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文章力強化の参考にしたいので、是非コメントを。あと、twitterもやってます。検索は@subwhiteで。

2013年02月01日
新興宗教とアイドルビジネス


この頃、TVを見るのがほとほと嫌になっています。

 テレビをつければおんなじようなタレントばかりが写っていて、大した芸もないのに、ただ、キャーキャー騒いでばかりいる。
 
 今に始まったことではありませんが、本当に、アイドルと呼ばれる人たちは、見ているだけで嫌ですね。

 以前にも、アイドルについて考えてみましたが、そのことを踏まえて、もう一度考えてみましょう。
 
 


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[ 投稿者:余白 at 02:25 | たわごと | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2013年01月21日
体罰、ということ
 
 
 子供の頃、学校の先生によく、こんな事を言われました。

 「叩かれないと言うことを聞かないようでは、牛や馬と一緒だ」

 子供の頃は、それを、怒られる前に、叩かれる前に気づいて、ちゃんと言うことを聞ける良い人間にならなきゃいけないんだ、と言うように捉えていました。

 同じ言葉を思い出した時、いまの私はこんなふうに思うのです。

 「じゃぁ、叩いてまで言うことを聞かせようとするあなた達は、私達を、牛や馬と一緒だと思っている、ということなんですね」


 昨今の体罰問題に触れるにつけ、そんな事を思ってしまいます。
 
 
 
 
 
 
[ 投稿者:余白 at 00:56 | たわごと | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2012年12月08日
投票に行こう!
 
 
 紆余曲折あって、衆議院議員選挙です。
 

 今回の選挙は、本当に難しい。
 どこへ入れても一長一短。こっちの主張はわかっても、こっちの主張は受け入れられない、ということばかりで、どこへ入れたらよいのか、なかなか難しい。

 昔は選挙の争点がそんなに多くなかったので、悩むことも少なかったでしょう。逆に、昔の人みたいに「とりあえず自○党に入れておけばいい」と安易に考えられずに悩む人が増えたのだとしたら、昔の人より今の人の方がよほど真面目に政治のことを考えているのかもしれません。

 先日何かの街頭インタビューで、新聞の社説を参考にすると答えられた方がいらっしゃって、選挙に対してとても真摯な姿勢でいられるのだなぁ、と感心しました。惜しむらくは参考にするほど新聞に対する信頼が残っているかどうかと言うことですが・・・

 こういう難しい選挙になると、どこへ入れていいかわからないから選挙に行かない、ということを言う人たちがいます。
 選挙に行かない、ということは、選挙に行かなかった、という事実が残るだけで、おまえたちの誰にも入れたくないんだ、という主張には全くつながりません。投票率は下がり、にもかかわらずトップを取った党は、少ない票数で「国民の信任を受けた」とされるわけです。極論を言えば、投票に行かなかった人は、何も考えずに「とりあえず」自民党に入れていた昔の人と対して意識は変わらない、ということになります。

 じゃぁ、入れる政党がない人はどうしたらいいか。

 選挙へ行って、投票用紙に、「入れる人がいない」と書いて入れればいいんですよ。

 それじゃぁ無効票になるだけで、意味がないって?
 確かに、そうやって白票を投じる人が昔から一定数いて、それは単なる自己満足に終わっているのだ、という意見があることは知っていますし、事実、そうした面はあるでしょう。
 しかし、「本当に入れる人がいない」と考えている人が「みんなで」それをやったとしたらどうなるでしょうか。
 当然、投票率は上がりますし、投票率に対して無効票があまりにも多ければ、しかも無効票に書かれている言葉が似通っていれば、マスコミだって取り上げざるを得なくなるでしょう。
 そうすれば、「投票」という行動を使って、今の政治家を信任しないという人が一定数確実に存在することがわかるでしょうし、そのことが、与党になった党に対して、政権を取ったからと言ってでかい顔するな、俺たちはしっかり見ているぞ、という意志を見せつけることにもなるからです。

 とにかく、もう入れる党が決まっている人はともかく、どこへ入れたらいいのかわからない人も、必ず投票に行きましょう。
 そして、「私はおまえらの誰も信任しないぞ」という意志をきっちり示してやりましょう。
 
 
 
 

