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2011年01月01日
◆幸村の娘が長和町の石合家に嫁いだ!<新年号スペシャル> 長野県 長和町
新年号(長久保の旧本陣)
  【石合家。長和町長久保の旧本陣跡】

 「私ども籠城の上は必死の覚悟でおりますから、この世で面談することはもうないかと存じます。どうか(娘を)お見捨てなきようお頼み申します」ー。
 これは真田信繁(幸村)が討死する「夏の陣」前、娘(阿菊)の将来を案じた書状だ。父親・信繁のほとばしる愛情を感じさせる貴重な文書だ。

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書状
  「真田信繁書状」

父子事御安事、作兵衛方迄御尋尤候、我等篭城之上ハ、必死に相極候間、此世にて面談ハ有之間敷候、何事もすへこと心に不叶き候共、御見捨無之やうに頼入候、委者惣右可申候、謹言
   二月十日    真左衛門佐(花押)
      石合十蔵殿
(長井彦助氏所蔵文書)

  【口語訳】
 私ども父子のことをご案じになり、作兵衛方までおたずねになられたとのこと。もっともなことでございます。
 私ども籠城の上は必死の覚悟でおりますから、この世で面談することはもうないかと存じます。
 このすへいろいろとお心にかなわぬことがございましても、どうかお見捨てなきようお頼み申します。
 くわしいことは惣右衛門が申し伝えます。謹言。

 【解説】
 この書状の宛人である石合十蔵道定は、信繁(幸村)の長女すへ(阿菊)の婿にあたります。信繁と堀田作兵衛興重(おきしげ)=真田家家臣=の娘との間に生まれた、すへは作兵衛の養女となり、長久保宿の中核をなした石合家に嫁ぎました。
 信繁は慶長5(1600)年の第二次上田合戦後、父・昌幸とともに高野山(和歌山県)に配流となり、以後14年の間、麓の九度山村に隠棲します。しかし、慶長19(1614)年に豊臣家からの誘いを受け、長男・大助を伴って大阪城に入城し、「冬の陣」では大阪城南側に真田丸(大阪城に付随する出城)を築き、徳川方に大打撃を与えます。豊臣方、徳川方の双方の和議によって冬の陣は終息しますが、和議の条件であった大阪城の埋め立てを巡り、再び対立を深めていきます。この書状からも、豊臣方が再戦を覚悟している様子が判ります。信繁は、徳川方から「十万石」、あるいは「信濃一国」という誘いを断り、「夏の陣」では徳川家康の本陣を突き崩す活躍をみせ、華々しく討死します。敵方であった諸将からも「真田日本一の兵(つわもの)いにしえにより物語にもこれなき由、」(『薩摩旧記』)「古今これなき大手柄」(『細川家記』)と称賛されます。
 大助は、淀・秀頼母子に殉じ、すへの養父興重も信繁とともに戦い討死します。
 この書状には、敵将の子となった娘の将来を案ずる、父親の愛情がほとばしるほどに感じられます。
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新年号.(石合さん)
  【石合さん】

 歴女が訪れ真田ブームに沸く上田市から約20㎞ほどから離れた長和町に真田氏と関連のある驚くべき史実が残っている。この「真田信繁書状」も一つだ。
 これは同町長久保の旧本陣、石合家に真田幸村の長女、阿菊(書状では「すへ」)が嫁いだという史実だ。阿菊の墓も同町古町の西蓮寺に残っている。
 阿菊が嫁いだのは現在、中山道の宿場、長久保宿の旧本陣に住んでいる子孫、石合知子さん(90)の12代前の当主、十蔵道定。知子さんによると「名前は『すへ』ともいい確証はないが、我が家では阿菊様として葬っている。家系図を見ると納得できる」という。
 石合家の先祖は清和源氏系本姓福島、駿州長久保にて長久保氏と号し、左衛門尉基量を名乗り、その子の道重の代、信州矢沢郷石合邑に移住し、石合氏と名乗るようになった。
 道重は父の死後、武田家に仕えたが、武田信玄の弟・信実の死後、上田の真田氏に仕えた。天正10(1582)年に戦死。子孫は長窪に住み着いた。
 その子、新左衛門道相は、小林九右衛門と共に長窪代官を務め、慶長から元和にかけ戦乱により荒廃した土地を捨て離散した農民を呼び戻し、私財を投じて郷土の復興に力を尽くした。その功績が認められ真田信之から30貫文無役の朱印状を戴く。それは石合家に今も保管されている。
 阿菊が嫁いだ十蔵道定は、その子にあたる。石合家には信繁から十蔵道定に宛てた、娘、阿菊を頼むという決死の親心を記した書状が残されている。長井彦助氏所蔵文書の中にある。
 知子さんは「長年大切にしてきた珍しい掛け軸の中に『真田幸村の娘の墓、古町西蓮寺に』という文言を見つけて驚いた。この史実や信繁書状など子孫に正しく伝えていきたい」と話している。
[ 投稿者:東信ジャーナル社 at 09:44 | ●長和町ニュース ]

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