【つぎはぎ自己紹介】
もう時計の針は深夜12時を回って4月1日です。きのうは私にとって特別な3月31日。私は、1998年の3月31日に、レンタカーに家財道具を詰め込んで、千葉県富里町(現富里市)から、この長野県立科町に引っ越してきたのでした。大粒のボタン雪が降りしきる中、たったひとりでのお引越し。なんとか段ボールや家具類を家の中に押し込めます。もう外は暗い。そのときの最初の家は今の家とは違って、5つ部屋があるんですけれど、そのうち2つは床が落ちてるの。んでもってそのうち1つは壁も落ちてるの(笑)。笑い事じゃないのよ。新規就農者にとって、田畑を集めることなんてたやすいことですけれど、みんな住む所に苦労してるのね。私の大家さん、オーム真理教の残党が全国に散らばったご時世に、よく私のようなどこの馬の骨ともわからない者の力になってくれたなあと感謝してます。
そういう私にとっての記念日のひとつが3月31日なんですけれど、ちょっと、これに関連して、今日は特別に私の秘密をバクロしちゃおうかなー。今回は「逃げろー。ぴゅー」じゃないよ。
(参考・笑)
私のイレズミの秘密を明らかに 私はね、この運命の3月31日の直前まで、誰にも言えない秘密を胸に秘めて苦しんでいたのよ。
私はステンレスメーカーの経理部門の社員として、川崎の工場の原価部門と、東京八重洲の本社の経理部門とを行ったり来たりしていたんですけれど、本社は背広で川崎は作業服なのね。その背広時代に、29才だったんですけれど、突然頭髪が薄くなり始めたのね。それでね、やっぱり髪が薄くなれば、タダでさえモテナイのが、なおモテナイなあという恐怖にかられてね、それで、かの有名なアデランスに相談に行ったんですよ。
アデランスはとってもいい会社ね。接客もハイレベルだしね。全然不満もありません。んでもって、まあ、私もカツラを使うことになったの。すごいテクノロジーで本物そっくりよ。当時は海外から輸入した本物の人毛でカツラを作ってました。本当にすごい技術よね。今は合成樹脂かなにかだと思う。きっともっとすごい技術と思います。
それで、私のカツラライフが29才のときから始まったんですけれど、段々分かってきたんですけれどカツラって消耗品なんですね。毛って折れていくしね。頭皮から分泌される油がカツラに吸着するので、「油抜き」というのを定期的にやります。それから、カツラ以外は私の毛ですから、それは伸びるのに、チマタの床屋さんに行けなくなっちゃうんですね。それでアデランスの支店に出向いて床屋をしてもらうことになります。
当時、カツラがひとつ35万円かな。頭の型をとっての完全オーダーメイドですごい技術ですよ。それで、「油抜き」等のメンテナンスもあるから、取替えできるように2つ一緒に作ります。これが寿命2年なのね。まあ、ぶっちゃけ、2年ごとに70万円づつ払って、床屋と「油抜き」のために月に一度くらい支店に通って4000円くらいづつを払ってきます。
会社を辞めて、山崎農園で住み込み研修を始めてからも、まだカツラをつけてました。安い床屋の話とかがご飯時に出たりするんですよね。「二川さんは、どこの床屋に行ってるの」なんてね。まさか新宿のアデランスですとは言えないもんね。ボク、新宿がチョー好きで、みたいなこと言ってゴマカシてたかな。
でも、とうとう耐え切れなくなってね・・・・・本物の生き方をしたいなんて言って、会社を辞めて農家の弟子になったのに、ニセモノの髪の毛つけてどうすんだ? って自問自答が続いてね・・・・・それで、地元で一番はやってないような床屋に目星をつけて・・・・私の順番が来てね、椅子に座って・・・・お願いします!ってカツラを取ったの。床屋さん、びっくりした顔もしないで、「ハイ、わかりました」って、仕事に取り掛かってくれたよ。
山崎農園に帰ったら、丸坊主の私にみんなビックリ。カツラの話なんかを打ち明けたら、みんな気持ちよく受け入れてくれました。「うんうん、その坊主の方が、すごくカッコいいよ」みたいなね。
カツラ生活ってね、人生において耐えられないような究極の危機的局面を導かざるを得ないんだよね。カツラのおかげで、すんごい彼女をゲットしたとするでしょ。実は私・・・・カツラなんですって、カミングアウトする局面が絶対訪れるもんね。そんなのに耐えられる人っているのかな。相手だって絶えられないかも。
ありのままの自分でいられるって素晴らしいよね。
ああ、あのとき、よくカツラを取れたな。あのときの自分に感謝してねぎらってあげたいよ。そうよそうよ、それが正しい決断だよって背中を押してあげたい。
もしかしたら、未来の私が、あのときの私の背中を押してくれたのかな。
結局、カツラは都合3回更新して、メンテナンスなんかもしましたから、250万円くらいは使ったかもね。ある意味、有意義な出費だったかも。