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[ 投稿者:余白 at 22:53 | たわごと | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2012年10月27日
野球の大谷選手、メジャー挑戦の記事に鑑みて
 
 
 花巻東高校の大谷選手が、メジャー挑戦を表明したそうですね。

 日本球界に残らず、一足飛びにメジャー挑戦する、というのは、日本人からすれば国内で彼の姿を見ることができないという点で残念なことではありますが、本人が挑戦したい、というのであれば、やはり応援するべきものだろうな、と思います。

 この表明に対して、学校などに苦情の電話などを入れる馬鹿が相当数いるそうです。日本球界を馬鹿にしているとか、生意気だとか。
 苦情を入れる人が大谷選手とどういう関係なのか知りませんが、本当に余計なお世話だと思います。
 だいたい、大谷選手は日本とは「違う」野球をやりたくてアメリカに行くわけで、レベルの高低の話をしているわけではありません。それなのに、「日本球界を馬鹿にしている」などという人は、その人自身がすでに日本の野球をアメリカより下だ、と見ていることになります。これではどっちが日本の野球を馬鹿にしているのかわかりませんね。

 話はちょっと変わりますが、「最近の若者」についての記事がありまして、何でも最近の若者は極端に失敗を恐れるとのことです。失敗を恐れるあまり、チャレンジ精神が衰えているとか何とか。

 まぁ、「最近の若者」という言い方が気にくわないのはさておき、先に挙げた大谷選手の例にもあるように、挑戦する人間を批判し、そしてまた失敗した人間をなじるような風潮が、この国には蔓延しているような気がします。

 例えば江戸時代の職人などは、弟子は親方の仕事を見て覚えるのが一般的で、親方はそうした弟子の姿勢を見て、一番いい時を判断して仕事を与えるのだそうです。そのような徒弟関係とも呼べる職場環境において、親方となる人には人を見る目があったでしょうから、入ってきたばかりの弟子に即戦力的な仕事を求めることもなかったでしょう。また、一人前の職人になるのに3年とか5年かかるとか、かなり長い時間を設定していたようですが、逆に言えば一人前になるまでにそれだけの時間、待っていてくれるともいえるわけで、本来修行とはとても気が長く、寛容なものだったのでしょう。
 個人的な意見としてですが、そうした関係の中で、仕事に対して怒ったりなじられたりする必要性のある場面が、私にはあまり想像できません。
 例えば失敗一つとっても、それが命に関わる出来事とか、お客を激怒させるような事でない限り、怒鳴ったりする必要性は無かったのではないでしょうか。

 現代の日本には、そうした寛容さが極端にかけている気がします。

 そんな状態で、「今時の若者はチャレンジ精神がかけている」と言われても、「馬鹿じゃないの、何言ってるの」としか返答のしようがありません。

 「今時の若者」などと言っている年寄りは、自分たちが若かった頃、どれだけ世の中が寛容だったかをよく考えるべきだと思います。
 
 
 
[ 投稿者:余白 at 00:23 | 出来事 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2012年10月25日
いわゆる”エロマンガ”は、犯罪を助長するのか
  
 
 時々、いい年をした大人が、年端もいかない子供への性的欲求を抑えきれず、暴行を加える事件が起こります。
 マスコミはこぞって、犯人の生活実態を白日の下にさらします。さらされた中には、性表現を伴ったマンガやアニメ、ゲームなどが必ずといっていいほどあります。
 そんなとき、マスコミやお抱えの精神科医は口をそろえて言います「こういう表現物が犯罪を助長、誘発する」と。

 こういう言葉を聞くたびに、おまえらバかじゃないのか、と思います。

 まず、犯罪を犯してでもそのような行為に及びたいと思うのであれば、その犯罪者本人に元々そういう性癖があったと考えるべきです。
 そのような人間が、自分の求めるものに近い表現物を手に入れているのは、ごく当たり前のことではないか、と思うのです。
 
 このようなマンガは時に過激で暴力的な表現を伴うことがあります。しかし、そのような性癖を嫌う人は同じ性表現が書かれたものであっても読むことはまず無いでしょうし、そのような性癖が好みである人は、現実にはできない行為を肩代わりしてもらうことで、擬似的に欲求を満たすことができるのではないでしょうか。

