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2018年06月13日
恋は雨上がりのように(映画館で鑑賞後)
ちょっとした佳作。スライディングと近藤のテレビ所有が惜しまれるけど、原作読まずに観た方がいいかなー。でも原作見てないと監督殿や脚本の構成の妙味がわかりようがないしとか一旦は思ったんだけど、モノローグが全て無くなっているから、原作知っていたら自分で埋められるんだよね。事務室出たところで息をついての「いっぱい喋っちゃった」とかカラテチョップ姿で近藤の謝罪訪問を断るときの「店長悪くないし」とかさ。うーん、感想は少なくとも映画館で2回目観てから書いた方がいいねこりゃ。いま朝っぱらから観てきたとこ。小松さんにも清野さんにも山本さんにも松本さんにも、改めて魅了されるわー。

2回目では瞬時だからそんなに気にしなくてもいいかとも思ったけれど、PVやトレイラーでも頻出のスライディングシーンはやっぱり陳腐。うたた寝の夢の中とは言っても、想像力の幼稚さを感じてしまう。出口で右肩下がり傾斜付きのブラインドだから外・中・体一つぶん余して外ぐらいのライン取りでの疾走ではなかろうか。コーナリング中の姿を横からストップモーション重ねるぐらいで十分印象的だったと思うけど。校舎の前らしいのもあるけど、あの演出で全体がぐっとチャチな印象になるから本編では止せばいいのに。いや、小松さんのビジュアルとしてはカッコいいんだけどさ。携帯忘れ追いかけるときも走り出す寸前のズザザ要る?むしろ自転車の行方の信号点滅映した方が良くない?夢の中との符号合わせとしたかったのかしら。

もう一つ気になったこと。近藤はテレビ持っていてはダメ。発想の安易さが臭うから、断じてダメ。スポンサーとか色々大人の事情はあるかもしれないから、「あきら」との会話で強調しなくてもいいとは思うけど、役柄設定のバランスとしては、部屋にあるはずのラジオで当該報道を知る運びで良かったのではないかな。

ラストシーン、観た人が好きなように余白を埋めればいいのではないかなと。シフト入れない宣告でも「あきら」は少し涙ぐみながらも陽の光に透けるような笑顔だったし、再会の土手では二人笑い合ってるんだよね。監督の設定上、土手は直前シーンから半年経過後なんだから、野暮を承知で言うなら、彼女は忘れたかったかもしれないのに、「これでいいんだ」って何度も自分に言い聞かせたかもしれないのに、すれ違った瞬間には会いたくて話したかった気持ちこみ上げて足を止めたんだぜ。しかも近藤、ただ走り去らずに車停めてあまつさえ降車して真っすぐ向き合ったんだから。ということは、原作の最後近く車内での「橘さんは忘れたっていいんだ」と真っ向勝負だからね。勿論原作だって日傘はあるけど、「ガーデン」ではもう会えなくなるかもしれないと知るやいなや即連絡手段確保だからね。ゆっくりとしたリズムで会話は進み、余韻が大分違う。近藤は彼自身の決断で別離を選んだけれど、寂しく取り残されたりしなかったことを知っている。土手で確信したかもしれない。

「けっしてあきらめない」
あ、それは小松家の家訓のひとつか。失敬失敬。
はい芸能音痴が勝手に余白埋めました。

原作との比較で、作品結末まででお互いに知ったことになった互いの個人情報の種類は変わらないけど、近藤の自宅住所が「あきら」になぜ割れていたとか知らんぷり賛成。元旦に受け取った手紙を読まない近藤の薄情ぶりも無かったことにしてオッケー。そう考えると、「どっちからハグしたか問題」も作品結末までのバランスと登場人物への優しさの度合いである種の均衡を見出せるのかもしれないね。正直、「あまりに軽薄だ」につながるシーンは捨てがたいと思うんだけどな。大泉さんの抑制効かせた大人の男の芝居と、小松さん「あきら」の情感、そう考えると見たいと思わないかねキミ。でも、小松さん「あきら」の学校帰りの自宅での靴の脱ぎ方、原作通りだよねー。あのシーンになると改めてしみじみ観てしまう。羊さん「捨てるわけないでしょ」の追加脚本も好きだ。「あきら」、親戚の介入なくても、柔らかい心になれたね。「ありがとう」の更なる脚本追加、わかります。欲しかった。

登場人物への優しさ、ということでは1回目観たときから気づいていたのだけど、「とりあえず中入りなよ」のシーン、近藤が急いで傘さして迎えに出る演出は、映画で初めて追加だったんだよねー。好きだなー。近藤邸電撃訪問で決定的にフラれ失意でないわけがない「あきら」に、近藤は直後のタクシー見送りで自ら「友達」の言葉を拾って「友達としてのお願い」を差し出すのさ。やはり突き落としっ放しにはしない。「勇斗」の誕生日祝いの礼とは違う、エピソード組み替えナイスでーす。ここぞとばかりに書くんだけど、加瀬の無理チュー強制わいせつも、失言からの暴行事件もなかったことにするの賛成だし、特筆すべきは久保さんが人間近藤に興味を持ちだす終わりがけの演出ね。マナーの良し悪しはともかく、店長が小説〜!?とばかりに大袈裟に騒がず、持参弁当つつきながら楽しそうに読むラフさはいい塩梅。

何はともあれ、全体を通して爽やかだったし、決定的に底意地の悪い人物も登場しない。入室時にノックしなかったりマナーいまいちでとかく見咎められる近藤役が貶められる度合いが緩くなっていたのはなにより。清野さんには「顔だけでも少し太って」と監督要請があったらしいけど、大泉さんには体格についての役作りはおろか10円ハゲも無しと。加瀬にクサされるような私服姿でもない。

ちょっと思い出したんだけど、映画館デートのシーンで加瀬相手と近藤相手で隣り合う位置を原作から変更した理由を、素直な意味で機会があれば監督殿にお伺いしてみたい。原作では加瀬のときは右となり、近藤のときは左となり。定番の心理的なことがあるそうな。そういえば ♪貴方のいない右側に〜 て歌あるじゃない。ね。

その他で特に感じ入ったのは、戸次さん演じる九条のタクシーの中からの台詞で、原作中の「JK」ではなく「(お前に)女子高生(の何が〜)」と言わしめた感覚。「原作の台詞通り」と強調されていた半ば原則のもとでも、それはある種の主張なのだと思う。大人よ真っ当たれ、と。いい歳して男のくせにスイーツ脳でいい訳ないだろうと。

パンフレットがオススメ。ページの右下隅に「あきら」のパラパラ漫画があるよ。終始快活に振舞っていた小松さんについて「撮影が終わる頃には、僕の小松さんの印象はほぼ小学生でした」との大泉さんの愛溢れるコメントも微笑ましい。


映画館で観るといいよ。街中も海辺も陸上競技のトラックも、澄んだ光で眩しく煌めいている。
[ 投稿者:hatakurou at 08:19 | 映画 | コメント(0) | トラックバック(0) ]

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