。
久坂葉子が恋人の北村英三に宛てた手紙に、
<うれしくてうれしくて買物がしたくなり、家の門脇の古道具屋へ遊びにゆき、帽子を二つも買ってしまいました。>と書いているのです。

その古道具屋が、「神戸北野ホテル」の北隣の「まるきや」です。



十九歳の時の芥川賞候補作『ドミノのお告げ』では、「まるきや」をモデルにしたと思われるお店が登場します。
<ガラガラ戸をあけて仲へはいるといいお香のにおいがします。「いらっしゃい。お嬢さん」「おひさしぶり、この頃いかが?」「さっぱり売れまへんな」長火鉢に煙草をぽんといわせて、主人は首をふりました。店をみまわしますと、いろいろな形のものがごちゃごちゃにおいてあります。
「この店へ来ると、いつまでもあきないわね」「へっへ、まあどうぞおかけ、お茶をいれますから」主人は相槌をうちながら、おいしい煎茶を入れてくれました。
「あのね、父が少し残っているものを買っていただきたいって申しますの。来ていただけません?大したものでもないんですけれど」>


私が訪ねた時は、残念ながらお休みのようでシャッターが閉じられて店内の様子を窺うことはできませんでしたが、今も当時の風情を残しているのでしょうか。
でも、北野町にこんな古道具屋さんが残っていたこと自体が奇跡的に感じられました。

ところで川崎芳熊は戦後、公職追放になったものの、久坂葉子が自死する前の年、昭和26年には神戸オリエンタルホテルの社長になっています。


写真は川崎芳熊氏(川崎造船所四十年史より)

瀬戸本淳氏は月刊神戸っ子2018年4月号「神戸とオリーブと小妖精と父久坂葉子と父川崎芳熊」で、次のように川崎芳熊に温かい目を向けています。
<川崎芳熊は神戸一中の卒業だが、下の弟たち、金蔵、芳虎、芳治も神戸一中出身で、共に苦しい時代を生きた。そんなさなか、家の内実を暴露したような久坂葉子の作品には頭を悩まし、さらに彼女の死も、とうてい受け入れることができなかったのではないかと推察する。
久坂葉子は父の影響もあり幼時からピアノ、絵画、俳句、演劇などを好み、一方では有島武郎の『或る女』の主人公、早月葉子に共感し、太宰治の没落華族を描いた『斜陽』を愛読した。小妖精の才能はその美貌の上に本来、もっと華麗に開花すべきだったと思うが、父の心の痛みにも目を向けて欲しかった。>
久坂葉子の作品の中では、無能で非人間的に描かれた川崎芳熊ですが、久坂葉子に関するエッセイで、このように温かい目を向けていただいているのは瀬戸元淳氏だけでした。
娘を持つ父親としては、賛同できる嬉しい文章でした。
[ 投稿者:追憶 at 17:04 | 追憶 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

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