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2017年07月17日
をいれたドアが
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をいれたドアが
きのある部屋を調べているうちに、家の寒ざむとした外見によってかきたてられた嫌悪が、ますますつのってくるのを感じた。わたしが何を恐れ、あるいは忌み嫌ったのかは、きっぱりこれだといいきれるものではないが、雰囲気全体にある何かが、不浄な歳月、不快な露骨さ、忘れ去られるべき秘密をにおわせているようだった。そんなわけで、腰をおろす気分にはなれず、歩きまわっては目に入ったものを調べつづけた。わたしの興味をまっ先に捕えたものは、テーブルに置かれた中くらいの大きさの本で、博物館や図書館の外で目にするのが不思議に思えるほどの、古色をおびていた。金箔押しの革で装釘され、保存状態も良く、かくも見すぼらしい住居で目にするものとしては、異常としかいいようのない古書だった。扉を開けてみたわたしは、さらに驚かされた。コンゴの地誌について、水夫ロペックスの記録をもとに、ピガフェッタがラテン語で記し、一五九八年にフランクフルトで出版された稀覯書《きこうしょ》にほかならなかったからだ。ド・ブロイ兄弟の手になる風変わりな挿絵の付されたこの著作のことは、わたしもよく耳にしていたので、目のまえにあるページを繰りたいという欲望のままに、それまでおぼえていた不安も一瞬忘れはててしまった。図版はまったくの想像と奔放な作図から生みだされた興味つきせぬもので、白い肌とコーカサス系の顔だちをもつ土着民を表していた。本を閉じようとしたとき、きわめて些細なことがわたしの疲れきった神経をかき乱し、不安感を甦らせた。わたしを悩ませたものは、その本がどうしてもひとりでに、第十二図のあるページを開いてしまう傾向をもっていたことにしかすぎない。第十二図は恐ろしいほどの精緻さで、人肉嗜食のアンジック族の肉屋を描いたものだった。わたしは実に些細なことに神経をとがらせた自分を恥しく思ったが、それにしてもその図版は、とりわけアンジック族の食生活にふれる記述とあいまって、わたしの心を不安にさせるものだった。
 既にわたしは手近の棚に顔をむけ、わずかばかりの書物を調べていた。十八世紀の聖書、暦を出版していたイザイア・トマスの印刷による、奇怪な木版画の収められた、同時代のものらしい『天路歴程』、コットン・マザーの『崇高なるアメリカのキリスト教徒』の崩れかけた大冊、その他明らかに同時代の書物が数冊あった。とそのとき、頭上の部屋を歩いている聞きちがえようのない音に、わたしの注意は惹きつけられた。ついさっきドアをノックしたときには何の返事もなかったことを考えて、最初は驚いてしまったが、その後すぐに、熟睡から目を覚ましたのだろうと判断し、きしむ階段に足音がしても、さほど驚かないまま耳をすました。足音は重おもしいものだったが、妙に用心深くしているような気配があった。足音が重おもしいだけに、わたしはことさらその点が気にいらなかった。わたしはこの部屋に入ったとき、ドアを閉めていた。歩いている者が玄関ホールに置いたわたしの自転車を調べているのかもしれない、不意に足音がとぎれてつかのまつづいた静寂の後、ノブが回される音がして、鏡板揺れて開くのが見えた。
 戸口には、自分をおさえるという行儀作法を知らなかったなら、思わず声をあげただろうと思えるような、きわめて異様な風貌《ふうぼう》の人物が立っていた。白い顎鬚を生やし、ぼろをまとう年老いた主《あるじ》は、驚嘆と畏敬とをひとしくひきおこす顔つき体つきをしていた。身長は優に六フィートはあり、よる年波と貧しさを歴然と示しているにもかかわらず、体つきはたくましく、がっしりしていた。頬高くにまで生える長
[ 投稿者:て暮ら at 15:54 | て暮ら | コメント(0) | トラックバック(0) ]

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