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2013年08月24日
家に帰ってきても

と言っても大津市の歯医者さんまでの往復だけですが。8月2日金曜日に歯が折れて、その治療に行くべしで5日に歯医者さんに行くはずだったのに、家を出る前にワンズのシッコで凛太郎を抱いたままバランスを崩して、激しくぐねり、それっきりとなっていました。(凛太郎は落とさず死守しました)

でも・・・。「どうしようもないですね。抜くしかないですね」という結果(/_;)今回の歯は歯の根がほとんどないので差し歯はできないということでした。残念。

抜くとなると全身麻酔なので、先生としては悪い歯は一度に全部抜いてしまおうということなのですが、私としては噛める間は悪い歯も使いたい。それより抜いた後のスカスカの歯で食事ができないかもしれないということに激しく恐怖を感じるのです。お腹が減ったら遭難状態になりますからね。

まあそんことで大津までの往復。いつもなら大したことはないのですが、なれないクーラーをつけたら、お腹や足が冷えて具合が悪くなり、消したら消したで暑い。病院についてもしばらく手足が熱い。なんかヤバそうと思い、ハンカチを濡らして首にあてたり、靴下を脱いだり、備え付けの団扇であおいで、なんとなくひとごこちがついたころに呼ばれて、先ほどの告知(たいそうな)を受けたわけです。

家に帰ってきても、手足(足の裏)が熱い、なんかシンドイ。

で検索をかけたら

この足の裏や手のひらが熱くなるのは戻り冷え症といって、血液が心臓に戻れずに
滞留してしまうことで熱が生じ、熱く感じることと、
冷えて血液の流れが悪くなってしまうことで熱が集まってしまうことにあります。

なぜなら冷えが悪化して、血液の流れが悪いと脳が判断して、もっともっと熱をそこに
集めて血行を良くしなさいと命令を出しているから
なんですよね。余計なお世話って言ったらお世話ですけど・・・

ですのでこの足の裏の熱さを取るために冷たい湿布を張ったり、冷えピタ張ったり
はたまた氷水で足を冷やすなんて一番やっちゃいけないこと。
逆に足湯とかマッサージとかで血の巡りを良くしてあげるのが解消につながります

でも足の裏が熱いのに足湯なんて入っていられないって思うかもしれませんが、
でしたら体の中から冷えを摂るような食事や生活習慣が大事です。
手足の熱やほてりは血行不良が原因ですので、眠れなくなるほどひどくなる前に

ちょっとしたストレッチや手足ばたばたする運動、手首をぐるぐる回したり、
足首を伸ばすためにかかとを上げ下げを繰り返したりと悪化する前に血の巡りを
良くする運動をこまめにすることで熱くなりすぎるのは防げます

とありました。そういえば最近あまりに暑いのでお風呂はパスしてシャワーばかり浴びていました。捻挫の前はシャワーばかりなのでその対策として足湯もしていましたが、捻挫をしてからは足湯もサボっていました。

「そうか暖めたら治るのか」と、今日は早い時間にぬるめのお風呂にゆっくり浸かりました。足首だけ他の場所とあきらかに違い温まりにくかったです。

クーラーがなかっても冷えるのですね。

前にあん摩の先生に「耳鼻咽喉科系のビョーキは冷えから来ることが多い」と聞いたこともあります。

読者のみなさんも手足が火照るようなことがあって、シャワーばかりの毎日だったら、足湯かお風呂で温まってくださいね。改善されるようです。

でも、私まだ火照っています。1回入ったくらいでは改善されていないようです。手足ぶらぶら運動もしなくては。
明日から足湯も復活させます。足湯で汗をかいたら少しは体温も下がりますもんね。暑い時こそ汗かかねば(いっぱいかいてますけどね)

ではまた明日
読んでいただいてありがとうございました。

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[ 投稿者:jhguomm at 13:34 | Pleasure | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2013年08月07日
競うと争うとは違う
孤独とは自分中心に生きることです。自分中心に生きること、即ち、自分のことだけを考えた生き方です。それは争いと呼ぶ副産物を作り、何時もガツガツし、それが摩擦を生じ周囲に要らざる緊張感をもたらす。こんな生き方をしていると必然と人離れしてしまいます。これを続けているとstring embroidery、一層、人は孤独を深めます。益々、自分中心の生き方に依存し更に深まります。こんな孤独の罠に陥らない様に避けなければなりません。

「まことに、まことに、あなたがたに言う。争いの心を持つ者はわたしにつく者ではなく、争いの父である悪魔につく者である。悪魔は互いに怒って争うように人々の心をあおり立てる。」(モルモン書 第3ニーファイ11:29)

競うと争うとは違う。競うことは人間の成長に欠かせない大切な要素です。これまでにも人類はたくさんの恩恵を受けて来た。それは今でも受けている。しかし争いは、人と神に背を向けることです。これまでも過去に何度も経験してきた。国と国、人と人、友人だと思っていた人とも、そう考えると孤独とは他人に背を向けることです。

しかし人間は、どんなに自分は孤独だと叫んだとしても本当に孤独な人はいません。また孤独にはなれない。どんな人も何らかの繫がりの中で生きていますcase for samsung galaxy。その繋がりは言葉です。言葉と言葉の繫がり、それは人間と人間の繋がりでもあります。言葉で繋がれているからこそ孤独にはなりません。孤独にならない為に、また繋がりを絶やさないために活きた言葉が必要です。

影は太陽の副産物。太陽が出ている限り、何時も付きまとっている。言葉も同じだ。その言葉は人間が使うことで人と繋がっている。悪魔に繋がっていない限り、人は神に繋がっている。人間は神が創造したと聖書に書いている。つまり人の元を辿れば神に繋がる。だから孤独にはならない。

悪魔って知っているのだろうか。見たことがあるだろうか。感じたことがあるだろうか。私も今まで見たこともない。しかし先に述べた聖文を読んでいると、悪魔は、案外、自分の廻りにいるような気がする。孤独、争いnu skin product、それは太陽の影のように何時も付きまとっている。競いと争いの差は、紙一枚の薄さかも知れない。
[ 投稿者:jhguomm at 15:10 | Pleasure | コメント(0) | トラックバック(0) ]