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2012年01月09日
◆千曲川の洪水に備えを㊦ 未曾有の水害「戌の満水」想定外の場所に濁流!長野県
小諸城三の門
  【懐古園・小諸城三の門。濁流で流された】

東御市・祢津・八間石
  【東御祢津の八間石。手前左は農業用ビニールハウスの骨組み。地中部分の大きさは不明】


 千曲川上流域から多数の死者を出した寛保2年(1742)「戌の満水」。270年前の出来事-。

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洪水ハザードマップ
 【上田市の洪水ハザードマップ】
 
 上田市では平成19年度に100年に1度という豪雨を想定した洪水ハザードマップを作成。千曲川、神川、依田川、浦野川、矢出沢川、瀬沢川水系が氾濫した場合の浸水予想を示し、避難場所などを掲載。
 東御市では平成20年に土砂災害洪水避難地図ハザードマップを作成。旧東部町地域の広範囲で土石災害警戒区域になっている。
 小諸市では洪水避難地図、浅間山火山防災マップなどをこれまでに作成し、昨年は浅間山の火山噴火に伴う融雪型火山泥流で市民説明会を行った。日頃から災害の発生しやすい場所を把握し、危険を感じたら速やかな避難を呼びかけている。
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 小諸では8月1日の朝に連日の豪雨で浅間連峰で山崩れが発生、特に中沢川筋が激しい泥流で氾濫し、六供、田町、本町などに押し寄せ、寺院や小諸城の足柄門、三の門などを押し流した。流死584人、流れた建物は434軒とされる。市町は本町より低い場所だが被害は比較的少なかった。小高い鍋蓋曲輪が水の流れを変えたと考えられ、宿場機能は本町から市町に移った。
 
 東御では特に所沢川水系が山崩れによる鉄砲水で大氾濫し、その音は上田城下にもとどろいた。祢津で60人、金井で113人が流死したとされる。祢津小学校の東側、所沢川近くの農地に「八間石」と呼ばれる巨石があり、500m流されたとされる。犠牲者を弔うため火まつりなどが現在も残る。八間石から東部中学校方向に雑木林が点在しているが、濁流の通った跡とされる。濁流は常田・田中宿を直撃し、本陣など100軒以上の建物を押し流し、流死68人とされる。田中宿の壊滅で、海野宿が本宿機能を持つようになり、田中宿の回復には20年以上かかった。
 田中宿から海野宿への北国街道は当初はほぼ直線だったとされるが、「戌の満水」が原因かは明確でないが、千曲川の氾濫が街道をえぐり、現在の白鳥神社前のカーブができた。
 
 上田では、中之条で避難場所が流されて死者42人などの記録が残る。当時の様子を知る史料の一つで「満水記録」(上田市誌で紹介、伊藤家文書)を要約すると「27日夕方から28日に雨が降り、29日は晴れたが夕方から降り出して夜中大雨、翌日1日朝7時半頃から音が響き、次第に大きく雷のようになった。千曲川に家財や人馬がおびただしく流れ、午前10時頃に水が少し引き、昼頃から増水、河原に人がとり残され、夜中大雨風、午前10時頃には普段より水かさが9m増えた。古今未曾有の満水」。河原に打ち上がった魚を喜んで拾っていたら増水で帰れなくなったエピソードなどもある。
 
 上田原町「問屋日記」では、災害当初の上田藩内の死者数と後日の記述が大きく変わり、いかに情報が混乱したかがうかがえる。上流からの死体が諏訪部に流れ着き、上田藩では死体を集めて秋和の正福寺大門の先に埋葬した。慰霊碑「千人塚」が残っている。
 
 小諸、東御で100人を超える死者は、いずれも川筋ではない場所が濁流になり、田畑や家屋、人や馬も押し流した。「想定外」とされた東日本大震災の津波と重なる。


[ 投稿者:東信ジャーナル社 at 08:07 | ●うえだニュース(旧丸子町・旧真田町・旧武石村を含 ]

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