そろそろ半年!特別な日の特別なことを乗り越えて明日を生きる確かに、その日は日常を失った。感情的な報道にのることは容易いが、出口は見えてこない。非日常の世界に日常のテンプレートを持ち込むことは無意味なことだったかもしれない。
次々とあらわになる現実の厳しさ。誰も彼も十分苦しい思いをした。それでも、明るい明日を自分の手で受け止められるように、一歩ずつでも歩み始めるしかない。それぞれの歩幅で。
その日を忘れてはいけないが踏みとどまることはできない。
++感情に走ることを自ら戒める++
target="_blank">無事な園児を津波・火災の地獄に送った?石巻市「日和
幼稚園」の送迎バス
宮城県石巻市「日和幼稚園」は、地震後にバスを出発させて津波に飲まれ
た。日和幼稚園は高台中腹にあり、そのまま幼稚園に止まれば園児が津波
に遭うこともなかった。幼稚園の震災時の対応はマニュアルでは保護者が
迎えに来ることにしていた。保護者も、我が子は高台だからと安心してい
た可能性がある。
マニュアルを無視したのは園長の判断のようだ。園長はマニュアルについ
て幼稚園スタッフへの周知にも努めていなかった。津波の危険性について
、ラジオ、テレビで状況を確認することもしなかった。三陸地方に津波の
危険があることは他所の地方に済んでいるものでも分る常識。判断ミスは
明らかだ。
悪く言えば、大地震の後、何かと面倒な園児を早々に退出させたかったの
だろう。
園児を帰すために巡回していたバスは案の定、渋滞にあい立ち往生。やが
て津波に飲み込まれた。家に届けた園児だって結局は危険に晒された訳だ
。雛所からわざわざ危険な市街地に下りてきたんだから。
送迎バスの運転手は無事。津波の後で状況を園長に伝えるために幼稚園へ
戻っている。バス内の取り残された園児の救援・救護にあたったかどうか
は不明。自分は津波に投げ出されて何も出来なかったと主張するかもしれ
ないが、無事に幼稚園まで戻っている。しっかりしていたのだ。手が足り
なくて、幼稚園に応援を頼みに行ったというより、次の津波を恐れて高台
へ避難しただけかもしれない。
園長は報告を聞いて、バスの辺りまで来ることは来たようだ。瓦礫の山で
、呆然として黙って立ち去ったらしい。救助も救護も救援も、頭には浮か
ばなかったのか?。園児たちは助けてと声を出している中での話しだ。子
供叫ぶ声は夜中まで聞こえていたらしい。明かりの無い夜は確かに大変だ
ろうが、午後3時の時点ではまだまだ明るかった筈。園長が何もしないで時
間を過ごしたのは致命的。判断ミスを超えて、園児を預かった責任者とし
ての犯罪的不作為。
翌日には火災が発生してバス内の命は全て消えてしまった。園児5人が死亡
または行方不明。既に2ヶ月を経過している。
園長は頭が真っ白になってと遺族の前で謝罪しているが、責任ある立場で
責任を放棄する時は、頭を真っ白にすれば済むのか。これが責任者として
の態度なのか。
無事な園児をわざわざ津波と火災の地獄に落としてしまった園長が現世で
無事なわけは無い。立派な犯罪になるはずだ。
※



target="_blank">石巻市「日和幼稚園」
target="_blank">http://www.hiyori.ed.jp/
ホームページには「園長 いわぶちきんじ」とある。岩渕欣治。今尚、謝
罪の言葉も何もない。
※
行いは犯罪的だと思うが、この人が悪人かどうかは分らない。ただの人の
良い園長さんかもしれない。人の命を預かっている時は間違えてはいけな
いのです。
◆
何と言う事か。テレビの報道は事実誤認があるらしい。鵜呑みにするなと
あるからきっとそうなんだろう。あるいはセンセーショナルな伝え方がさ
れたかもしれない。何が事実で何が誤報かは明確にされていると助かった
。日和幼稚園の話はNHKにも特集された。こちらは園の経営者を追求する姿
勢でなく被災者・遺族の悲しみを伝える内容として纏められていた。使わ
れなかったランドセルが子供部屋の椅子に掛けられていたのが象徴的だ。
さて、何が問題か。我が子を亡くした園児の遺族が園の判断の適切性に対
して持つ疑い。遺族と園長が問題の所有者。自分の子供が無事だった親は
園の対応は適切だったと主張するのだろうか?。もしくは非常事態だから
責任を云々するようなことは無理があるとして受容していくのだろうか。
いずれにしても問題の所有者がどこかで納得しなければ終わらない話だ。
◆
第3者は余計な口を挟む必要は無い。でも正義が行われるかどうかを見届
ける必要はあるだろう。当事者の納得が何処に治まるか。