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2010年02月24日
短命だった池田鉄道
去る2月18日、池田町ガイドマスター主催「池田町のむかし」〜製糸業、池田鉄道を中心に〜と題し、池田町内鎌にお住まいの田中宏一郎先生を講師に研修会を開催しました。

昔、池田町は製糸業が栄え、大正の終わりから昭和のはじめにかけては鉄道も走っていました。(わずか12年)

製糸業、池田鉄道について詳しく講演していただきました。
会議資料

貴重な田中先生のお話しや資料は後世に伝えていきたいです。
資料には、池田鉄道の電車の画像もあって大変興味深いものでした。
池田鉄道


池田鉄道は、南安曇郡北穂高村(現在安曇野市穂高北穂高)島新田に安曇追分駅(アルプス追分駅)で信濃鉄道と分岐し、池田町に至る約8kmの間(途中駅 安曇追分、十日市場、会染、柏木、南池田、信濃池田、北池田)を所要時間14分で一日20往復走った私鉄電車である。

大正15年(1913年)に創業し、わずか12年で廃業という極めて短命の鉄道であった。

 当初は、信濃鉄道に対抗して、明科から池田を経て大町に至る線を立案したが政府の免許が下りないまま時が過ぎてしまった。
そこで、改めて池田・会染の有力者が追分・池田間の鉄道敷設の計画案を作成申請し、大正14年4月16日鉄道大臣より免許が下り実現の運びとなった。初めて電車が走ったのは大正15年9月21日である。
年間6万人から8万人が利用していた。

 池田・追分間のわずかな距離を走って、その土地の旅客や貨物を運ぶに過ぎないので、自ずと収入の限度も定まってしまうのも当然のことで、営業成績は開業以来上がることなく赤字続きとなってしまった。

当時の人は、空いている電車を指して「シジュウカラ」と称し、その状況を表現している。


 昭和2年(1927年)の昭和金融恐慌と昭和4年(1929年)の世界大恐慌、また、その頃県道を鉄道と平行して走っていた白馬自動車との競争に負け廃業となった。
 今でも池田町東町には池田鉄道本社建物、駅舎・ホーム跡が、また会染林中にはホーム跡が残っている。

池田町史 歴史編Ⅱより引用



もし、今池田鉄道が開業したとしたら1年持たなかったのではないかと思ってしまいます。


池田町観光振興も池田鉄道の二の舞にならないように持続するものにしていきたいと思います。
[ 投稿者:ほたる at 10:39 | 池田町ガイドマスター | コメント(0) | トラックバック(0) ]

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