池田町をただ歩いているだけではないというところをちったーお見せしなければと奮起し、池田町の歴史を紐解いていきたいと思います。
机の周りの資料を整理していたら、参考になる資料がたくさんでてきたので、それらを元に、先日の四丁目・五丁目を歩こうの補足説明をしたいと思います。
四丁目はその昔、大火に遭い、それをきっかけに妙義様という風習が残っています。
O澤さん宅前にある妙義様。
私の小さい頃は、我が家の前に牛つなぎ石がありますが、その横に祭られており、県道道路改良(水路と歩道)に伴って、O澤さん宅前に移設したそうです。

池田宿は元禄15年(1702)と安政3年(1856)の大火で町の大半は焼け尽くされたそうです。
四丁目では、県道沿いの各家にこの灯篭を一晩ずつまわしています。
この灯篭が回ってくると、ろうそくに火を燈し、一晩、玄関先に置きます。
数年前、灯篭の障子がぼろぼろになっていたのを見た父が、見かねて障子を張りなおし、筆で字を書きました。
妙義山に行ってお札をもらってきているそうです。
四丁目県道沿いには、未だ火の用心の風習が残っています。
大切にしたいですね。

五丁目にある如意輪観音堂。
昔は、芸者衆がよくお参りしたそうです。
五丁目はもともと四丁目から分かれてできた町内で、毎年4月末頃、四丁目との合同でお祭りを行っています。
台石には明和7年(1770)新町女中講中とあります。
人々の苦しみを除き、願いを叶え、戸区に長寿、安産、魔よけに功徳があるとされたそうです。

大北農協池田支所

数年前まで、大北農協池田支所として使われていた鉄筋3階建ての建物がありました。
昭和5年建築だったそうです。
また、「とびだしちうい」の看板があるところは、大坂屋さんいう醤油の醸造所でした。

大坂屋三沢商店のしょうゆは、池田町ハーブセンターで販売しています。
薄口、濃口、一升瓶、1リットルボトルがあります。
結構ファンがいるみたいです。