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2004年10月25日
エフォート?
 今頃の時期は何万人もの人が同じ書類を作っていることでしょう。「科学研究費補助金」、通称「科研費」の申請書です。

 今年から、申請書類に新しい項目が加わりました。「エフォート」です。「エフォート   %」と書かれているだけで、意味がわかりません。「エフォート」と見たら、普通の人は「effort」=「努力」とか「成果」だと思いますよね? でも「%」で記入する形であるところがよく分かりません。「努力 150%」とか「成果 100%」とでも書けばいいということは……、あるわけないですね。(笑)

 事務官に聞いたらすぐわかることですけれど、甘えては申し訳ないのでネットで調べてみました。某大学のサイトに説明が書いてありました。「エフォート」=「年間の全仕事時間を100%とした場合の当該研究の実施に必要とする時間の配分率(%) (※総合科学技術会議・政府研究開発データベースにおける定義)」ということだそうです。ウチの大学のサイトなんかは学外からこういう部分を見ることができないので、他の大学のサイトにお世話になることが多いのです。ちなみにその大学の「事務局からのお願い」が書いてありました。「研究計画調書の『エフォート』欄に数字が記載されていない場合がありますのでご注意下さい」……。やはり「エフォート」は、多くの人に意味が伝わっていないようです。(苦笑)

<教訓>
カタカナ文字は分かりづらい。
[ 投稿者:トシ at 02:47 | 批評 | コメント(1) | トラックバック(0) ]

2004年10月24日
親友は過去形になるか
 地震から10時間が経過しましたが、テレビニュースは次々と被害を伝えるばかりです。

 昨夕の新潟地震のニュースを見ていた家内に「新潟に知り合いはいないの?」と聞かれました。「安否を確かめるような知り合いはいないよ」と即答したのですが、しばらくしてからK君のことを思い出しました。新潟には高校時代に同じ理系クラスで、同じ部活動をしていたK君が住んでいたのでした。いや、存在を忘れていたくらいですから、「親友だった」というべきなのでしょうか。僕の「親友だった」J君は東京に住んでいます。

 級友は僕たちを「物理部トリオ」と呼んでいました。のんびりした田舎の高校にあっても目立つほどに安楽な高校生活を過ごした「物理部トリオ」は、当然の流れとして「浪人」の身分を得ました。お揃いだったのはここまでです。K君は新潟大学医学部へ、J君は京都大学理学部へと希望通りの進路をたどったのに対して、僕は理系から文系へと流れた挙げ句、「モラトリアム人間」(この言葉、ひところ流行りましたね)になりました。

 盆と正月に長野で顔を合わせるという「内規」があったのですが、年々帰省する機会も減り、ここ20年近く顔を合わせていません。今後も会うことはないように思います。かつて同じクラスで過ごしたことがあるということ以外には何の接点もありませんから当然ですよね。もしどこかで僕たちが顔を合わせたとしたら、「こんなところで何してる」って声をかけて、世間話をして、「それじゃまた」と中村雅俊の歌みたいなセリフで別れるのだと思います。だとしたら僕たちは今でも「親友」なのかも知れません。過去形の「親友」という存在は、あるのでしょうか?

 K、無事だよな?

※中村雅俊の歌とは、「ただお前がいい」(作詞・作曲:小椋佳)のことです。歌詞の一部にこのような言葉があるのですが、書いたらダメなのですね。かなり昔、おそらく30年くらい前の歌だと思います。
[ 投稿者:トシ at 03:46 | 批評 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

テレビのニュース
 長野市から離れてちょうど四半世紀になります。関西で新潟の地震のニュースを見ました。

 月曜締切の書類を作るために昨夜からずっと机にへばりついていましたところでした。途中ネット休憩を取りつつ、2〜3時間ほど眠りましたがそろそろ電池切れに近づいてきたところです。そんなとき「新潟県中部で震度6強の地震」というニュース速報が入って、眠気は吹き飛びました。余震が頻繁に起こっているようです。長野市の震度が5弱という情報を見て実家に電話で確認しましたら、無事だということでした。夜のことで被害の全貌がみえないのですが、これ以上新潟の被害が大きくならないことを祈るばかりです。