 つまり、性的表現物を求めるのは、それによって自らの欲求のうちかなえられないものを充足する効果があるのではないかと考えられます。

 では、なぜ犯罪に至る人間が出てくるのでしょうか。

 簡単に言えば、擬似的な欲求不満の方法では満足できなくなるからだと考えるのが自然ではないかと私は考えています。

 一昔前、ゲーム脳理論ということがさかんに言われた時期がありました。暴力的なゲームを続けることにより、脳が暴力の欲求に支配され、犯罪を起こす要因になる、というようなことです。
 これはすでに、科学的に間違っているという結論になっています。たとえそれが暴力表現まみれのゲームであっても、犯罪を引き起こす直接の原因にはなり得ないと言うことです。

 では、一時期はやった、格闘技ゲームのまねやプロレスごっこで大事故が起こったというようなことはどうでしょう。

 本人たちの証言はたいてい、「ゲームのまねをしてみたかった」というものです。これだけを聞くと、確かにゲームをすることが犯罪者を産む土壌になると思う人もいるでしょう。

 けれど、ここで問題なのは、「こういうことをしたら相手が壊れる」と言うことを、バーチャルとはいえ本人たちが認識していることであり、その上で「実際に技をかけて、"相手を壊してみたい"」という思考回路が存在した、ということではないでしょうか。

 つまり、単純な欲求の不満解消ということではなく、潜在的に犯罪者的要素があった、ということではないかと私は考えます。
 プロレスやゲームの技を誰彼かまわずかけまくるような輩は、元々が、相手がどうなろうと自分さえ楽しければかまわないという思考の持ち主であり、そういう性質そのものが、事故、ひいては犯罪の原因だと言うことです。

 こうした人間は、性的刺激に引かれた場合は性的犯罪を行いますが、暴力的刺激を受けた場合は暴力的犯罪、インターネットの不正アクセスを覚えればインターネット上の犯罪を犯すことになるでしょう。

 私は表現物が、そうした潜在的犯罪性のある人間に犯罪方法のヒントを与えてしまう危険はあると思いますが、そうでない人間まで犯罪者に仕立て上げることはないと思っています。また、犯罪者に対する犯罪方法のヒントは、必ずしも表現物の中にあるとは限りません。この情報化社会の中ではいくらでもヒントを得る方法があるのです。

 今、こうした犯罪者がマスコミに多く取り上げられるようになることで、国家権力による表現規制が容易に行われるような土壌が作られようとしています。
 一度そのような法律が作られれば、いつ何時、どの政権によって拡大解釈された恣意的な運用をされるかわかりません。

 マスコミが大きく扱う記事の陰に隠れ、こうしたことが粛々と行われている怖さを、私たちは常に監視していかなくてはいけないのではないでしょうか。
 
 最後にまとめておきます

 人は誰でも自分の嗜好に近い表現物を好みます。たとえそれが犯罪的なものであっても、本人にそれを好む嗜好があればそうした表現物を手に入れるでしょう。
 しかし、表現物が犯罪者を生み出すわけではありません。なってもせいぜいヒント程度です。犯罪を犯した理由を単純に表現物には求められません。育った環境、置かれた状況など、時には本人も無自覚であるような要素まで考慮していかなければならないはずです。

 表現物を、スケープゴートにしては、絶対にいけません。






 
[ 投稿者:余白 at 00:47 | 考えてもみなよ | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2012年09月18日
中国でのデモ~人民の幼稚さが垣間見える


 中国各地で、反日デモ、もとい反日暴動が起こっており、連日マスコミが取り上げています。
 引き金は尖閣諸島を廻るごたごたなのでしょう。領土を廻る問題は、とにかく政府間できちんと話し合って解決していただきたいと思っています(その前にきちんと話ができる政治家を選ばなくてはいけませんが)。

 で、「引き金」と書いたからには、デモの本質は全く別の所にあるんじゃないか、というのが、今回の考察です。

 といっても、まぁ、だいたいの人がわかっているとおりなのですが・・・
 
 
 


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[ 投稿者:余白 at 14:44 | 世界の仕組み | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2012年06月05日
暴走する庶民の嫉妬心ー生活保護の場合
 
