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2018年07月06日
曲を聴いたとき

最初の音が鳴ると、それは不確かさを思わせた。そして、たどたどしく連なっていった。高音と低音は寄り添いながら、しかし、融合することなく進んだ。周は幾つもの光景を思い出していた。色褪せたものもあったし、輪郭がくっきりとしたものもあった。ただ、それらは断続的だった。まとまっ通渠たストーリーではなかった。どんよりした雲、ひとつだけある街灯、夏の陽射し、プールの生ぬるい水温。思い出せる物事はきちんとした意味を持っていなかった。ただ感情を揺さぶるだけのものに思えた。それがあったからどうなったっていうんだ? 周はそう思っていた。一瞬一瞬は思い出すことができる。そのときにどう思ったかもわかる。でも、それでどうなった? 自分は継続した存在なのか? まるでその場限りの感情で動いていたようにも思える。感じたままに動き、考えることをしてなかったみたいだ。だから、俺には見えないことがあったのかもしれない。深く関わろうとしていなかったからだ。時の経過ばかり気にしていたせいで、俺はたくさんのことを見ないようにしてきた。美以子のことだってそうだ。

 美以子が鍵盤から指を引き去ったとき、周は自分がほんとうに泣いているのを知った。瞳は潤み MD Senses 試做、熱くなり、そこから滴となって手の甲へ落ちた。どうして出てきた涙なのかはわからなかった。周は口をひらき、弱く浅い息を吐きつづけた。そうしていないと涙がとまらなかった。

 強士は手をかたく握りしめていた。あのときと同じだ--そう思っていた。高校一年の冬、小さなホールでこの曲を聴いたときと。天井を見るとそこには幾つものライトがあった。それだって一緒だ。ほんとうに何度も同じシーンを見せられているみたいだ。聴衆が鳴らす拍手もあのときと変わらない。それらは言葉となって俺の中に降り積もっていく。息苦しくなるくらいそれらは積もっているんだ。この思いをすべて言葉にできれば--強士はそう思いながら鈍く光るライトを見あげていた。

 拍手が鳴り響く中で美以子は頭を深くさげた。ライトが彼女の全体を包んでいた。顔をあげた美以子は二人の姿をさがした。しかし、見つけられなかった。手を叩いている者たちの顔は一様にみえた。ひとつの感情に統一 Botox 瘦面された幾つもの顔は深いところから不安を呼び起こさせた。美以子は首をゆっくりと振ってホール内に目をはしらせた。周くんと強士くんはどこ? また私の前からいなくなってしまったの?

拍手はすこしまばらになった。ずっと立ったままでいる美以子に違和感をおぼえたのだろう、囁き声も洩れはじめた。周も手をとめて強士の顔を覗きこんだ。なにか言いたく思ったけれど、なんて言えばいいかわからなかった。美以子はまだ舞台に立ったままで、ぼうっとホール内を見渡していた。拍手は鳴りやみ、ざわめきが起こった。舞台袖から司会者が出てきて美以子の腕に手をかけた。それでも美以子は首を動かしていた。ざわめきは強まった。司会者が腰に手を添え美以子を連れていくまでホール内はざわめいていた。
[ 投稿者:追憶 at 13:23 | 追憶 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

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