 確か8月の台風が新潟県中部に水害をもたらしました。今年に限ってのことなのでしょうか。異常に自然災害が目につきます。台風上陸の年間最多記録も更新されてしまいましたし、過日も三重県沖でマグニチュード7クラスの地震があったばかりです。今日の地震は直下型のようですので、被害が避けようがなかったのでしょうか。台風のように数日前からある程度予測できるようになるといいのですが、なかなか難しそうです。

 天災だけではなくて、人災も多いですよね。幸せな気分になれるニュースが見たいと思います。
[ 投稿者:トシ at 00:42 | 批評 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2004年10月23日
日本語入力環境
t_AtokUp.jpg

 日本語の文章作成用としてパソコンを使い始めてから15年ほどになるでしょうか。初めてパソコンを使ったのが大学の教養部にいた頃で、ちょうど「PC8000」や「FM8」などが発売された頃でした。プログラム電卓でかなりの時間を要していた計算が、パソコンですとあっという間に出来てしまうことに感激したものです。

 ただし、パソコンが実用的な「日本語ワープロ」の機能を持つのはもうしばらく後のことでした。大学院生時代は自宅では「文豪3V」というワープロ専用機を使ってレポートを書き、大学の研究室では「太郎」「一太郎」を使っていたように思います。

 日本語文書の作成に主としてパソコンを使うようになったのは15年ほど前のことだったと思います。当初はMS-DOS上で動く「松-松茸」を使っていました。「一太郎-ATOK」を使うようになったのは、MS-Windowsの時代以降だと思います。それ以降はずっと「一太郎-ATOK」を使っています。

 日本語入力機能が自分にとって使いやすいかということは文章を書くことの多い人間には重要なことです。人それぞれに使いやすい日本語変換システムが違うと思いますが、今の僕は何が何でも「ATOK」という感じになりました。「松-松茸」びいきだった時代があったなどということは忘れてしまいました。(笑) 

 今のATOKのバージョンは17です。Windows版もMacOS版も「17」を使っています。Linux版だけは「ATOK X」というバージョンですが、違うOSでも使い勝手の似た日本語入力環境があるというのは非常に便利です。特にWindows版は、最近付加機能が充実してきました。新しい機能が追加されるたびにきちんとチェックしています。昨日届いたのが「ぎょうせい公用文表記辞書」です。ATOKの機能がいくら充実しても、文章のミスが減るだけです。便利になった分だけ「ATOKの上手な使い方」を考えなくてはなりませんね。決して「ATOKに使われる身」にならないように……。(笑)
[ 投稿者:トシ at 03:24 | 批評 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2004年10月22日
卵酒
 子どもから家内へそして僕へと風邪は感染したようで、今日は仕事を休みました。明日も微妙なところです。
 風邪すなわち感冒であることは疑う余地がないのですが、どうも風邪=感冒という概念がハッキリしません。念のため『日本大百科全書』で調べてみましたら、「風邪」という項目はなく「かぜ症候群」という項目で説明されていました。「臨床的にはその病因まで推測しえないので、いくつかの病型を一括して『かぜ症候群』として扱われることが多い」と書かれていました。結局よくわからないままです。
インフルエンザ以外には予防ワクチンがなく、治療も対症療法に限られると言うことですので、結局「誘因となる過労や寝不足を避け、うたた寝や入浴後の湯冷めなどをしないようにする」(『日本大百科全書』)自衛策をとるしかないようです。
 風邪薬はあくまで対症療法の薬ですから、「卵酒」を飲むことによって滋養をつけるというのは自然治癒を助ける正しい対処なのでしょう。江戸時代には「卵酒」はあったようですけれど、いつ頃からあるものなのかは未だ調べておりません。鶏卵が今ほど安価だった時代はないと思いますけれど、昔の鶏卵の方がきっと滋味たっぷりだったように思います。魚以外の肉食習慣があまり見られなかった日本では、「鶏の卵」というだけで「心理的な」治癒効果も多分にあったのではないでしょうか。
[ 投稿者:トシ at 02:35 | 批評 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

