
ボタニカルアート教室が「高橋京子花の絵美術館」での特別授業です。
その前に伊東の「木下杢太郎記念館」に行きました。
杢太郎の生家が記念館として開放されています。
小学生がノートを片手に来ていました。
皮膚科の医師でありライ病の研究者で白癬菌を発見したそうです。
文学にも秀でていて戯曲、小説、随筆、評論、翻訳と何でもこなしたそうです。
一高、東大医学部に進み、東北大教授や東大教授として活躍していたのに
60歳で亡くなってしまわれたのでした。
私たちは「百花譜」として昭和18年から20年にかけて医学用の便せんに
描かれた植物画の事を勉強するために記念館に行ったのですが
その才能に感嘆してしまいました。
どの分野でも一流の才能を持っていたけれど「
木の下で瞑想や感嘆をする
農夫の子」と言う意味の名を画家としての自分につけたのだそうです。
2年間で872点の植物画を描かれているのは私には神業としか思えません。