 
 某芸能人の親が、自身がかなりの収入があるにもかかわらず扶養の義務を怠ったため、生活保護を受けていたということが、マスコミやネットを賑わせています。

 生活保護の費用はみんなが払っている税金で運営されています。当然、憲法第25条で保証される「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が侵害された人を救うために使われるわけです。
 だから、貯金もなく、誰かに頼ることもできず、このままでは憲法で保障されている生活を送ることができなくなる、本当に困っている人を救うためにあるべきです。

 さて、某芸能人の場合、確かに収入もかなりあるようですし、その点だけでいえば、当然、その親の面倒は生活保護に頼るのではなく、自分が見るべきものなのでしょう。それが今、世間で彼らがたたかれている理由だと思います。

 でも、私はどうも何か問題の本質がずれてしまっている気がして仕方がないのです。

 それがなんなのか、ちょっと自分を整理するために書いてみることにします。
 
 
 

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[ 投稿者:余白 at 13:39 | たわごと | コメント(2) | トラックバック(0) ]

2012年05月03日
結局、シーシェパードなんて珍走団と同じだ
 
 
 Yahooニュースで、南極海でシーシェパードが日本の調査捕鯨船に対して投げ込んだ物を、日本の海上保安庁が回収したとの記事を見ました。
(詳細:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120503-00000106-san-soci)

 実際には南極海に向けて10トン以上もの薬品やロープなどが投げ込まれたと見られ、今回回収できたのはそのうち2トンほどだとのことです。

 ということは、奴らが投げ込んだ物のかなりの部分が、いまだ南極海や、周辺の海域にあるということです。これは明らかな海洋汚染です。

 また、調査捕鯨船の近くで行ったということは、当然、鯨が生息している地域なので、そうした汚染物質を鯨が体内に取り込んでいる可能性がかなり高いと見られます。
 そうなれば当然、そうした鯨が生命の危機にさらされることは明らかです。しかも、海上保安庁の発表した数値が正しければ、いまだに8トン近くものゴミが海域に漂っていることになり、鯨に対する生命の危機はいまだに続いていることになります。

 シーシェパードの目的は、鯨を守ることではなかったのでしょうか。

 捕鯨に関しては、本当の生息数や、「誰が鯨をここまで減らしたのか」という責任の所在がはっきりしないので、その是非については議論の余地がありますが、シーシェパードが行った「環境汚染」は、誰の目から見ても明らかに「非」です。

 ここまでくると、奴らの目的は、ただ単に日本人が南極海で何かやっていることをおもしろ半分に妨害することであり、その結果鯨がどうなろうが関係ないのではないかとさえ思えます。

 いや、実際そうなのかもしれません。

 結局彼らは、単なる差別主義者で、自分たちの存在を示すことができればそれでいいというような、極めて幼児性の高い連中なのでしょう。深夜に騒音をまき散らしながらバイクを走らせる暴走族、もとい珍走団と何ら変わりません。

 あるいは、「鯨の保護」をエサにして大金をかき集める、一種の詐欺集団ということも考えられます。こんな連中に金を出している有名俳優とかがいるそうですが、こうした事態をどう思っているのでしょうか。

 本当に、馬鹿に金を持たせてはいけないもっともわかりやすい例ですね。いや、詐欺師なら賢いのかな・・・




[ 投稿者:余白 at 15:51 | 出来事 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2012年02月23日
ボランティアは、無料奉仕ではない
 
 
 どうも日本では、ボランティア=無料奉仕と思っている人が多いようで、本当に腹が立ちます。

 例えば朗読のボランティア。いろんなところで募集がかかるので、気楽に参加する人が多いようです。
 けれど、これまでの人生でろくに朗読などやったことがない人が軽い気持ちで本読みをやったって、大していいものなどできるわけがない。物語を書いたことがない人が物語や台本を書いたって、いいものができる確率は、「猿にピアノを弾かせる話」のごとくです。
 そんなクオリティのものを、「タダだから」という理由で困っている人に押しつけるのは、傲慢以外の何者でもないわけです。

 「ボランティアに参加する人」には、こういう傲慢な考え方の人が多いように感じます。

 ボランティアが本当の意味で機能している欧米では、ボランティアは「富の再配分のシステム」としてとらえられているようです。

 例えば先ほどの朗読ボランティアを例に取るとこんな感じです。

 1:暮らしに余裕があり、朗読に精通している人
 こういう人は、時間に余裕があるときにいろんな所に出て行って、無料で朗読会を開くことができます。自らの富の一部を再配分する=自らの朗読の技術を自らの富で買い上げて提供するということになるからです。