ウイルス対策ソフトウェア
 この夏に某社顧客リスト流出の被害を受けて、ウイルス対策の強化を余儀なくされました。パソコンにウイルス対策ソフトウェアなどをインストールして常に最新の状態に保っておくというのはもっとも基本的な対策の一つです。先週某社から最新版のウイルス対策ソフトウェアが届きました。毎年パソコンの台数分のライセンスを購入するのは痛い出費ですが、ウイルスにやられた時の現状回復コストと比較したら安いのでしょうからやむを得ません。
 パソコンの方はあれこれとウイルス感染に注意しているのですが、風邪ウイルスに対する構えが甘かったようです。僕の方が風邪ウイルスに感染してしまいました。ただし、パソコンと違って「自然治癒」する…予定です。パソコンも進化して自然治癒が実現するなどということはないでしょうね。(笑)
[ 投稿者:トシ at 02:35 | 批評 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

トイレの100ワット
 今日配信されたNECのメールマガジンが「トイレの100ワット」という慣用句に触れていました。「無駄の象徴」のようなニュアンスでしたね。この言葉を目にするのは久しぶりであるように思います。おそらく僕が子どもの頃に両親から聞いたのがはじめではないかと思います。実際に実家のトイレには30ワットか40ワットくらいの電球がつけられていたように記憶しています。「トイレの100ワット」という言葉を思いつくのは、おそらく40歳前後の人くらいではないでしょうか。メルマガライターとしては「高齢」な部類かも知れません。……というのはあくまで僕の勝手な推測です。(笑)
 ウチでは僕と家内の間で照明に対する意見が異なります。僕は家中「昼間のように明るい照明」にするのが好きな方なので、部屋の照明は100ワットから140ワットの蛍光灯になります。廊下や階段などにも100ワットのパルックボールをつけてしまいます。もちろんトイレも100ワットのパルックボールです。(笑) 家内はどちらかと言えば「暗めの電球照明」が好きなようで、実家の家内の部屋の照明は電球で、ものを読み書きする机には電気スタンドを置いて明るさを補ってありました。「暗めの電球照明」派である家内にとっては、僕の照明器具選びは納得できないことが多いらしく、「ささやかな主張」をしております。たとえばリビングの天井に140ワットの蛍光灯照明をつけても良いけれども、食卓の上は北欧製のペンダントライト(もちろん電球)にして欲しいとか…。でも、ペンダントライトの電球は僕の周到な策略?によっていつしか「100ワットの電球型蛍光灯」に付け替えられ、今では天井取り付けの100ワット照明に変わっています。結局、リビングは合計240ワットの蛍光灯照明エリアになったのでした。ただしあくまで「電球照明」派である家内の希望で「ウォーム色」の蛍光管を使っています。
 明るすぎる照明は良くないかも知れませんが、普通の照明器具を使っている限り昼間の明るさに比べたらずっと暗いはずです。廊下やトイレなどの照明も明るくしておいた方が清潔を保てるのではないかというのが僕の考えです。ただし、明るい蛍光灯照明には「雰囲気」に欠ける部分があります。これは認めざるを得ません。「雰囲気」を取るか、「実用性」を取るか、照明器具に何を選ぶかでもめている家庭は、少なからずあるかも知れませんね。
 ちなみに実家のトイレですが、僕が小学生の時に自らの手で100ワット照明に変えました。(笑)
[ 投稿者:トシ at 02:34 | 批評 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

野村萬斎
  昨日仕事帰りに立ち寄ったCDショップで、『日本語であそぼ』という幼児向けDVDを見つけました。狂言師野村万作の跡継ぎというくらいの認識しかなかった野村萬斎が幼児教育番組をどのように作っているのか関心がありましたし、内容に「汚れちまつた悲しみに…」という中也の詩が載っているのにも興味をひかれました。
 帰宅してから1歳3ヶ月の子どもに見せますと、興味深げに見入っていました。
 「ややこしや」…どういう経緯でこの「現代狂言」のようなモノを思いついたのかわかりませんが、経歴から推察するに「ややこしや」の中には野村萬斎オリジナルの論理があるものと思われます。そういう理屈めいたことを感じさせない「ひとつの芸術表現のかたち」として完成しているのはすばらしいと思います。能狂言独特の発声と動きが、子どもの心をとらえるのでしょうね。
 ところで、僕が興味をひかれたところの中也の詩は「汚れっちまった」と聞こえる独特の発声でした。おそらく「間」なのでしょうけれど、促音にも聞こえるような微妙な「間」です。詩の読み方は解釈に深く関わりますので、僕としてはなぜ野村萬斎がこのような読み方をしようと思ったのか聞いてみたい気がします。それから、なぜ野村萬斎のような恵まれた人が中也の詩を選んだのか聞いてみたいですね。どちらかというと後者を聞いてみたいです。(笑)
[ 投稿者:トシ at 02:33 | 批評 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

