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2012年02月23日
ボランティアは、無料奉仕ではない
 
 
 どうも日本では、ボランティア=無料奉仕と思っている人が多いようで、本当に腹が立ちます。

 例えば朗読のボランティア。いろんなところで募集がかかるので、気楽に参加する人が多いようです。
 けれど、これまでの人生でろくに朗読などやったことがない人が軽い気持ちで本読みをやったって、大していいものなどできるわけがない。物語を書いたことがない人が物語や台本を書いたって、いいものができる確率は、「猿にピアノを弾かせる話」のごとくです。
 そんなクオリティのものを、「タダだから」という理由で困っている人に押しつけるのは、傲慢以外の何者でもないわけです。

 「ボランティアに参加する人」には、こういう傲慢な考え方の人が多いように感じます。

 ボランティアが本当の意味で機能している欧米では、ボランティアは「富の再配分のシステム」としてとらえられているようです。

 例えば先ほどの朗読ボランティアを例に取るとこんな感じです。

 1:暮らしに余裕があり、朗読に精通している人
 こういう人は、時間に余裕があるときにいろんな所に出て行って、無料で朗読会を開くことができます。自らの富の一部を再配分する=自らの朗読の技術を自らの富で買い上げて提供するということになるからです。

 2:暮らしに余裕があるが、朗読はできない人
 こういう人が朗読ボランティアに参加する方法は、「暮らしの余裕の部分」を提供することです。
 具体的には、朗読に精通している人を対価を提供することによって雇い、朗読してもらうのです。そうすれば、「質の良い製品」を、困っている人に無料で提供することができます。

 3:暮らしに余裕がないが、朗読の技術はある人
 こういう人は、再配分する富がないので、ボランティアをやるべきではありません。2のような人に雇ってもらうのが一番いい方法です(昔は勉強中の役者がそうした役割を担っていたようです)。

 このように、ボランティアは常に「善意による」富の再配分のシステムと言う考え方です。専門知識を持つ人、お金に余裕がある人、困っている人、すべての人が「善意のもとに」「無理をすることなく」「質の高いサービス・製品を」やりとりすることができる、すばらしいシステムです。
 つまり、困っている人が平均的な水準のサービスを受けられるばかりでなく、技術を持っている人は生活支援と勉強の場を与えられ、お金を持っている人は善意を施したという精神的な満足を得られるわけです。
 また、金銭の授受が発生するわけですから、そのための組織作りも緻密ですし、税金とは別に(税金も「本当は」富の再配分のシステム)富の再配分が行われるわけですから、当然税制上の優遇策もあります。

 ところが、どういうわけか日本では、「善意の無償提供」という美名のもとに、質の悪いサービスや、無理に参加してかえって生活が苦しくなる、などというおかしな現象が頻繁に見受けられます。

 善意の名の下に強制的に無料で奉仕活動をさせられるというのは、明治維新あるいは第二次大戦あたりから続くおかしな風習だと思っています。まぁ、ひょっとしたら日本人が潜在的に持つ、精神論的な何かがそうさせているのかもしれません。
 それどころか、金持ちがさらに太る手伝いを、善意という美名のもとに、単なるタダ働きとしてやらされているのではないか、という疑念さえ抱いてしまいます。

 とにかく、単なる年寄りの暇つぶしや、地域や会社の強制的な奉仕活動に、「ボランティア」などという名前をつけてほしくないと、本当に思うわけです。なぜならそれは、本当の意味のボランティアに比べて、あまりにも生み出すものが少なすぎるのですから。
 
 

 
[ 投稿者:余白 at 23:11 | たわごと | コメント(3) | トラックバック(0) ]

この記事へのコメント
興味深く拝見いたしました。
 個人的に発行している通信で紹介させていただきたいのですが、お願いできますでしょうか?内容は奉仕活動に関しての特集です。
投稿者: 名無しさん at 2014-01-31 10:42:36
無題
>名無しさん
1年近く放置しているブログに、このところ、急激に閲覧者が増えたので、なにが起こったのかと思っておりました。どなたかはわかりませんが無断で記事を載せた方がいらっしゃったようで、そのせいのようですね。まぁ、それは別に構わないのですが、正直、根拠が無いわけではないものの、かなりでたらめに好き勝手に書いておりまして、鵜呑みにしすぎていやしないかと逆に心配している次第です。
記事の転載は、元記事の所在をはっきりさせていただければ特に断りはいりません。が、わたしは従来の「戦中型奉仕活動」が大っ嫌いで、そういうものに疑問があってこのような記事を書いたので、紹介にあたってはその辺りをよく考えて頂いたほうがいいかと思います。

ちなみに、一つ付け加えておきますね。

江戸時代、町場では町人の殆どは長屋に住んでいました。
長屋の住人たちは自分たちの住んでいるところの清掃などを定期的に行っていましたが、その手当は、大家さんからいくらか出ていたそうなのです。そういうものを出さない大家というのは、住民から非難されるということもあったそうです。いくら自分たちの住んでいるところでも、労働に対する対価は、善意にのっとってきちんと支払われていたということですね。
これは、今都合良く使われているボランティアという言葉ではなく、本来の意味のボランティアに近いものなのではないでしょうか。
つまり、昔は日本にもそうした富の再配分のようなシステムはあったんです。
どうしてこんな無料奉仕まがいのボランティアがまかり通るようになってしまったのかは、今後よくよく考える必要がありそうですね
投稿者: 余白 at 2014-01-31 23:03:42
承諾の件
ありがとうございます。勿論、所在は記載いたします<(_ _)>私も無料奉仕には若干疑問を感じておりますが、その当たりに一石を投じられれば!と考えております。有料ではなくてもちゃんと労う形が大事とか、気持ちを形に表す感じを上手く表現出来れば良いのですが…お預かりいたします<(_ _)>
投稿者: 名無し at 2014-02-06 19:33:55

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