 2:暮らしに余裕があるが、朗読はできない人
 こういう人が朗読ボランティアに参加する方法は、「暮らしの余裕の部分」を提供することです。
 具体的には、朗読に精通している人を対価を提供することによって雇い、朗読してもらうのです。そうすれば、「質の良い製品」を、困っている人に無料で提供することができます。

 3:暮らしに余裕がないが、朗読の技術はある人
 こういう人は、再配分する富がないので、ボランティアをやるべきではありません。2のような人に雇ってもらうのが一番いい方法です(昔は勉強中の役者がそうした役割を担っていたようです)。

 このように、ボランティアは常に「善意による」富の再配分のシステムと言う考え方です。専門知識を持つ人、お金に余裕がある人、困っている人、すべての人が「善意のもとに」「無理をすることなく」「質の高いサービス・製品を」やりとりすることができる、すばらしいシステムです。
 つまり、困っている人が平均的な水準のサービスを受けられるばかりでなく、技術を持っている人は生活支援と勉強の場を与えられ、お金を持っている人は善意を施したという精神的な満足を得られるわけです。
 また、金銭の授受が発生するわけですから、そのための組織作りも緻密ですし、税金とは別に(税金も「本当は」富の再配分のシステム)富の再配分が行われるわけですから、当然税制上の優遇策もあります。

 ところが、どういうわけか日本では、「善意の無償提供」という美名のもとに、質の悪いサービスや、無理に参加してかえって生活が苦しくなる、などというおかしな現象が頻繁に見受けられます。

 善意の名の下に強制的に無料で奉仕活動をさせられるというのは、明治維新あるいは第二次大戦あたりから続くおかしな風習だと思っています。まぁ、ひょっとしたら日本人が潜在的に持つ、精神論的な何かがそうさせているのかもしれません。
 それどころか、金持ちがさらに太る手伝いを、善意という美名のもとに、単なるタダ働きとしてやらされているのではないか、という疑念さえ抱いてしまいます。

 とにかく、単なる年寄りの暇つぶしや、地域や会社の強制的な奉仕活動に、「ボランティア」などという名前をつけてほしくないと、本当に思うわけです。なぜならそれは、本当の意味のボランティアに比べて、あまりにも生み出すものが少なすぎるのですから。
 
 

 
[ 投稿者:余白 at 23:11 | たわごと | コメント(3) | トラックバック(0) ]

2012年02月11日
「初音ミク」という現象について考えてみた。
 
 
 私が子供の頃、テレビには、アイドルとか、スターとか呼ばれる人たちがたくさん出ていて、今思えば大してうまくもない歌や演技でテレビに出ることにより、各々それなりの人気を得ていました。

 彼らに共通していたのは、テレビに出ている部分以外の、いわゆる私生活(あるいは人としての生活)が全くなかったことです。もちろん、人間ですから食べたり飲んだりトイレに行ったりということはあったのですが、「アイドル(偶像)」という名の下に仕事をしている以上、それは表向きには完全に隠蔽されていました。当然、「偶像という公共物」には、恋愛や、まして結婚などという「特定の誰かに所有される私物」になるなどあり得ないことで、そうなった場合、才能や運があれば別の方法で芸能界にしがみつくこともできたでしょうが、そうでなければ引退せざるを得なくなりました。

 今でもアイドルの定義そのものは変わりませんが、「隠された部分を見たい」という人間の性と、それを利用して金儲けをする芸能雑誌の行き過ぎともいえる取材攻勢、そして何よりもITの発達によって、アイドルは、もはや偶像としての意義を失い、単に「何の才能もないのに見てくれだけでテレビに出て仕事をしている人たち」に成り下がってしまいました。

 ところが、アイドルを追い詰めた要素の一つであるITの発達が、逆に完全な形の偶像を生み出すことになります。

 それが、初音ミクだと私は思っています。
 
 
 


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[ 投稿者:余白 at 16:15 | たわごと | コメント(0) | トラックバック(0) ]