2004年10月18日
小説の終焉?
 「岩波書店の新刊」という冊子を見るのが好きです。毎月1社からこれだけの本が出ているのかという小さな感動とともに「今月の1冊」を探すのが楽しみです。ここひと月は岩波書店からの荷物がなかったので、新刊案内冊子は届きませんでした。「こんなに岩波を贔屓にしているんだから新刊案内くらいタダで送ってくれたらいいのに…」などとあまり説得力のない愚痴をこぼしつつ、書店のレジで新刊案内をもらってきました。
 子どもの頃と比べると岩波の本はやわらかくなったように思います。「アクティブ新書があるんだから、そちらで出したらどうなの?」と思えるような「新書」が増えましたね。そういう感想と相関関係があるのかも知れませんが、ここ数年の岩波新書の購入冊数は減っています。その代わりに増えているのがシリーズ本の購入冊数です。おもしろいテーマが多いですね。10月から刊行されるシリーズで言えば「ことばのために」。第1回は高橋源一郎『大人にはわからない日本文学史』、関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』…。書店に足を運ぶまでもなく読んでみたくなる品揃えです。この9月には川西政明『小説の終焉』という新書本が出ていますので、これからは終わってしまった小説を並べて組み替えて批評する楽しみしか残されていないのだろうかと不安になりそうですが、僕などは『小説の終焉』を読んで却って『小説は終わらない』という感を強くしている類の偏屈人間です。(苦笑)
 待ってました!というような小説がきっと出版されると信じています。
[ 投稿者:トシ at 01:59 | 批評 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

視聴率
 今週から秋の新番組が始まったようです。番組改編期によく見る数字が「視聴率」です。今期のNHK連続テレビ小説は平均視聴率何パーセントで史上最高だったとか最低だったとか……。今期のドラマで視聴率を稼ぐのはどの局のどの番組なのでしょう。
 「視聴率至上主義が招いた不祥事でした」などどいうお詫びの言葉はどこの局からも聞こえてきてもおかしくない気がしますが(苦笑)、おそらくテレビ業界の人たちが「視聴率」が空虚な数字だということを一番よく知っているハズです。そうであるにもかかわらず視聴率は長年にわたってテレビ番組の可否を測る重要な尺度であり続けているようです。それが唯一の客観的指標であるが故に。
 番組の質を云々するとどうしても主観を排除することができません。主観を排除できないので「恣意的」な評価になるおそれもありえます。だから質の評価をしないというのが「無難」なのかもしれません。質の評価をしないということはすべてを「0か1」に還元することです。さまざまな人間の営みの中で「0か1」に還元して評価できるようなものは僕には思いつきません。でも人々は、この「0か1への還元」をさらに広めようとしているように思えます。
 「業績評価」、「能力評価」などなどは尺度も数値も多元的であるからいいとして、「勝ち組と負け組」という言葉なんかは究極の「還元」なんでしょうね。

注記: 本文で用いている「還元」という言葉は、哲学用語としての「還元主義」とは関わりありません。

 ちなみに、きわめて私的な話で恐縮ですが、TBS系列ですと日曜劇場「夫婦。」、フジ系列ですと月9の「ラストクリスマス」、テレビ朝日系列ですと「黒革の手帖」などが気になっております。確か今年の春ドラマは「病」がテーマというのが多かったように思いますが、今期のテーマは「回帰」でしょうか?
 「黒革の手帖」などは松本清張の「古典」ですのでいじりようがないのですが、僕が「月9」の脚本家だったら青井由季の病は実は治っていなくて本当の「ラストクリスマス」を迎えるという話に……したいですね。(笑)
[ 投稿者:トシ at 01:59 | 批評 | コメント(0) | トラックバック(0) ]